9月2日(土)トレインスポッティング2(17)イギリス 若者は老人になり、子どもは大人になり、そして死ぬ(ネタバレなし)

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(トレスポ2 はじめて観たとき、15歳でした。つまり、今35歳笑)

 

 

 中学生の時にトレスポと出会い、当時何度も繰り返し観たはずなのに、今日までこの映画がダニー・ボイル監督の作品だとは気がつかなかった。

 とはいえ、トレスポ2は、1を観た人間であれば、「観たい」とう意欲に駆られるよりは、「観なくてもいいかな」と遠慮気味になる作品ではないだろうか。

 なぜなら、20年という過ぎ去った歳月に向き合うことの怖さが根底にあるからだ。自分が年を取ったことは意識的に無視してすんでしまうことだが、あの思春期にむさぼるようにはまった映画のキャラクターがいい年をこいたおっさんとして画面に登場することは、ヘロインの禁断症状よりも恐ろしい。

 

 

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(若さとは、、って何か一句詠みたくなる歳月の残酷さ笑)

 

 

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(おっさんになったレントンとスパッド、ランニングしてるから。。健康のために。。

 って、はう。。。。ちなみに私もランニングしてます笑)

 

 そういうわけで、上映が決まったときも「観なくていい」という選択を取っていた。しかしダニー・ボイル監督の映画はランダムに映画を観ていてさえ、時折遭遇してしまう。それは一定の評価が定まった作品であるという理由が大きいが、もう一つ重要な要素がある。それこそあのうざいレコメンド機能である。ネットで映画を観ると、ひとつ作品をクリックするたびに複数の作品が「レコメンド」される。この作品の中にダニー・ボイル監督の作品が毎度毎度ランクインする。 

(どんだけ私のことすきなんだ、ダニー!!!)

 

 実際、思い出してみてもまだ映画と監督の関係にそれほど関心がなかった頃に見た映画でも十分なインパクトがあり、場面を鮮烈に覚えているということがある。

 それは、『トランス』『トレインスポッティング』『サンシャイン2057』『ビーチ』『28日後』などすべての作品に言えることで、色と音の独特な組み合わせから生まれるスタイリッシュな映像美であり、それは時にスタイリッシュでしかないことさえある。

 

 監督のとる映画はヒューマンドラマであることはない。どちらかと言えば、人間の狂気を描きたがる傾向があり、それは憎悪、嫉妬、悲哀、裏切りといったネガティブな感情がほとんどだ。そしてそういった感情を持つ人間が成長という名の変化をとることはまれであり、それはつまり善人に変化することはまれということだ。たとえ変化することがあっても、物語当初に持っていた信念が横にスライドする程度の変化であり、だからこそ監督の映画は芸術的というよりアーティスティックな印象を与える。

 つまり、展開や場面自体の描き方に重点を置いており、人物の心理的成長や葛藤というものは二の次なのだ。

 そして監督の作家性は、どれほど人間の卑小さを描いていても、人間臭くならず、物語というよりは、現代美術館にいるような、装苑やらELLEやらモード系のファッション誌をめくっているような美しさに彩られている。

 

 ではなぜ喜怒哀楽があり、人間葛藤のある物語が好きな私がトレスポにはじまるおしゃれ映画が好きなのか。実は私自身そのことが長い間わからなかったが、今日トレスポ2を観て、やっとわかった。

それは、彼の作品からスタイリッシュ要素を吸収するためだったのだ(まんまじゃん)

 もっとわかりやすく言えば、それは最新のよくわからないアート誌をめくったり、現代美術館に足を運ぶのと似ている。つまり、私にとってダニー・ボイル作品は映画の形をとったファッション誌ということになる。

 なんてひどい結論だ。

 しかし、事実そうであることに近い。

 

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(中学生のころ愛読書だったエルや装苑。今は卒業しました笑)

 

 ダニー・ボイル監督がトレスポでタッグを組んだ原作者アーヴィン・ウェルシュも『ビーチ』でタッグを組んだ原作者アレックス・ガーランドも監督の持つ人間の狂気をスタイリッシュに描く傾向がある。つまり、彼らもまたアーティスティックに描くことに親和性がある作家たちなのだ。

 もっと激しく戦っていい場面で、アクションがなくて映像と音の連射が入ったり、人がぐちゃぐちゃになるような場面で色彩の強いコントラストが入ったり、ひたすらおしゃれで生々しくない映像がダニー・ボイル監督の真骨頂であり、スタイルなのだ。

 つまり、作品としてはクールな部類に入る。

 

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(トレスポ2のシーン もうこの色彩と構図がおしゃれなくてなんと言おうか!!)

 

 それは、徹底的な挫折感や嫉妬や怒りでさえ、スタイリッシュに描いてしまうがゆえに、観客に人物には共感できないという作用を生む。しかし、その音と映像の魔術こそが問題なのだ。監督のつくった映像と音に浸りきっていたい。この中毒性。しかし、そこに物語は存在せず、あるのは視覚と聴覚に訴える刺激だけで、感情に訴えるものではない。

 そうつまり、私が監督の作品から吸収しているのは物語ではなく、(つまり人物の葛藤ではなく)音と光なのだ。

 ダニー・ボイルの映画やアレックス・ガーランドの映画、たとえば『エクス・マキナ』『28日後』を物語としてみると、前述したことから物語としては、舌足らずだが、ファッション誌として見るとしっくりくる。

 この二人の方向性は似ている部分があり、それこそ『スタイリッシュ』ということだ。

 

 さて、トレスポ2は言わずとしれたトレスポの続編であり、20年後を描いている。

 20年だ。

 なんて、長い歳月だ。あきれるではないか。

 しかし、20年なのだ。ごまかせない。

 25歳の若者は45歳の中年になり、観客だった15歳の少女は35歳の女性になる。なってしまう。

 感想はというと、あいかわらずおしゃれ、ということがまずはじめにくる。そして、次に来るのが悲哀である。

 みな、おっさんになっているのである。

 失われた20年というフレーズが思い起こされるのである。

 20年前、栃木の片田舎の中学校でさえ、クラスで回し読みされたトレスポだが、今回のトレスポ2は社会現象になっただろうか。次々に打ち出される映画作品の中に埋もれてしまってはいなかっただろうか。

 この映画を観てから、原作者アーヴィンのインタビュー集なども合わせて読んだが、はじめてこの映画がもちろん『ただのスタイリッシュ』映画ではないことにはっとさせられた。毎度のことだが、今さらだ。

 というのも、よくよく考えれば1990年代半ばのスコットランドでなぜ20代の若者の多くが仕事にあぶれてヘロインを打っていたのかということにつきる。当時はその歴史的背景を知らずにただ単におしゃれで麻薬をキメているだけの映画だと思っていた。別にそんな事実的背景さえ知らなくても、十分に楽しめる映画だったのだから仕方ないのだが、この観方はこの映画の本当のおかしさというか笑ってしまうくらいの絶望を理解していることにならない。

 90年代当時、イギリスはサッチャー首相の政治転換で少しずつ景気は上向いている最中だった。しかし、物語の舞台であるエディンバラスコットランドだ。スコットランドは英国の中でも1707年にイングランドと合同してグレートブリテン王国の一部になった。スコットランドとしては不平を言いつつも、大きな反乱を起こすことなく合同してきたが、イギリス全土でも60年代から70年代にイギリス病という長い不景気を起こる中、スコットランドは経済政策からも零れ落ちることが多かったという。つまりは、イギリス中のなかでもスコットランドの不景気は最悪の部類で、そうした社会が若者に安定した職を与えてやれるはずもなかった。。

 つまり、80年代のエディンバラはひどかった。

 パキスタン産の安価なヘロインが横行し、若者を問わず、昨日までビールやたばこで憂さ晴らしをしていたごく普通の人々がヘロインの虜になった。その後エイズの横行で、若者たちが多く亡くなった。

 絶望に次ぐ、絶望。そして本当の絶望は自分が絶望に落ちていることから目を背けることかもしれない。

 そうした若者世代への愛情と批判を元に描かれたトレインスポッティング

 当時小説を読んでいたにも関わらず、そんな描写があったかどうかも覚えていない。

 覚えているのは、レントンが麻薬をトイレに流してしまい、汚すぎる便器に顔を突っ込んで潜っていったシーンだとか、禁断症状に苦しんで地下に倒れ込むように沈んでいく様子だとか、主に麻薬におぼれて徹底的にラリっているシーンだけが鮮烈なのだ。

 15歳だったのだから、仕方がないかもしれないし、トレスポがもっとおしゃれでなかったら当時のスコットランドの社会背景は伝わってきたかもしれない。しかし、その場合は中学生が熱中する映画にはならなかったかもしれない。

 そういうわけで、トレスポを観ても90年代の青春期を迎えたスコットランドの最貧困層でない自分には、イングランドに対する怒りも、スコットランドにたいする絶望も、ヘロインに逃避するメンタリティもわからない。

 むしろ、SF作品では昨今感情を抑制することが国策であるような設定が多い。であれば、幸福感は脳内物質の多寡で決まるという生化学的方法を持って、ヘロイン的麻薬物質が国策として人類に投与されないとも限らない。そうなると、20年前に思春期の少女を魅了したジャンキーというおしゃれな(真実は全く違う)現象は逆に、国家体制そのものに与することとも思える。全然おしゃれでないし、不良っぽくもない。

 それは極端にしても、かつての私の魅了したヘロイン中毒者であるレントンもめぐりめぐって時代があと一回点すれば、またスタイリッシュになるかもしれないなどと思うのである。

 結論。

 この映画を懐かしい思いで観た。

 若者は老人になり、子どもは大人になり、そして死ぬ。

 あいかわらずスタイリッシュであり、同時にみじめな大人になったレントン、シックボーイ、ベグビー、スパッド。それでも、若い頃にはなかった歳月という名のしわの刻まれた彼らの中年顔は、最高にクールだった。

 

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(中年というより、おじいさんではないか。。トレスポ3に期待である。。笑)

 

 

 みんな、一生懸命生きてきたじゃないか、と言えるほどに。