8月16日(水)ギフテッド(17)アメリカ 今回は映画レビューじゃなくて、教育コラムで。少子化と支援学級増加の反比例な現代日本の義務教育制度。

 

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 親子の再生の物語。

 人間が豊かに人生をおくるために必要なものは、二つ。

 家族と社会。

 

 

 ギフテッド:英語で才能はギフト「神から与えらえたものが原義」

       ギフテッドとは、特別な才能がある天才の意味。

       幼少期より数学や音楽など天才的な能力を発揮する人々の呼称。

 

 

 この映画は、本当は観るつもりもなかったし、語るつもりもなかったタイプです。日本では未公開のため、ネタバレなし、映画については簡単な紹介、ギフテッドにまつわる話で進めたいと思います。それでも、なんでレビューしちゃうのかというと、おそらくこの映画の舞台になったフロリダが温暖で海があって、アメリカでいうところの楽園度がなんとなく高くてうらやましいなと思ったからです。西海岸のカリフォルニアやロスアンゼルスのように騒がしくも、目立ってロハス的でもなく、ゆったりと時間が流れる亜熱帯、フロリダ。アメリカ人がツバメのまねをして冬の間をすごすというデュアルライフの聖地。

 

 

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(親子ではないけど、姪のメアリーと叔父フランクの親子でしかない関係。そしてフロリダの海。。)

 

 

 私もツバメになりたい。

 最近、我が家で生まれたツバメ30匹がそろって、南に帰還しました。その切なさもこめて、レビュースタート。

 

 

 フロリダの海辺で繰り広げられる、一人の天才少女とその家族の和解。

 どうやっても、ハッピーにならないわけがない。

 いや、なってほしい……

 

 

 

 ストーリー

 フロリダで妹の子どもメアリーを育てる独身男フランク。彼はフリーのヨット整備士をしながら姪っ子メアリーをホームスクーリングで育てていた。しかしメアリーは数学の天才というギフテッドだった。

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 彼女が7歳になったとき、この教育方針に限界を感じたフランクは彼女を地元の学校に送り出すが、すでに大学に飛び級できるだけの能力を持つ、メアリーにとっては『1+1』の授業は退屈以上の苦痛があった。初日から担任の出した三ケタの掛け算を暗算でクリアし、学校は通常教育よりも、英才教育を掲げた奨学金の出る学校を勧める。しかし、フランクはメアリーの母であるダイアンがそれを望まなかったとして、彼女を『普通の環境』に置くことに固執する。

 そんなとき、長い間音信のなかった彼とダイアンの母親、ロベルタが現れる。メアリーの数学の才能は母親のダイアン譲りであり、ダイアンは数学のノーベル賞を受賞するほどの才能の持ち主だったが、自殺をしてしまっていた。フランクはそのこともあり、自分自身もかつては大学で教鞭をとっていたが、そのアカデミックな世界からメアリーを遠ざける目的もあってフロリダの田舎で静かに暮らしていた。しかし、そこにかつてダイアンに英才教育を与えていた祖母ロベルタが現れる。

 ロベルタは孫娘メアリーの才能をより開花させようとし、フランクはメアリーを普通の子に押しとどめようとする。

 二人の対立はやがて誰もが望まない親権争いに発展してゆく。

 

 

 

 

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 (主演フランクにクリス・エヴァンズキャプテンアメリカの人、、って見てない)

 

 

 レビュー

 ヒューマンドラマの王道。

 一人の子どもが育つためには、愛情が基盤にあり、それがなければ才能さえ行き詰まる。しかし、才能をのびのびを伸ばすためには、適切な教育もまた必要だ。

 愛情の象徴である家族。才能に水と費用を与える教育、環境。

 この二つがそろった時、人は才能を開花させる。

 

 この物語は、天才の母親から生まれた娘もまた天才だったが、その天才故に不幸になった過去からその世界からできるだけ遠ざけようとする代理父と姪の物語だ。

 メアリーの才能故に周囲との摩擦が起きていくが、これはなにもギフテッドと呼ばれる天才児を子に持つ親だけの話ではない。

 「普通の子」と違うという意味においては、天才児も発達障害と呼ばれる子どもたちも大した違いはない……かもしれない。

 いや、実際は違うのだろうが、「普通」であることを軸にさまざまな社会制度、とくに学校や教育が行われていることを考えれば、親にとってまさに「普通の子」こそが、手のかからない子どもになる。それでなくても、子どもを育てるということは大変なことであるのに、である。

 メアリーの場合は数学の天才ではあるが、情緒は七歳児である。しかし数学の一点においてとびぬけている子どもが、並の学校で並の教育にうんざりしている状態は、虐待ともいえる。物語冒頭で描写される「メアリー、退屈な授業を受けるの図」はまさにそれだ。

しかし、代理父であるフランクは姪っ子の才能がやがて母親であり自分の妹であるダイアンに起きるであろう「才能からの苦悩、自殺のフロー」に恐れをなし、姪っ子の才能をできるだけ伸ばさない教育方針をとる。

 虐待や、ニグレクトなど警察が関わるような親子問題を見るにつけて、この手の問題は子どもの問題ではなくやはり「親の問題」だと思わざるをえない。

 この場合も本当はフランクという代理父親のことが大好きなメアリーは、祖母とフランクの親権争いに巻き込まれてしまうが、フランクが妹の「ギフテッド→苦悩→自殺」というフローが必ずしもメアリーに起こるものではない、という認識を得られれば、実の母親であり、メアリーにとっても祖母であるロベルタと係争することもなかっただろう。そして。互いに苦痛と孤独を味わうこともなかっただろう(もちろん、それでは映画にならいないが)

 だが、子どもの教育というのはそれほど親にとって慎重にならざるを得ないものなのだろう。

 日本の学校教育の現場では、ギフテッドと呼ばれる能力の存在はまだまだ認知されておらず、飛び級という制度も存在しない。メアリーのような才能の子は一定数日本にもいるはずで、家庭環境が特別でないかぎり、この才能は正規の学校教育の中では無視され続けるだろう。この映画によって、日本の学校教育制度のなかでもギフテッド認知が進めばいいと思う。

 一方で、「普通ではない」のもう一つの極、いわゆる発達障害という概念は認知されるようになった。ひと昔前までたんに「手のかかる子」とだけ言われていた子どもは、アスペルガー学習障害ADHDとカテゴライズされ、通常学級では「目立つ」が、特別支援学級(旧呼称:特殊学級)に入るほどではないというボーダー(境界)診断をされ、この子どもたちの数は年々増加傾向にある。

 つい先日も地区の教育関係の意見交換会に出席したときのこと、県の教育委員会から提示されたのは、いまさら言うまでもない子どもの減少傾向だが、全体的な子どもの数が減っていにも関わらず、支援学級の子どもたちの数は大幅に増加改傾向にあるというグラフを見せられた。つまり、それだけボーダー診断をされている子どもたち母数が多く、その中からより「重い」と診断、もしくは親の意向で「支援学級」に入れられる子どもたちがいるということだ。

 実際、このボーダー診断された子どもたちの学習支援をする放課後サポート教室なるものも増加傾向にあり、助成金がたっぷりとでることから、民間の業者が多数参入し、去年、宇都宮市でも70近い施設が立ち上がったという。放課後の支援学校には50台もの業者のバスが列をなし、渋滞しているという話もある。

 つまり、ボーダー診断された子を持つ親としては、「ではどうすればいいのか」という一つのアンサーとして、こうした放課後教室を利用するのだ。しかし、実際、学童保育よりも安価な費用で利用できる施設が「金儲け」だけを念頭において経営しているケースは少なくない。

 問題は、こうした「普通とは違う子」達を社会全体でどうサポートしていくかなのだ。ギフテッド、発達障害。こうしてカテゴライズして、そしてそのあと子どもたちをどうサポートしていくのか。こうした子どもたちが「普通であること」を押しつけられているよりは、認知されるほうがずっといいが、認知はスタート地点でしかない。

 ともに愛情と適切な水と肥料を与える教育をしていくことが、めぐりめぐって私たち社会や個人の幸福になっていくと思えば、「違う」から「色々あってすばらしい」教育制度になることが大事だと思う。そして、日本はまだこのスタート地点に立ったばかりだ。

 ギフテッドと、学習障害、どちらも大枠でみれば、「普通でない」となる。この子どもたちがより認知され、具体的な制度が構築されるきっかけに少しでもつながればいいなと思う。

 

 

 

 というわけで、映画レビューというより、教育コラムになってしまいました。

 私自身は、まだ結婚も子どもにも縁がないのですが、子どもができたらバカ可愛がりをして子どもに迷惑をかけそうな親なので、夢中になる仕事をもってバランスをとるのがいいかと思っています。

 親が健全であれば、子どもは健全に育ちます。

 それができなければ、社会全体でサポートを。

 この映画をきっかけとして、日本の教育制度ももっと充実すればいいと思います。

 というわけで、また次回

 日本では11月公開ですので、興味がある方はぜひ劇場で。