7月10日(月)7月に見た映画レビュー①(スノーデン(16)アメリカ)

 

 

 スノーデン(16)アメリカ:オリバー・ストーン監督

              :主演 ジョゼフ・ゴードン=レヴィット

 

★★★☆☆

 

 2013年、元NSAアメリカ国家安全保障局)職員のエドワード・スノーデンが機密情報をガーディアン誌に暴露した。これは、実話である。

 

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 短くまとめると、こうです。

 2013年当時、かなり世間を騒がせたお話のはずなんですが、私、ほとんど記憶にないんですよね。

 いったい、自分なにしてたんだ?という感じですが。

 そういうわけで、実話です。

 エドワード・スノーデンは前述したとおりNSA職員当時に得た機密情報をイギリスの大手メディアに暴露したことから、現在もモスクワに亡命中です。

 彼がガーディアン誌に暴露した機密情報とは、NSAが全世界中の、メール、フェイスブック、通話データ、個人情報等々を違法に収集しているということでした。

 NSAのこうしたプライバシーを完全無視した暴走の背景には、

 2001年の同時多発テロがあり、

 スノーデンが配属された2003年もアメリカ全体の愛国主義に端を発する抑圧的政治の始まる時期と重なります。

 

 実話としては、もちろんスノーデンがしたことは英雄的な行動であり、

 賞賛をあびてしかるべきものなのですが、映画として見ると正直「物足りない」感がありました。

 

 理由は明白で、国家による監視体制というのはもう半世紀以上も前からSFフィクションの中では語られてきたことで、

 その舞台設定がやっと現実に追いついてきたということ以外に

 「ぎょっとするような」新しさが映画全体に見つけにくい。

 国家による国民と他国への監視があって、それでその先の物語をさんざんこれまでSFで見たきたおかげで(というか「せい」で)、この「現実世界における機密暴露」のインパクトがもはやインパクトでない毒され方をしているのが、21世紀に生きる私たちの病なんじゃないでしょうか。

 

 なので、映画として見る態度をものすごく「真摯」に改めないと、「エンタメ来いや!」の態度は肩透かしをくらってしまうわけです。

 

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(↑1984 書かれたのは1949年 微妙に未読な、監視社会を描いたディストピア小説 )

 

 なので、ちょっと真摯な態度をとることにするとですね、

 この映画ではあまり全面に押し出されていないのですが、

 この監視社会の行く先について考えてみたいと思います。

 

 プライバシーって必要?

 

 そもそもプライバシーってなんで必要なのかということです。

 スノーデンの所属するNSAの上司によると、アメリカ国民は「自由より安全を望んでいる」らしいです。

 もちろん、これは911というとんでもないテロに遭遇した反動から生まれたNSAのお得意の欺瞞です。

 スノーデンはそうしたNSAの政策のもと、

 フェイスブックやチャット履歴、メールなどから一人の人間の交友関係、お金の流れ、信条、リアルタイムの行動までNSAが監視をしている現場に出くわします。

 監視をされている現状から、彼自身も日常生活でストレスを感じるようになり、

 恋人との仲もギクシャクしていきます。

 プライバシーに関する最も大事な点はここで、

 この監視をされているという状態によって、

 人は行動規範がかなり制限されてしまうのです。

 

 

 考えてみれば当然で、人は、誰かが見ている場所では「望まれたふるまい」しかしないものです。

 そして、一人になったときにようやく自由と開放を味わえる。

 もともとネットという匿名性の高い(この物語中では逆に低い)場所でこそ、

 人は自分らしくいられる、だからこそスノーデンはパソコンに夢中になり、

 この世界に入ってきたのです。

 しかし、匿名だと思っていた場所がすべて監視の対象になっていました。

 

 2013年当時は、監視されていることすら「知られていない」状態だったので、

 それが暴露に繋がりましたが、本来は人々が「監視されている」と知ってしまえば、実はそのほうが監視する(この場合は国家ですが)側にとっては、手間が省けます。

 監視されていることが分かっている人間は、

 わざわざあぶない橋を渡ったりしません。

 そもそも監視の目的は犯罪行為、テロ行為を未然に防ぐためにあるのですから、

 行為の前からそれが露見してしまえば、そもそも犯罪を抑制することにつながります。

 この監視されていることが、行動を制限するという一連のフローは、

 ミシェル・フーコーの「監獄の誕生――監視と処罰」の中で40年前にすでに指摘されています。

 人々の中に「監視されている」という意識が芽生えてれば、もはや国家は実際に監視することすらしなくなるかもしれません。

 

 これがプライバシーにとって致命的な点で、監視は人間の自由な発想と行動を極度に制限するものになりうるということです。

 

 そして、実際にこのすべてを監視対象にするということが、

 テロ対策にどれほど役に立つのかは、はなはだ疑問なところです。

 全てを監視して自由を制限するよりも、あきらかに「やばい」対象をロックオン監視したほうが、効率がいいのではないかと思うわけです。

 (ちょっとここら辺は深く検証していないので微妙ですが)

 

 なぜ、国家は監視にやっきになるのか?

 

 そして、ここからは私の直観というかイメージなのですが、

 ではなぜNSAがそれほどやっきになって全世界を監視下に起きたかったのかといえば、それは二つ理由があると思います。

 ひとつは、それが「できた」から。

 もう一つは、全世界を監視することを「システムが要求したから」ではないかと思うのです。

 システムは常に完璧を求めるもので、

 欠陥があればそれを補完するように次々に対応策を考えます。

 それはある意味で、手段と目的のすり替えともいうべきもので、

 そもそも人々の自由を拘束し、社会が停滞するのと、

 テロの頻度と犠牲を天秤にかけたとき、冷静な判断をすればどちらがより、

 社会全体にとって有益なのか、歴然とすると思うのです。

 ではなぜ人々を徹底的に抑圧する方向に行ってしまうのか。

 そこにはシステムが要求する完璧さと、

 それによって完璧な存在になりうるという幻想を持つようになった国家・組織の共犯関係があるのではないかと私は思います。

 と、まあここからはさらに妄想はいっちゃうので、こちらは創作で消化するにして、、

 

 

 さて、最後になりましたが、主演のジョゼフ・ゴードンについて。

 日本のアニメにあるようなほぼ本物にしか思えない寄せ方はそれほどしておらず、

 翻って日本の寄せ方のすごさに感服したわけですが、

 ラストシーンで本人としか思えないカットがあり、

 「ジョゼフ、やればできるやん!」と、思ったら本人だったというオチ。

 自分の見る目を疑った瞬間でした。

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(↑本人映像。。本人にそっくり、、じゃなくて本人だし、、、)

 

 

 あと、地味なところで、最近またデビット・フィンチャー「セブン」を流し見したのですが、ここでもまったく証拠を残さない犯人を追い詰めるために、

 犯人が見立て殺人をするときに使った「七つの大罪」関連の書籍を読んでいる人間を洗おうとするシーンがでてきます。

 その人物の洗い出しになんとFBIが秘密裡に集積している図書書籍のレンタルデータをを使います。

 これ、先週見ているときは、「使えるもんは使おう、ナイスだ」とか、単純に思っていましたが、完全なる監視体制ですよね。

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 こういうサイコさんを捕まえるためには、いいのかなとも思いますが、

 自分が図書館で定期的にレンタルしている犯罪心理学の履歴を誰かが

 監視していると思うと、ちょっと微妙だな、と思うわけです。

 そんなわけで、知らぬが仏が幸せだと思うのでした。

 さてさて、週末は映画をたくさんみたので、ちらちらレビューしていきたいと思います。

 では、また。以前レビューしたセブンはこちら↓

 

 

hagananae.hatenablog.com