7月14日(金)映画:オデッセイ(15)は火星サバイバー実況者の悲鳴(オールタイムベストな予感)

 

 

 

 

 

 

 

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アレス3という火星有人探査プロジェクトにより、6名のクルーが火星に降り立った。しかし任務途中の大嵐により、火星脱出用ロケットが傾いてしまう。

ロケットが倒れる前に乗り込まねば、全員が火星に取り残される。

突然訪れた緊急事態にクルーはとるものも取らず、ロケットに向かうが、移動の最中、大風に吹き飛ばされたアンテナがマーク・ワトニーに直撃。

トワニ―はアンテナごと吹き飛ばされ、砂嵐の中に消えてしまう。

クルーはトワニ―を捜索するも、彼を死んだものとして、断腸の思いで火星を飛び立つ。

 

 マーク・ワトニーは苦痛と息苦しさで目覚めた。視界は暗転。腹部に猛烈な痛み。聞こえるのは無機質な緊急自動音声アラームだけ。

 なんだ、俺はどうした。

 ここはどこだ。

 なにが起きた。

 この痛みはなんだ。

 ワトニーは砂に埋もれた上半身をやっとのことで起こした。

 火星活動スーツに包まれた体はなまりのように重い。

 ふいに激痛が強まる。

 うめき声。

みると腹部に金属のピンが突き刺さっている。

耳元の警告アラームにいらいらさせられる。

腹にはピン。

どっちが先だ。

腹か、息か。

呼吸が先だ。 

ワトニーは左腕のウォッチ型のデバイスの砂を落とし、酸素レベルの警告を停止させる。

音声が止んだ。

同時に腹部の激痛が津波のように押し寄せてくる。

とりあえず、腹にささったこいつをなんとかしなくては。

よろめく足取りで立ち上がったとたん、いまいましいピンがのめり込んだ腹の中で大きくかしいだ。さらなる激痛が脳天まで貫いた。

 なんと金属のピンから線が出ており、その先はアンテナに繋がっている。

まるで放置されたアンテナが自分ひとりだけで置いていくなと言わんばかりの所業だ。

いや、悪いがおまえに付きあっている時間も元気もない。

ワトニーは自分に言い聞かせた。

 落ちつけ。落ちつくんだ。

 一呼吸し、活動宇宙服のベルトからハサミをとりだし、ピンに繋がった線を切断する。

何度目かの激痛。

痛みに倒れ込みたくなるが、正直倒れるほどではない。

そこが厄介なこところだ。

 立ち上がり、よろめく足でハブ(火星の居住空間)に向かう。太陽はすでに中天にさしかかっている。

 誰もいない火星。

 そうか、自分は置いてかれたのか。

 ワトニーは痛みで冴え切った頭でそう判断する。

昨日の大嵐が嘘のように静けさに包まれた火星。その風景の中には彼と彼の仲間が載ってきたロケットはなく、仲間の姿もない。

 わかっていたことだ。

 彼は自分に言い聞かせるように心の中でつぶやいた。

 何がおきたかわかっている。

 目が醒めたときから、嫌な予感しかしなかった。

 だが、考えるのはあとだ。

 今はやるべきことは、腹部にダメージこれ以上加えないように、落ち着いて行動し、つまり、一歩一歩着実に歩いて、ハブ(居住空間)にたどりつかなくちゃならない。

 ハブについたら、傷に触れないように服を脱ぎ、ピンを抜き、傷を消毒し、麻酔を打って、ピンを外したときに腹部に残っているだろう金具を鉗子でとりのぞく。

 たしか注射型の麻酔があった。それをしこたま打てば、自分で自分の傷口を切開して、鉗子を傷口に挿入して金具の一つや二つとりのぞけるだろう。

そのあとで、ホチキスで簡易縫合する。

抗生物質はいらない。

そもそも菌は火星では寒すぎて繁殖しない。 

だが、信じられない。

まじでこれを一人でやるのか?

ああ、もちろんだ。

もう一人の冷静な彼が脳内で答える。

DO IT YOURSELF.

そりゃそうだ。

わかっている。

もうここには誰もいない。自分でやるしかない。

 彼はハブにつくと、その通りのことをする。

 

 そして、陽が落ちて、いつものように砂嵐が来る。

 いつもと違うのは、ひとりぼっちということだ。

 狭いが快適な空間だと思っていた6人用の居住スペース。

ミニマムで必要最小限のせまっ苦しさ。今はとても広く感じる。広すぎるくせに息苦しい。

 これからどうするか。

 彼はとりあえず、状況を整理しようとする。問題解決のためには、まずは現状を整理しなくては。

 問題解決のためには、理想形にたどりつくまでのギャップを埋めなくては。

そのためには今の僕の立ち位置を確認しなくては。

 彼はモニターを起動させ、カメラの前で現状を並べてみる。

 どうもおはこんにちは、マーク・ワトニーでっす。

 火星のローンサバイバーで、残念ながら、この実況動画はNASAにはリンクされていません。

 だから、これはほぼ独り言になりまーす。

 というわけで、記録のためにこれを残します。(でも、画面の向こうのみんなは見てくれているよな)

 まずは、落ち込んでもしかたないので、僕の置かれた現状整理からしてみま~す。

 さっきも言ったとおり、NASAとの通信手段はなし。

 そして、次の火星の有人探査は4年後なんだ。

 次にインフラの不具合からくる危険について考えてみようか。

 まず、システムの酸素供給がストップした場合は僕は窒息死する。

 それから水再生器が故障したらやっぱり渇きで死んでしまう。

 さらにハブ(居住空間)に穴が開いても、減圧されて僕は爆死する。

 で、今あげたシステムの不具合がなくても、食料が尽きれば餓死することになる。

 

 今はこんな状況で~す。

 現状並べてみたけど、なんていうか先が見えないよね。

 というわけで、今夜はここまで。(実況時間は一分ちょとだけど、今日は色々なことがもうあって心がもたないんだ)

 そういうわけで、次回もお楽しみに。

 

 ほんじゃあ、またな。

 

 

 

 さてさて、いまさら見ました「オデッセイ」についてのレビューです。

ブログタイトルで、オールタイムベスト、といきなり大きく出ちゃいましたが……まじでいい映画でした(笑)

 ハリウッド映画賞、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞三冠受賞をはじめとして、9つの名だたる賞を受賞。

 いまさらおまえが推さなくても十分わかっているからさ、という声が聞こえてきそうですが、その通りです。

 あえて文句もつけず、今回のレビューは絶賛方向と行きますが、それでも例によって映画ですから、好き嫌いはもちろんあります。

 かくいう私、この作品、上映時期はアメリカで一昨年、日本でも昨年公開しているわりにはいまさら見たところからもそれが感じられませんが。

 今の今まで見なかった理由のひとつは、【火星からのぼっち脱出・サバイバル】というあるあるのストーリーです。

 だいたい、どんな展開をするのか予測ができちゃいませんか(つまりコンセプトに目新しさを感じなかった)

 もう一つは【主演がマッド・デイモン】(でっかいゴリラみたいな外見がデビュー当時から苦手で、しかもレオナルド・ディカプリオの劣化版に時々みえる。でもレオを推してるわけじゃない)

 という、独断と偏見に満ち満ちたストーリーと主演俳優という映画の二大要素のどちらも【あれな】印象のため、この映画に長らく手が伸びませんでした。

 しかし、そのどちらもがよい意味で裏切られたのでした。この映画で、マッド・デイモン、うすうす好きになりかけてきたのですが、まじで今更好きになりました!笑

 

 

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 さて、監督は、御存じ映画界のゴッドファーザーリドリー・スコット

 映像美で知られる監督の【やや映像美にこだわりすぎるあたり、ストーリーはまあ適当で】と、ときどき大きく期待がゆらぐパフォーマンスも今回は鳴りをひそめ、ストーリーも映像も最高のバランスでお届けされています。

 火星に一人取り残されるスペースカウボーイにマッド・デイモン。

 当初は例の筋肉隆々のどんな役をやってもデカくゴツい、それでもなぜか理系天才・学者肌の表情をはりつけた文武両道の透きのない(つまりかわいげのない)パーフェクトヒューマン仕様で登場。

 しかし火星の長すぎる滞在のせい(おかげ)でラストは、がりがりに変貌、結果としてかわいげオプション追加、健気さマックス値更新、行動が地に足がついた(ずっと火星の地表で行き詰っているし)男になっていくあたり、アンチ視聴者(私)の彼に対するラブ閾値がバブルのように膨張していきました。

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 そして脇をかためる女優陣も宇宙飛行士らしく、同プロジェクトキャプテンに「ゼロ―ダークサーティ」主演のジェシカ・チャスティン。(写真左上)今回も赤毛の知的美人で熱演。

 同じく宇宙飛行士兼システムオペレターにケイト・マーラ。(写真下中央)彼女は【オデッセイ】のあと、【モーガン】でプロトタイプ生物兵器を演じたこともあるこれまた整いすぎた怜悧な無表情美人。

 地球側でバックアップするNASAのおっさんたちこそバリエーション豊かで、人類の頭脳のトップに君臨するにふさわしいラインナップとなっています。

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(オデッセイ:キャスト。誰がだれだか、、とりあえず、いろんな人がでてます。

 右端は監督だと思います。。雑な説明だな)

 

 NASA長官にジェフ・ダニエルズ、今回のミッション(アレス3)のフライトディレクターにショーン・ビーン

 二人は組織の保守派と仲間を助ける危機打開派という対立構造のトップを象徴する白人おっさんの立ち位置ですが、彼らの下で具体的に救出行動をする火星探査責任者をキウェテル・イジョフォーが熱演、さらにより戦略を戦術に落とし込むジェット推進研究所(JPL)所長をベネディクト・ウォンが演じています。

 

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(↑ベネディクト・ウォン(笑)写真がなかった。。マルコポーロ出演時のフビライ・ハン役 よりよって、、フビライとは。。。フォローするすべがない)

 彼の平らな顔はよく韓国人に間違われる私としては、かなり親近感を感じます。

 

 さらに、アメリカのロケットがことごとく使えなくなった状況で手を差し伸べる中国国家航天局の主任科学者にエディ・コー。副主任科学者にチェン・シュー。白髪の老人と絶世の美女というラスト近くになって登場する中国の仙人と天女のような組み合わせは白人、黒人、オタクな黄色人種の間でこれまた異彩を放ちます。

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中国国家航天局の仙人と仙女。中国が助けてくれるのはいいんですけど、「グラビティ・ゼロ」でもラスト、最後はチャイナ頼みということで、最近はやりなのでしょうか。それとも地政学的仮想敵と仲良くしたいロマンがあるのでしょうか)

 

 キャストが科学者、実務エンジニア、組織運営者、そしてサバイバル当事者と多岐にわたる上に、メンバーの所在地である舞台も、火星現地、太陽系宇宙空間、アメリカNASA、中国国家航天局と点在し、全世界的、というか舞台は人種、舞台とも全人類の総力戦と化していきます。

 マッド・デイモン演じるマーク・ワトニーというたった一人の宇宙飛行士の救出作戦が火星からの人類サバイブ兼脱出に読み替えられる理由もここにあります。

 しかし、です。

 火星脱出にむかう一歩一歩はなんとも超がつくほど地味。

 その地味さが我々の人生の本質である、地味さ堅実さと重なり、マーク・ワトニーへの多大なる感情移入の基盤となっていきます。

 

  

 さて、冒頭に映画の出だしだけをゲーム実況者風に描写してみましたが、正直、この映画の見どころは「火星脱出にまつわる実況」といって差し支えないかと思います。

 ちょっと、実況のところは、有名ゲーム実況者風にアレンジしてみましたが、映画を見ていると、そういう声が聞こえそうではあります(いや、それはお前の勘違いだ)

 実際、ゲーム実況と彼の状況説明は重なる部分が多いです。

 なにしろ、火星からのサバイブという状況設定があり、どう考えても映画である以上、最後は脱出することがわかっている。

 つまり身も蓋もない言い方ですが様々な困難があるにせよ、その都度障害を乗り越えるだけの手助けが用意されていることは、明々白々です。

 なので、ある意味そうした「安心」の元、想定内の困難を予測しながら視聴者は彼の実況サバイブを楽しむことができます。

 実際、絶望的な状況ではじまる彼の火星実況「SOL1(サバイバル火星日時・第一日目)は、「SOL21」で好転します。

 なんと火星日時21日目にして、ワトニーは食料の中にジャガイモを見つけます。彼は備蓄食料のすべてを計算し、31日間を6人のクルーで過ごすために用意された食料が彼一人なら3年もつと把握し、そのうえで、ジャガイモを育て、次の有人探査がくるまでの4年間の食料危機を乗り切れると計算します。

 

 

 とはいえ、火星でジャガイモを育てる? そんなこと可能なのでしょうか?

 答えは可能なのです。そこは映画(笑)

そのための頭脳と、技能と、モノ(施設)が全て準備されているのです。

 まず、彼が食料の中でジャガイモを見つけたこと。

 さらに彼の経歴がポイントです。ワトニーはこの任務に就く前は、植物学者として発展途上国で農業支援を行っていました。

 つまり、彼はジャガイモを育てることに関しては超がつくエキスパートなのです。

 さらに、そこから導き出されたイモ栽培のための必要物資、つまり、土、水、光、空気。

 これも彼は次々に揃えていきます。

 土は自分たちの排泄物(ひらたくいうとうんこ)と火星の乾いた土をオリジナルブレンドしたものをつくり、水は前ミッションの遺物であった施設から水の原料となる水素を調達。火を起こし、酸素と水素を化合させ、水を調達します。

 酸素の問題は居住施設内に土を巻いて、畑をつくることで解決します。

 

 SOL21日目。

 じゃがいもを前にして、彼の脳裏にはこの一連のフローが出来上がっていたでしょう。なので、SOL21目の実況のラストの決め台詞は、

「火星よ、僕の植物学の知識を恐れよ」

 となります。

 そして、彼の小さなサバイバルは成功し、じゃがいもの栽培により餓死は防ぐことができます。

 そして、次に必要なことは、そう。NASAとの通信手段です。

 

 

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(実況者ワトニー、火星日時21日目に植物学者として真価を問われるの回)

 

 一方その頃、NASAではワトニーの盛大な葬儀の直後に、衛星写真の記録からワトニーの生存が確認され、責任者たちの救出劇がはじまります。

 

 映画はこの後も141分という長丁場を喜劇・悲劇を交互に織り交ぜながらまさに飽きのこない紆余曲折で展開していきます。

 この映画を見ていて、最後はもちろん全人類がもろ手を振ってワトニーの生還を迎えるシーンがあるのですが、あのシーンは本当に見ているこちらと画面の中のワトニー生還に歓喜する聴衆との感情が一体化していることに自分でも驚きます。

 なので、終始、ワトニーに感情移入する一方で、視聴者は自分があくまでも彼を見る第三者の位置なのだと思い知らされます。

 なんというか、普通、映画をみていると、もっと主人公に没入した感情を抱くことがあると思うのですが、その感じがこの映画は希薄なんですね。

 

 それはもちろん、この映画に感情移入できないということではなく、この映画の構造が視聴者が感情移入するのは主人公ではなく、そんな火星サバイブをする人間がいたら、あなたは同じ人類としてどう感じるかという、ワトニーを眺めるだけの聴衆のスタンスを要求されている気がするのです。

 

 もっと、簡単に言うと、この映画を見ていて感じる爽快感や切実さは実況動画を楽しむっ状況とそっくりだ、ということです。

 

 火星からの脱出という設定は、「〇〇からの脱出」に広げて話をするとこれまで数限りなく描かれて来たモチーフです。

 映画に限らず、サバイバルゲームのほとんどは、自分の生存を確保しながら、監禁された場所、隔離された場所、危険な場所からの脱出が目標です。

 そこでは基本的には舞台があり、障害があり、しかし用意された解決方法があります。

 でないと、ゲームにならないわけですが、エンタメとして成立するためにはこうした用意された障害と解結方法があり、逆に言うと、誰でも「ゲーム内の問題を解決」すれば、クリアになる単純さがあります。

 

 しかし、その単純さが物足りなさでもあります。

 舞台設定や問題解決が用意されたゲームであれば、そこで想定外の事件は起きようがなく、起きるとすれば、それはプレイヤー自身が独特の行動をとったときのみです。

 その独特の度合いが極端であればあるほど、完成された舞台と障害からのバグ(異物)となって逆にプレイする実況者のキャラクターが見えてきます。

 ちょっと話がそれてしまいますが、私がゲームをプレイするよりも、観るほうが楽しくなってきたことの理由の一つがゲームをプレイすることが退屈になり、それを楽しくプレイしている人を見るのが楽しいという状況への変化があります。

 ゲーム世界では、もちろん日常にない舞台、たとえば廃病院であったり、軍事施設であったり、中東やアフリカの紛争地帯であったり、南米のジャングルであったりします。

 そこをリアルなグラフィックや予算をかけた舞台セットとして見て回るのはそれだけで楽しいことではあります。

 そしてそこで繰り広げられる情報戦やチームワークを駆使した隠密捜査や潜入捜査、暗殺、狙撃、あからさまなドンパチなどなど。

 それは楽しい体験そのものですが、その部分がリアルであればあるほど、主人公のキャラクター(こんなとき、どう行動する、どういう動機で行動する)というファジーな部分はなくなっていきます。

 つまり、どれほどファジーで自由に見えてもゲーム内では問題解決のための行動が少し増えてはみても結局は決まり切っているということになります。

 

 この高度に完成された世界観と事件と事件解決方法のリアルな幅広さは、一方で主人公のキャラクター性を失わせることと実は表裏一体なんじゃないかな、と思います。

 「オデッセイ」の監督、リドリー・スコットの作品について多く言われることのひとつに、映像にこだわりすぎて「ドラマ」が希薄ということがあります。

 監督はよく「映画は映像だ」というスタンスで作品を作っていますが、もちろん映画は「観る」ものなので、まず最も大事にしなければならないのは映像といっても過言ではないでしょう。

 しかし、すばらしい映像だけがある映画は、やはり視聴者の物足りなさを誘発することは否定できません。

 視聴者は映画に見たこともない映像体験を求めるとともに、ストーリーも求めます。ストーリーとは簡単に言ってしまうと、主人公が変化することです。

 この主人公の変化は文学的、心理学的、社会学的問題なので、描くのが簡単ではなく、ならばいっそう無視して映像をかぶせて「映画っぽく」してしまうことは可能なのです。おそらく意識的にそれをして「映画」になるのは数少ない天才的な監督のみで、大半は物語も映像も中途半端だと評価されてしまいます。

 そして最近のゲームを実況動画として見ていても映像美のわりに物語が追いついていない気がします。

 もちろん、中には物語も映像も連動してすばらしい作品もありますが、総じてこの手の作品をつくるためには労力も才能も要求されます。

 とはいえ、ゲームはあくまでもプレイするものであり、映画のように観るだけではありません。

ゲームが映画のような映像美を獲得するにしたがって、ゲーム中の物語の期待ども上がっていくわけですが、ゲーム業界においてはゲームを物語のようなストーリーにすることへの違和感も持ち上がっています。

 物語とは平たく言うと、主人公の変化です。

 そしてゲームという文脈の中での主人公の変化は、主人公の成長であり、戦闘能力の飛躍です。

 これが何を意味するか。

 ぱっと思いつくのは、バトルのインフレです。

 つまり、最終的には指パッチンだけで星を吹き飛ばすほどの戦闘能力とはいかないまでも、バトル能力のインフレは強い敵に対する、より強い攻撃能力という人外的なパワーアップにつながります。90年代の少年漫画のラスボス戦がすべてそうした星間大戦のようになるのを憂えて、よりミニマムなルールを設定したゲーム、頭脳プレイ、心理戦というバトルを少年漫画が取り入れるようになったように、ゲームもそうした歴史を踏まえてのことなのか、ゲームのストーリーの中に大きな成長物語を入れるのをためらっているという話もあります。

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(90年代のとあるバトルインフレを象徴するマンガのキャラクターのコスプレ)

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(バトルインフレを脱出した心理戦やルール内バトルを中心に据えたとあるマンガのキャラのコスプレ集合写真 ツイッター@chappppppppp様より

 

 しかし、それはわかりますが、いまいちそうしたゲームでは物足りないと感じることも事実です。

 そうした状況を打開したのがゲーム実況者という存在なのではないかと私は勝手に思っています。

 画面がますます綺麗になり、しかし逆にそれによって主人公の変化という物語のうすさが映画と比較されるようになり、そこでキャラクターと物語の不在を埋めるキャラクターとして実況者が登場するというか。

 今のゲームが世界観だけというつもりはなく、逆にゲームが世界観だけでいいという意見もおおいにありだと思うのですが、どうしたって人は世界観だけでは飽き足らない。

 そこで、世界観で過剰に反応する生身の主人公がほしくなる。

 戦闘能力が高い寡黙な主人公だけではなく、セリフを言う、私たちと同じだけのスペックしか本質的にはもたず、この世界で生きている人間。

 その人間が壮大な世界と私たちをつなぐとしたら。

 私たちは世界観だけを見てももう、満足できない。

 そこで、何を感じ、何を思うのか、異世界で冒険する第二の主人公(実況者)である生身の人間が見たい。

 だからこそ、今の私たちは、ゲームをプレイするのではなく、ゲーム実況者を見るのを楽しむのではないでしょうか。

 

 さて、恥ずかしいくらい話が火星から飛びましたが、この「オデッセイ」もよくあるシチュエーションではあるけれど、それをゲーム実況風に演出した(結果としてそう見える)からこそ、妙に楽しめたような気がします。

 主人公マーク・ワトニーはそれこそ科学的・サバイバルの両スペックが高すぎる高い人類のエリートですが、人間的な魅力としてそこまで個性があるかと言われるとそうでもありません。

 ただし、彼のおかれた異常な状況と火星の有人探査が可能なぐらい未来でありテクノロジーも進化した世界にあって、

 フィクション世界においてはほぼ全能なAIが排除され、

 まったく土臭い人間的能力だけで生存にまつわる障害を乗り越えていく姿に共感し、 同時に彼がそれを実況することで、

 視聴者は主人公から否応なく切り離され、

 彼を見ているという側に追い立てられ、

 だからこそ、私たちは火星にひとり残されたという過酷すぎる状況に感情移入しすぎることなく視聴者という安心して楽しめる仕様になっています。

 

 

 いやあ、しかしここまでくるのが長かった。

 ここまで読んで下さった方、ほんとうに今回はすみません長ったらしくて。

 次からはもっと完結にします(笑)

 

 そして、そして、最後に、忘れてはならないこの映画を彩る70年代のディスコミュージック、必見です。

 

 物語中盤で流れるスターマン 

www.youtube.com

 

はどこか懐かしく、ふいに白壁の中を浮遊するキューブリックの「2001年宇宙の旅」を彷彿とさせ、あれは70年代よりも以前だったことを思い出してなんとも言えない気持ちになります。

 

 そんなわけで、「オデッセイ」。

 ゲーム実況にはまっている人もそうでない人もぜひぜひご覧ください(はじめっから、そう言え)(*´▽`*)