9月2日(土)新感染 ファイナル・エキスプレス(16)韓国 十分面白い! でも、なんだこの違和感?(ネタバレなし)

9月2日(土)新感染 ファイナル・エキスプレス(16)韓国

*ネタバレなしで今回からレビューします。

 

★★★☆☆

 

 十分面白い。

 泣かせられるし、笑わせらせるし、手に汗握る!

 正直『面白かった』でも、なんだこの違和感。

 ああ、そうかこれって水戸黄門に似てるんだ。

 

f:id:hagananae:20170902113516j:plain

 

 

 かつて、時代劇には黄金時代があった。と、語りだすとレビューにたどり着かないため、結論を急がず今回はゆったりと行きます。

 

■ストーリー■

 夜明け前、プサン行き特急列車KTX101号に証券会社で働くファンドマネージャーのソグと彼の幼い娘スアンが乗り込んだ。ソグは元妻の住むプサンに娘を送り届けるために、急きょ会社を休んだのだ。

 その日はスアンの誕生日だった。前日の夜、ソグは例によって元妻と電話で口論になりかけたが、娘の誕生日には部下から教えられた『子どもが喜ぶ最近のおもちゃ』を購入し、その日は帰宅した。しかし、父親から渡されたプレゼントを開けると、スアンは視線をそっと上げる。彼女の視線の先には手元の贈物と同じゲーム機が。

 『去年と同じだね』しずかに告げる娘に対し、言葉をなくすソグ。「じゃあ何がほしいのか」問いかける父にスアンは「お母さんに会いたい」とだけ言う。

 そんな事情でソグはスアンを連れてプサン行きの列車に乗った。

 しかし、プライベートでも部下から仕事の電話がひっきりなしにかかってくる。どうやら投資先の会社が何かトラブルを起こしたらしい。電話にむかって話かけようとすると、隣の席のスアンがいないことに気がつく。

 一方その頃、後列の12号車では異常事態が発生していた。列車が走り出す瞬間、ひとりの若い女性が12号車に駆け込み乗車をしたのだ。文字通り列車に乗り込んだその女性はホットパンツ姿だが、すらりと伸びた両足には紫色の血管が浮かび上がり、女性は片足の太ももを紐で強く縛り付けている。まるでその血管を流れをせき止めるかのようだ。

 彼女は、感染した人間を一瞬にして狂暴化させるゾンビウイルスのキャリアだった。抵抗むなしく、ほどなくして彼女はゾンビ化し、彼女を助けようとした客室乗務員が犠牲となる。その後、感染は拡大。あっという間に後部車両の乗客はゾンビ化してしまう。逃げ惑う乗客の背後で、スアンを探すために前に前にすすんでいくソグ。目にしたものは狂暴化し、人に食らいつく人々だった。

 すんでのところでスアンと合流するソグ。二人は前車両に逃げていく。無事に逃げ切った乗客と、あわや襲撃されそうになった中年男サンファと口論になるソグ。

 サンファには身重の妻がいたのである。後部車両はすでにソンビ化した人々であふれているが、どうやら彼らには自動ドアを開けることができないらしい。さらに、目視した人間を反射的に襲う習性があることを発見するソグ。

 時を同じくして、車内ではゾンビに襲われる街のニュースが流れだす。

 ゾンビに感染した後部車両。

 果たして、ソグとスアンは無事にプサンにたどり着けるのか。

 

f:id:hagananae:20170902113655j:plain

(主人公コン・ユ ソグ役。韓国の方はすごく親近感のあるお顔立ち。。)

 

 

f:id:hagananae:20170902113745j:plain

(対ソンビ戦ですが、民間人が主人公なので、こんなバトルモード。。

 勝てる気がしない)

 

f:id:hagananae:20170902114201j:plain

ゾンビ映画あるあるシチュエーション)

 

 

 

 ■レビュー■

 

 韓国発のゾンビ映画『新感染 ファイナル・エキスプレス』

 原題は『TORAIN TO BUSAN』(プサン行き列車)

 なんだか、邦題も原題もいまいちセンスの感じられないタイトルですが、なかなかよかったです。最近みた映画の中では『不本意ながら』手に汗握り、どきどきし、危ないシーンでは『うわっちえええーーー。あぶなあああないっと!!!!』など意味不明な奇声を上げるほどにはらはらし、ちょい涙しつつ、感情的には右往左往できた優秀な映画でした。

 それなのに、なんで「面白かった」が『』つきかというとですね、私特有の新しさを求める根性というか、目新しいものを観たい習性がありまして、その『今まで見たこともない映画』の基準からすると、かなり低空飛行の成績を収めたからです。

 

 ゾンビ映画において、この映画の斬新ところは『密閉された車内』という舞台装置のみです。

 とはいえ、考えてみるとこれは、かなり怖い。映画、ゲームにおけるゾンビの発生・襲撃フィールドはこれまで街全体であったり、病院、廃屋敷、など「それなりに広い」場所でした。

 それが、車両であり、かつ走行中(しかも時速300キロ)のため、脱出不可能。これにより移動・退避できる物理スペースが限定。さらに、車両はほぼ一直線に建屋を並べた形であり、前か後ろかの移動のみ。これだけ限定されているフィールドでの対ゾンビ戦というのはもし、仮に実際あったらかなり怖い

 しかし、怖いけれどもこれは映画なのです。

 繰り返しますが、新しさはこの一点のみなのです。とはいえ、ゾンビ映画にまつわる恐怖や悲哀や葛藤はもれなく体感できるため、感情的には満足させられます。

 このあたりが、見ていて『面白かった』の『』つきになる原因です。面白かったけれど、それは『こうすれば、こういう感情がおこるよね』という映画業界どころか物語創作におけるテクニックの積み上げでしかないわけです。親子の和解、自己犠牲、主人公の利他精神の目覚め、友情、愛情、二者択一など。ゾンビ映画で幾度となく語られてきた『あるある』がこの映画でもまたしても繰り返されており、その意味では水戸黄門と同じであると言っても過言ではないわけです。

 水戸黄門と聞くと、おじいちゃんおばあちゃんしか視聴者がおらず、しかもテーマは勧善懲悪、ゴールデンタイムスタート、20時40譜に黄門お目見え、41分に「助さん、かくさん、やっておしまい」コール。そして、45分に切った張ったにより事件解決、悪の首魁もことごとく光圀公にひれ伏すという「お約束」。時代劇は予定調和、勧善懲悪、無味乾燥の三拍子であるという固定概念を日本国民に広めてしまった作品でもあります。

 いえいえ、水戸黄門が悪いわけではもちろんありません。

 時代劇はかつては老若男女すべての視聴者をとらえ、江戸時代という日本人にとっては身分社会、鎖国社会、というある意味でファンタジー世界に等しい舞台設定ですばらしい作品を世に送り出した時代もありました。しかし、時代の趨勢とともに予算と技術力の要するファンタジーテレビドラマ(時代劇)はより、安定した方策をもとめ、勝負にでないストーリーフローを作るにいたり、やがて魅力的でなくなり、衰退していったのです。水戸黄門や東山の金さんの桜吹雪や必殺仕掛け人(後期)などは、まさに予定調和の繰り返しであったわけですが、ここまで行かずとも今回の「新感染」を見ていて、私はふいに衰退期の時代劇を思い出してしまったのです。

 繰り返しになりますが、時代劇ももちろん黄金期がありました。多様なテーマで、主人公が必ずしも世直しをするに値する正当すぎる徳川家の御曹司でもなく、それどころか金で人を暗殺する役人やエロ骨接ぎしであったり、やくざな渡世人でありながら、仁義のために自己犠牲をいとわない複雑なキャラクターであったりしました。

 そうした主人公たちが、毎度毎度自分たちの暗部を抱えながらも悪人を斬ってゆくストーリーは「自分たちが世直しをしている」どころか、そんな意識を持ったら自分たちが神様にでもなったと勘違いするぜ。だから金をもらって仕事としてやるんだ、という謙虚というか悪を斬る自分もまた悪であるという認識があり、まさにダークサイドヒーローであり、正義を語るところ必ず悪事が行われるというまっとうな哲学を持っている主人公たちにほれぼれする瞬間でもありました。

 しかし、時代劇が長く続かなかったのはもちろん予算の関係もありますが、このジャンルそのものが衰退していったのは、「冒険」をしなくなったからです。「間違いのない」売れるものを作るために、同じことの見せ場を固定化し、現場の技術も発想も先細りになっていきました。そして、時代から取り残されてしまいました。 

 ゾンビ映画もいずれこの道に近づいているような気がします。なぜなら、感情は狙い通りに喚起されるようなストーリーでしかないからです。

 つまり、ゾンビ映画で喚起されるシチュエーションと感情は以下の要件から決まってくるのです。

  • ゾンビは人の形をしている怪物である
  • 元人間である
  • ゾンビは感染する
  • ゾンビは狂暴なので、身を守るために無力化(死亡)させるしかない 

 

 このゾンビの設定から、身内がゾンビになったときの選択・決断(身内を殺したくないけれど、殺さなくてはならない)という最大のドラマ的葛藤シチュエーションが生まれ、それを乗り越える、もしくは妥協することで、悲哀、挫折、自立、などの感情が生まれます。

 そして、この元人間であり、かつ先ほどまで身内であった家族や恋人を瞬時に殺害するという決断をしなければ、自分、もしくは残された身内が危険になる、しかも人格が崩壊したモンスターになるという最悪のシチュエーションを招きます。

 こういう状況はゾンビ映画ではもはやお約束であり、私もひねくれものではあってもモンスターではないので、もちろん号泣してしまいます。でも、それはある意味でよくできた麻薬と同じで、脳内のセロトニン分泌に直接作用するヘロインのようなものでもあります。

 そういうもので涙を流したり、笑ったり怒ったりすることに、心の底で抵抗している自分がいるのです。

 

 そんなわけで、この映画。

 感情喚起力については、いま言った通りで映画の水準を高く超えています。主人公の変化(成長)とともに、親子の不和は和解となり、主人公自身の自己中心的な性格も仲間との協調、そして自己犠牲へともつながっていきます。スタッフロールが流れる中、この映画を観て「面白くない」という人はなかなかいないのではないかと思います。それは、十分「面白くできている」のです。しかし、なにか無理やり楽しませられたような気がした方は、きっと私と仲良くしていただけれるではないかと思います。

 

 さて、最後になりましたが、主演のコン・ユ。180センチの長身で、胸板の熱い、少しとぼけたお顔のイケメン俳優です。彼の出演作は最新作「密偵」でしか見ていないのですが、今回の主人公はとても自然体で、見ていて安心できました。

そして、最新作「密偵」では頭脳プレイ有アクションプレイ有のレジスタンスの役を熱演。こちらも近々レビューするので、しばしお待ちを。

 では、今回はこのへんで。