10月25日(水)午後八時の訪問者 (どうか彼女が救われますように)

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 罪悪感を背負った人物の行動は見ていてつらいものがある。

 彼女の場合は、医者として誰にも非難される筋合いものではなかった。

 時間外のブザー。

 応対する必要はない、と見切りをつけた午後八時。

 しかし、その時間に防犯カメラに写った黒人の少女は翌日死体で見つかった。

 自分があのとき、扉をあけていれば。

 その罪悪感から医師であるジェニーは名前もわからないまま死んでしまった少女の消息を一人で調べ始める。

 

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 この映画はかなり特徴的な作りになっていて、途中BGMがいっさい流れない。

 医師ジェニーの一人称で物語は進み、彼女が日々小さな診療所で代診をし、巡回往診をしながら、たくさんの所得の低い困った人々を支える風景の中で地道に被害者の少女のことを聞き回るある意味単調な物語だ。

 医師ジェニーが被害者少女に対してどれほどの罪悪感を持っているのかは、ほとんと言葉で語られることはなく、彼女の行動を通して彼女の罪悪感の深さと、彼女の良心がかいま見ることができる。

 この映画を見ていて、フランスの往診では白衣を着ないので、全く医者に見えないことが新鮮だったのと、いつもみるフレンチ女優の脱力感がほんとうに脱力しすぎて(髪は櫛をいれずに、洋服は常にカットソーにパンツ)女っ気がなく、プライベートで恋人とも友人とも会わず、時折患者にケーキやおやつをもらって、それを朝食や夕食がわりにしているジェニーの風景を見て、あまりにも生活に穏やかな時間というものがなく、フランスで女医師をすることの悲哀のみが感じられてしまった。

 

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 しかし、医師というのは本来、人助けの仕事であり、職務として患者や患者の家族以上に病状に対して冷静沈着であらねばならず、熱心であらねばならず、ある意味でオンオフがないような生活にならざるを得ない。

 そうした医者であるジェニーは昇進を蹴って、診療所という小さな機関で貧しい人々の往診をすることを決意するが、その決意そのものもこの映画では彼女の外的なアクションで描ききっている。

 だから、この映画では彼女の言葉というものはほとんどなく、彼女の行動だけが描写される。

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(監督・脚本のダルデンヌ兄弟

 彼女が患者の老婆を支えながら診療所の階段をゆっくりと降りてゆく様子。糖尿病で巨体になってしまった男性をいすに座らせるために支える様子。彼女が被害者少女のために市営の共同墓地を買う様子。それは映画を見ていると退屈なのだが、離れてみるとじわじわくる。

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 彼女が医師としていきることになったその根本の理由。人を助けたいという気持ち。

 人を助けることを仕事にしたために、ある意味で切り捨てた時間外診療。しかし、そこで彼女は一人の少女を助けることができなかった。それは、彼女の人生の指針とは全くずれたことだった。

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 だから彼女は日々の医師の仕事を続けながら、できるかぎり周囲の人々の支えになろうと努力する。

 働く女性を見ていると、こう思うことがある。一人の母親になるよりも多くの支えになっている彼女がどうか救われますように。

 どうか幸せになれますように、と。

 物語のラスト、彼女は一人の女性を救って、そのことで彼女も少し救われる。