8月17日(木) ウォー・マシーン 戦争は話術だ(17)勝利者不在の物語。

f:id:hagananae:20170817163301j:plain

(ネットフリックス限定配信 笑えるけど、そこまで笑えない。クスっとぐらいの戦争風刺映画登場~!)

 

 風刺は、コメディの形をとった悲劇ですが、最終的には偉大な社会批判の手法です。この物語では主人公が英雄から落伍者へと転落する過程で、アメリカのイラク戦争のしりぬぐいがいかに混迷を極めたのか、そもそもアメリカが一方的にはじめた戦争がいかに愚かだったのかを語りたいのだと思いますが、その目的にこの映画の手法がマッチしていたのかな、というと疑問なわけですよ。

 そういうわけで、スタート。

 

 

 

 ストーリー

 ブラッド・ピット演じる戦争の権化であるウォー・マシーン・グレン・マクマホン大将は泥沼化するアフガニスタンにおいて2009年「戦争を終結させる」国家的使命をうけ、かの地に降り立つ。しかしグレンはその使命を頑なに拒否し、戦争に勝利することに全霊を傾ける。

 

 

f:id:hagananae:20170817163427j:plain

(はじめからおわりまでずっとこの表情のブラピことグレン大将。まじでどうかと思う演出笑)

 

 アメリカ的勝利とは、言うまでもない。混迷をきわめるタリバン政権崩壊後のアフガンに自由と民主主義を徹底させることだった。

 戦争の勝利とは、相手を支配することであり、相手の価値観を「自分色」に染めることだ。

 しかし、このアメリカ人以外ならば簡単に理解できる

「いやいや、昨日まで独裁政治だった国を半年かそこらで民主政治にメタモルフォーゼするのって無理でしょう」

 という歴史的国家的むちゃぶりを、予算も兵力もいまいちな状態で続けた結果、「やっぱ無理でした」

 とはいえず、とりあえず適当な感じで形をつくって兵力をひきあげようというのがこの時期のアメリカの真意だ。

 その意図をまったく理解せずに「傲慢な民主主義のおしつけ」を「正義」だと疑っていないグレン大将。彼は有能な部下を使い、組織改革を行い、ゲリラと民間人の区別がつかない中で心身ともに疲労困憊している末端の兵士に「理解しろ」という精神論を使い、誰も望まない兵力の増加を本国に申請し、平和の構築にひた走る。その結果、マスコミにひそかに自らの平和プロジェクトの情報を流し、国際世論の注目を引こうとし、事実成功する。

 しかし、それは本国に猛ダッシュで軍を引き上げたいアメリカにとって障害となり、グレンはやがて追いつめられていく。

 

 

f:id:hagananae:20170817163542j:plain

(ほらね、またこの顔。まじでずっとこの顔です笑 それでいいのか!!?)

 

 

 

 レビュー

 ものごとは始めることより終わらせることのほうが何倍も労力を使う。

 結婚しかり、戦争しかり。

 つまりは、そういう話。

 

 

 この手の戦争風刺映画は、ただカウチポテトをしているだけだとおもしろさを理解できない。

 少なくとも私は、映画の間ほぼブラピしか登場しない映画にクスクス笑いというゆるいコメディ感は味わえたものの、報復絶倒したあとに、なんだか泣けてきたという気分には程遠かった。

 で、911後の圧倒的なインパクトはアメリカ国民ならず、国際社会に怒りという火種をまきちらし、それに「悪の枢軸」というスターウォーズ的はずかしい敵を創作して戦争をはじめたのは子ブッシュだったわけだけど、その新の理由はなんだったのだろう。

 アメリカ同時多発テロをきっかけとしてはじまるアフガン・イラク戦争の真の理由は共和党というネオコンをバックダンサーに持つブッシュが石油への利権を獲得するためだったとか、軍産複合体を国家的稼業にしているアメリカは新作兵器の定期的な「在庫処分」をするために戦争をしたがったとか、色々言われているが、私にはまだあの戦争の全貌というのがとらえきれていない。

 でもまあ、今言った二つのおおざっぱなアンサーは当たらずとも遠からずだろうし、

 そういうわけで、戦争で相手をめちゃめちゃに打ちのめすことに限ってはアメリカはおそらく今でも右に出る者がいないので、思う存分アフガンとイラクをめちゃめちゃにした。

 しかし、戦争における本当の勝利とは、相手の体を打ちのめすことではなく、心を打ちのめすことだ。

 つまり、相手の価値観を自分色に染めること。

 

 この場合、アメリカの「民主主義」という無難だが、色々難点がある政治制度を独裁政治の支配するイスラム圏に浸透させることだった。

 まず、そういうことが半年や数年でできると考える人間がいたら、歴史の勉強を基礎からしたほうがいい。

 実際、それが無理だと大半が思っていただろう。アメリカ人の多くがそのことに気がついていたはずだ。だが、民主主義のすばらしい点はバカを多数決で選んでしまったら、そのバカが民衆の意見の代表者であるリーダーになるということだ

 そういうわけで、民主主義という自由と平等を標ぼうするアメリカは、その自由と平等な民主主義の結果によって、あの戦争をはじめることになった。

 そして、その結果は様々な映画で描かれている通りだ。 

 だからこの映画に関しても

 もう、正直またか、という気もするし、

 まだやれるネタがあったのか、

 という気もするし、

 忘れた頃に思い出せという深い反省も

 読み取れるような気がするし、

 私、また見てるし、大好きだし、

 という気もする。おおいにする。

 それは、もう恥ずかしいくらいに

 

 なんでもそうだが、はじめてしまったことは仕方がない。

 色々他人は言うし、国際社会も学者も色々なことを言う。

 しかし、人間というのは組織で働いているかぎり、自分がやったことではない行動の責任をとらされることもあれば、後始末をしなければならないこともあるということだ。

 そうなったとき、その立場でいる以上「俺が私がやったんじゃないし」とは言えない。せめて、これ以上犠牲を出さない形で終わりにしよう。

 そうやって、オバマ政権以後に彼の補佐についた高官たちがぎりぎりのところで働いていたことは事実だ。それはあの戦争から見たら当然の犠牲であり、苦難であるかもしれないけれど、しりぬぐいをする人々というのは常に存在する。

 そのしりぬぐいというタイミングで人事をされた人々というのは、本当に優秀でないと尻ぬぐいができない。

 だから、この手の映画を見ていると、誰も勝利者がおらず、誰もが敗北者だと思わざるを得ない。戦争を批判し、軍人を罵倒し、タリバンを殺害しても、みながみな、憎悪と怨恨を互いに持つ限り、勝利者はいない

 ジャーナリズムも学者も作家もそれぞれの方法で戦っているのかもしれないけれど、本当に戦っているのは現場の兵士であり、ゲリラであり、イラクとアフガンの人々であり、そして犠牲をより少なくしようろ尻ぬぐいに奔走する政治家であり軍人であると思う。

 

 

 で、結論。

相手を憎むことや相手を攻撃することでしか勝利を目指せない政治家に人々は未来をゆだねてはいけない。