8月1日(火)ファーゴ(96)米 幸せってなんだろうと勝手に悩んでいるバカの感想

 

 幸せってなんだろう。

 幸せの形にも不幸の形にも普遍性なんてない。

 だから、考えれば考えるほど泥沼にはまっていく。

 

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(ファーゴ(96)米 コーエン兄弟監督)

 

 

 今月のレビューは、ちょっと形を変えて、あまり映画には言及せずに映画を素材にして、日記を書こうと思います。

 先月はノルマの月だったので、数をあげました。

 きつかったです。

 後半鬱になりました(笑)いまやっと回復して、明日っていうか、今日から会社に復帰できます。

 過ぎてみると、やっぱり症状は軽かったようです。

 まあ、好きなことをやっていたので、多少疲れても、すぐに回復しました。

 すばらしい自分の体。

 

 さて、このブログ。

 映画だか、日記だか、創作メモだかわからんことになっていますが、目的が思考を掘り下げることでしかないので、読者様にとっては、方向性がわからない代物になっていると思われますが、基本、自分の思考の爆発(はしてない。それほどエネルギーに満ちあふれてないだろう)を書き留めるのが基本スタイルなので、あいすみません。

 ただ、映画レビューは少ししたらまとめようと思います。

 せめて五十音順に検索できるようにタグ付けしようと思います。

 実際、そこまで数がないので、不要かもしれないのですが(笑)で、今月の予定はレビューを20本近くあげようかな、と思っています。

 映画レビューはそれで一区切りとして、とりあえず、9月からはまた何か新しいことをしようかなって思います。

 

 

 そういうわけで、「ファーゴ」

 

■ストーリー■

 アメリカ・ミネソタ州ミネアポリス。自動車販売会社の営業担当の中年男ジェリーは、多額の借金を抱えていた。そこで、整備部の前科者からあるチンピラ二人と連絡をつけて、妻の狂言誘拐で金を作ろうと考える。計画は妻を誘拐させ身代金の一部を借金にあてるというものだ。ぱっと見、簡単、どう考えても穴だらけのずさんな計画は、チンピラが妻を誘拐し、逃亡する途中で警官と遭遇、殺害し、現場を通りすがりの住人2名も虐殺したところから狂い始める。

 殺事件となり、捜査にあたったのは、身重の地元女性警察署長マージ。マージは、中年になってから画家の夫の間にできたこどもの出産を2か月後にひかえ、大きなお腹を抱えながら捜査をはじめる。

 一方、死亡者が3名も出てしまったことから慌てふためく、そもそもの主犯ジェリーをよそに、チンピラ二人は報酬の引き上げを要求してくる。誘拐のためにチンピラに横流しした車の件もあちこちからつつかれはじめ、ついに身代金の受け渡しにまで養父がしゃしゃりでる始末。

 結局、計算外の成り行きによって養父も妻も死亡。最後は、チンピラ同士が仲たがいし、片方を殺害。

 マージが白い雪の中、盗難車の置かれた敷地に近づくと、鮮血のほとばしる粉砕機に、切断された足を突っ込む男を発見。雪原に逃走する男の足を撃つと、マージは犯人を確保。

 パトカーの中で、マージは犯人に訪ねる。

「6人も殺してしまって。お金のため? 人生にはお金よりいいものがたくさんあるのに。見まわせばあちこちに転がっている」

 その言葉に犯人は無言のまま視線をそらす。

 どこまでもつづく雪原のなか一台のパトカーが走っていく。

 時を同じくしてジェリーも逮捕。

 雪の中の物語は静かに幕を閉じる。

 

 

■感想■

 コーエン兄弟のヒット作、「ファーゴ」

 これね、有名すぎる作品です。

 マージ役の身重の警察署長演じる女優が本作品監督ジョエル・コーエンの奥様なのですが、どう言っていいのかわからない濃いキャラクターです。

 別に発言も外見も、ただのおばさんなんですが、存在感があるというか、まあ市原悦子のような圧倒的なものを持っている女優さんなのでしょう。

 そういうわけで、ストーリーは歳月ともに忘れてしまいますが、雪のなか身重の体を引きずりながら犯人確保に向かうこのマージの姿だけは妙にいつまでも記憶に張りついているというそんな物語です。

 チンピラのスティーブ・ブシェミは、ほんとうに犯罪者顔というか。映画でも「とにかく変な顔よ」と、目撃者に連呼されるという。なんていうか、俳優冥利につきるお顔です。

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(チンピラ2名 悪い予感しかしない)

 

 そういうわけで、良質かつ地味な映画と言ってよく、まさにカウチポテトをしながら安心して鑑賞できて、さらに余韻が残るという名作です。なんだか、最近、こういう映画みていません。

 

 さて、個人的にこの映画を観たからというわけではないのですが、「幸せ」について、考えています。

 幸せって、家族がいて仕事があって、仲間がいて、充実した趣味があって、使えるだけのお金があって、と最大公約数的に言い表すことができますが、自分にとって、それがどうもぴんと来ないなあと思って落ち込んでいます。

 7月が本当に忙しくて、仕事もブログもことのほかイベント目白押しでめちゃめちゃで、昨日ついに体調を崩してしまい、ふと「こんな生活でいいのか」と悩み始めました。

 まあ、悩んでいると言えば、30歳からずっと悩んでいます。

 それは、自分がどうやって幸せになるのか、イメージが鮮明に描けないからなんですね。いや、イメージは描けています。

 理解しあえるパートナーがいて、仕事はフリーで家で著述業で、子どもが一人いて、猫もいて、両親も近くに住んでいて、みたいな感じです。ほら、シンプル。

 でも、その幸せがまた難しい。

 プロの著述業になれるのは、まだまだ先だろうし、そのために仕事の他は独立の準備ばかりしているので、恋愛もままならないし、そうすると一生一人かもしれない、とか思って、今していることは無駄なんじゃないかと思ったり。

 そんなこんなで、自己啓発的な「がんばっているのに、うまくいかない本」を読んでみたり。それも2冊。

 結論。

 ライト過ぎて、優しすぎて、私には向かない。

 でも、ラストの「自分にとっての幸せを考える」の項目にやられました。

 そう。

 私にとっての幸せ。

 その幸せをゴールにして、どう「がんばるのか」考えるのが重要なのだと。

 はい、当たり前の話です。

 でも、できていないような気もすごくする。

 もしかすると、幸せのイメージはつかめているのかもしれませんが、その手段が見えていないのかもしれないな、と思うわけです。

 で、もう書くのやめようかな、と思ったり。

 でも、書くのやめても、私には何も残っていないんですよね。

 本当に、ほかにしたいことがない。

 仕事だって、公務員で、できることよりできないことのほうが多いし、むしろありあまるエネルギーがあるなら、転職したっていいくらいのぬるまゆで退屈な職場。

 だったら、今のこのままがいい。

 今ここで、がんばってみよう。

 と、何十回目かのサイクルに戻る。

 周囲は結婚して、子ども二人目になるのに、私はいつまでもひとりで、毎日机にむかって、独り言を書き留めて。

 いったい、神様はどんなつもりで私をこんなアクの強い、めんどくさい気質に生んでくれたんだろう、と悪態をついてみたり。

 まじで、生まれたの失敗じゃん。

 とか、思うのですが、私、変に神様って私の味方な気がしているんですよね。

 実際、周期的な「生きるのめんどくさい。全て終わりにしたい」という自殺願望的なものは頻度が高くなっているんですよ。ほんと、生きるのに疲れちゃうことが年々多くなってきて。

 でも、落込みの底が私は意外に明るくて、落込みすぎると「すべてを終わりにしよう」というより、「まあ、もう終わってんだから、だめもとでやり直すか」と、なる。

 実際、その気持ちの持ちようが現実で「とりあえず、やるか」で済ませられるほど、私の生活の基盤があんがいしっかりしているのも事実で、そうなると「勝手に悩んでいたバカ」みたいなことになって、ちょっと苦笑もしちゃうわけです。

 まあ、そうは言っても、無駄に自分の好きを追いかけていて疲れちゃう自分をそこまで足蹴もしないんですけどね。

 なんだかですね、今日はそんなことを考えていました。

 幸せってなんだろうって。

 おそらく、幸せって単純なんですよね。

 家族がいて、猫がいて、くだらないことをしゃべれる相手がいて。

 でも、家族を守って、守るために仕事をして、それだけじゃなくて、仕事で楽しさや充実さを味わいたくて。

 そういう欲望があるから、大変なのは当たり前で。

 だから、きっとどうしてもつらくなったら、つらい欲望の原因をあきらめればいいんですよ。

 だから、さっきの「ライト」な自己啓発でも「あきらめよ」って口には出さないけれど、そう言っている。ただし、あきらめたらそこで試合終了だけど、人生は続いていくわけで、じゃあ次になにするのって、なる。

 私にはいまのところ、次がない。

 そう思っているだけかもしれないけれど、まだチャレンジできる猶予がある。

 欲望のためにすべてを失ったとしても、人生一度きりなんだから、かなわなかったことは来世にまかせていいんじゃないかと思う。

 まあ、これが遺書にならないように、しばらくは自分を追い込まずゆるゆる生きようと思います。せめて、あと二日。