7月8日(土)感謝の心、子知らず(おべんとうに入っていた手紙)3/5

 承前5/2

 

 私の家系には寝たきりや痴呆という高齢者がおらず、介護施設の見学でしか痴呆の老人は見たことがなかったが、ほとんど連続的なコミュニケーションがとれない身内のことを思うと、想像を絶する疲労を感じた。

 だから、Iさんのことを思うと、不謹慎ながらご主人が亡くなったときはほっとしたと思っているのではないかと感じた。

「本当に大変だった」

 Iさんが言った。

「最期はご病気で?」

 私はいくら呆けてしまっても、それだけでは死ねず、だから大変だったのに違いないと思った。

 今、思えば痴呆で六十五歳で亡くなったということだけでもIさんのご主人が何で亡くなったのか想像がつくはずだった。

「あのね、自殺だったのよ」

 Iさんが、相変わらず穏やかな声で言ったので驚いた。

 驚いたとともに、Iさんがいつも穏やかで毎日顔を合わせる私に対してもとても誠実に優しく接してくれていた背景がわかったような気がした。

 とんでもない、苦労人だ!

 私は自分が軽率だったことを悔いた。

「おばさん、ごめんなさい。ほんとうに大変だったでしょう。よく、立ち直れたね」

 私はIさんの人生を考えると、とても立場が同じだったら、立ち直れていなかっただろうと思った。

 本当はIさんも立ち直れてはいなかったのかもしれないが、

 とくに廊下ですれ違うだけの私に親切にしてくれているIさんは夫の自殺から十分に立ち直れたという印象があった。

 袖振り合うだけの他人に親切で穏やかにふるまえる人間はそう多くはない。

 Iさんは、そこからあいかわらず穏やかなまま、ご主人がなぜ十年前に首吊り自殺をしたのか話し始めた。

 ご主人が、生真面目で向上心の強い設計士だったこと。

 退職後、地元の農家の住民に溶け込もうとして区長や公民館長を一生懸命やったこと。

 しかし、農家の人々は、パチンコやテレビの話ばかり。

 地域にとけこめずに、少しずつ「疲れた、もうやめたい」と言い始めたこと。

 そして、うつ病と痴呆症を併発したこと。

 自殺のときには、家族一人ひとりに長い手紙を残したこと。

 妻であるIさんにはとくに感謝のことばと謝罪の言葉を残していたこと。

 私はIさんの話を聞きながら、夢中になり、同時になぜこの話を今、聞いているのだろうと思った。事務所では20分以上も戻らない私を探しているかもしれない。

 しかし、呼び出しがかかれば、廊下の突き当りの事務所のドアが開いて、私の名前が呼ばれるだろう。

 それがないということは、問題ないのだろう。

 Iさんは、夫が自室で首を吊っているのを見てから、当然のことながらショック状態になった。

 お通夜も告別式の間も記憶が定かではないが、ただ覚えているのは小学一年生になる孫がずっとつきまとうように自分のそばに張り付いていたことだという。

 トイレに行くのもついてきて、邪魔になった。

 Iさんがさんざんのごたごたを乗り越えかけたのは、ご主人の死から三年後のことで、そのときの長男の長男、つまりご主人が亡くなったとき小学一年生だったお孫さんは四年生になっていた。

 Iさんが、当時のことを思いだしてお孫さんに「あのときは、なんであんなに私のそばにまとわりついていたの」と聞くと、お孫さんはこう言ったという。

「お父さんと叔父さん(Iさんの次男)がね、おまえがおばあちゃんがおじいちゃんと一緒に行かないようにきちんと見てあげなさいって、言われたんだよ」と答えたという。

  要するに、Iさんがの自殺の危険を見てとった息子たちが孫にその見張り役を命じたのだ。