8月11日(金)ドント・ブリーズ スリラー映画ってほんとうにスリリング?

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(2016 アメリカ制作 スリラー映画)

 

 色々考えてしまった結果、もう「怖い体験」は映画では終わった。怖さを疑似体験するなら、ゲーム。それもVRしかない。

 

 いきなり否定から始まってしまった「ドント・ブリーズ

 直訳:息するな

 意訳:静かにね

 

 ジャンルはスリラーですが、「これって怖い?」と自問自答を繰り返してしまう映画でした。

 いえいえ、映画自体は「怖い見せ場」満載です。

 ですが、「怖がらせる」仕様がパーフェクトになりすぎた結果、妙に冷静になってしまう。そして、そんな自分に罪悪感のスパイラルに突入、スリラー映画ってなんだろう。がはじまってしまうそれが、スリラーな映画……

 

 それでは、いってみましょう。

 

 ストーリー

 アレックス、マニー、ロッキーは火宅侵入&軽微な窃盗と悪戯を繰り返す若者三人組。住宅セキュリティ会社社長を父親に持つ青年アレックスが父親の机から鍵を持ち出し、マニーとロッキーのカップルとスリーマンセルで小遣い稼ぎを繰り返す日々。

 そんなある日、マニーは盗んだものを売りさばく業者から郊外に住む退役軍人の老人が自宅に金をため込んでいるという情報を仕入れる。

 はじめ、裕福な御曹司のアレックスはこの話に乗り気ではなかったが、紅一点のマニーは生活事情が切迫していた。マニーは母子家庭で男を連れ込む母親から妹を守るためにまとまった金をつくり、街から出たい一心でこの企画にとびつく。

 そんな彼女にひそかに思いをよせるアレックスはほどなくして、この話にのることになった。

 今回のターゲットである老人の家は荒れ果てた郊外にあった。

 好都合なことに周囲4ブロックは空き家で、警官の巡回もない。強盗をするには最適な環境だ。そんな三人の前に黒い大きな犬を連れた老人が現れる。

 黒い狂暴な犬は三人の乗る車の窓に激しくかみつき、窓ガラスをよだれと牙で汚していく。その犬を呼ぶ声がして、そちらを見ると、杖をついた老人が歩いていく。どうやら飼い主らしい。その人物こそ今夜のターゲットだった。杖を突いていることからして、老人は盲目のようだ。

 目の見えない老人から金を奪う?

 ロッキーの不安げな声にマニーが自信ありげに返答する。

 盲目だからといって聖人であるとはかぎらない

 そして三人は深夜老人宅に侵入する。

 狂暴な犬を睡眠剤入りの餌で眠らせ、老人の部屋には睡眠ガスを投入し、いよいよ鍵のかかった部屋の前に集合した三人。この扉の向こうに大金が眠っているにちがない。

 しかし、扉に取り付けられた南京錠は頑丈そうだ。マニーは9ミリ拳銃を取り出す。

 銃をつかってまで、金が必要か。

 良心と恐怖心からアレックスはこの件を降りると言い、止める二人をふりきって出ていく。ロッキーはペットボトルをサプレッサー代わりにして、錠前に狙いを定める。

 轟音とともに、扉の蝶番が外れる。しかし、直後、二人の背後に老人が立っていた。

「誰かいるのか」

 とっさに銃を構えるマニー。

 しかし使い慣れていない銃で脅しても、百戦錬磨の退役軍事である老人に効果はない。盲目の手探りのまま、マニーの警告もきかずに銃にゆっくり近づいてくる。

 そして、CQC。あっさりと銃を奪われたマニーは今度は老人に脅される。

「何人できた?」

 悲鳴を押しとどめようとするロッキーを一瞥して、マニーは答える。

「一人だ」

 そして、命乞い。

 だが、老人は銃をマニーのこめかみに向けて発射。

 マニーはその場に倒れ、ロッキーは音を立てずにあとずさりして、背後のクローゼットに隠れる。

 その頃、銃声に聞いたアレックスは再び老人宅に入る。すると廊下で老人とすれ違う。

 すんでのところで老人をかわすアレックス。みると老人は玄関に錠前をとりつけ、さらにトイレの窓に板を打ちつけている。自宅を内側から封鎖しているのだ。俺たちを逃がさない気らしい。恐怖に声をあげそうになるアレックス。

 そこにロッキーからラインがとどく。

 あいつ、マニーを撃った。

 クローゼットにいる。助けて。

 

 一方、ロッキー。

 クローゼットからはい出そうとすると、すぐ近くまで老人が入ってきて、クロゼットの壁の一部をはがし始めた。

 ロッキーが見ていることには気がつかないらしい。なんとそこには隠し金庫があり、老人は手を入れて中身を確認すると、安堵したのか出ていった。

 ロッキーは暗証番号が消える瞬間数字を暗記し、老人が去ったあと金庫を開けて金を取り出す。なんと100万ドルという大金だ。

 二人は合流し、逃げ場は地下室にしかないと判断しそこへ向かうことに。

 

 一方、老人はマニーの死体を片付つける途中で、おかしなにおいに気がつく。匂いの先には三人がぬいだ靴が二足あった。直観がひらめいた老人は急いでクローゼットの中身を確認する。

 金がなくなっている。

 老人は殺したあの青年が嘘をついていたことを知る。さきほど、金庫の中身を確認してから間もない。その間に、もう一人の犯人が金を持ち去ったのだ。しかし、自分は目が見えない。

 どうすればいい。どうすれば、盗人を捕まえられる?

 その時、地下室にとりつけてあった鐘が鳴り響く。あの音は……老人はゆっくりと立ち上がった。

 その頃、地下室に降りた二人は恐怖に声を上げそうになった。

 手足を鎖で高速され、ガムテープを口に巻かれた女性が監禁されていたのだ。

 よく見ると彼女は、行方不明になっているとされた女性だった。かつて老人の娘を自動車事故で殺害し、多額の示談金で和解したはずの女性。彼女がなぜこんなところにいるのか。

 二人にはわかった。あの老人だ、あの老人が彼女を監禁したのだ。マニーを有無を言わさず殺害したあの老人が……

アレックスは鍵をとり、老人が来る前に逃げ出そうとする。しかし、唯一の脱出口と思われた地下室の扉を開けた先には老人が待ち構えていた。

 銃口から火花が飛び散り、三人にむかって放たれた。

 

 

 

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 (この画像。。もう、悪い予感しかしないという(笑))

 

 

 

 レビュー

 なんでしょうか。

 色々考えてしまいました。

 なんていうか、色々です。

 まずもって、率直な疑問は「映画をもう怖いとは思えなくなってしまったか、自分」です。

 ストーリーは今お話ししたとおり、盲目の退役老人から金をもって脱出しろ、というシンプルな強盗のお話です。

 いかにも3章仕立てのサバイバルゲームになりそうな仕様ですが、この映画、ゲームだったら怖いんだろうな、と思わずつぶやいちゃいました。

 

 そうなんです。

 

 この映画。

 ただ見ているだけ、それもPCの画面で見ているだけでは、全然怖くないんです

 理由はその怖さがもうあまりにも「様式化」されたものだからというのが大きいです。

 つまり、怖さを追求した結果、怖さに意外性がなくなってしまったということが第一。

 とはいえ、映画で怖さを喚起させることができなくなったわけでは絶対ないのです。たとえば、前回レビューした「アシュラ」あれは、人の怖さを暴力でなく、異常な行動で見せていました。

 人間としてあるべき姿からかけ離れた行動をとる政治家を見た瞬間、いままでにない異常を見たということで、映画でも十分怖がることはできました。

 ようするに、スリラーやホラーで使い古されてしまったた暗闇やら突然やらという要素に、妙になれすぎてしまった私の映画・ゲーム大量消費世代が今直面している問題がこの映画によってあぶりだされてしまったといえばいいのでしょうか。

 

 あー、こうくれば、ああなるよね。

 という非常に冷めた感じで主人公たちだけが「きゃあきゃあ」言っている映像を静かに眺めてしまう。それも、3倍速で見ていたりする。

 もし、これが映画館でみていたら、少しは違っていたのかもしれません。

 でも、映画を映画館でみるほど、魅力があるのかというと、現代において残念ながら私にとっては難しいです。

 DVDさえ、レンタルせずに有料動画サイトで2倍速で見ていて、それである程度満足してしまう昨今、映画館で映画を観るというのは、なかなか上位にランクインしない娯楽です。

 お気軽に自分の部屋で見られてしまう。

 

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(まさにスリラー・ホラーのフロー通り。助かる割合もキャラも今、あなたが予想しているお約束通りです。それを安定というか、堕落というかはあなたしだい)

 

 この「楽しみ方」がもはや、スリラー映画をスリラーでなくしてしまう原因だとすれば、あとはVRで体感するように感覚を完全没入型にしなければ、「ありきたりの様式スリラー」に驚けないのかもしれません。

 もうひとつ恐怖を体感できる方法としては、感覚を映画の状況に埋没させてしまう方法があります。具体的にいうと自分が主人公と同じ状況に放り込まれてサバイバルするゲームというジャンルに映画を変化させてしまおうということです

 これなら、ありきたりな暗闇、ありきたりな「音を立てるな」ルール、にもかなりの恐怖感を味わえるのではないかと思います。

 主人公を傍観するのではなく、主人公が生き抜くために、自分が判断をするというゲーム要素があれば、ありきたりな世界観でも十分臨場感が味わえるのではないでしょうか。

 

 映画は、もともと「それなりの怖さを追体験」できれば、それで十分だったのだと思います。本気で衝撃を受けるとトラウマになりますし。

 しかし、それがネットサービス普及による消費の仕方の変化やその結果として消費しまう人々が増えた結果、「十分レベルの高い恐怖」が「あるある怖さ」に格下げされしまった。

 それは悲しくも十分に完成された恐怖を演出しているけれど、全然怖くないという状況を引き出すことになってしまいました。

 そんな映画の未来はもしかするとVR体験型に変化するか、自らがプレイヤーとなって生き残る判断を迫られるゲームとするか、それとも映画のままで新しい怖さを創出するしか、ないのでは、なんてそんな風に思った次第です。

 そういうわけで、それほど「怖く」ないので、スリラー苦手な方にはおすすめという反転したレコメンドをして終わりにしたいと思います。