6月24日(土)旧人類と新人類:遺伝子改変とトランスヒューマニズムの先にあるもの2/3

承前1/3

 

 わかりやすくいうと、計画経済で70年しかもたなかったソ連みたいな感じです。

 そもそも社会のよりよい変革って、

 現状維持から見たら常にテロみたいなもんだと思うんで、

 そういう異分子を排除すれば、社会は生存意義でなくて、

 生存を自己目的化するだけになり、そうした弱い社会は鎖国できなくなったら、

 外国に占領されちゃうと思うんですよ。

 ちょっと結論を急ぎすぎましたが、要は人間から改革、戦う力を奪う制度は自縄自縛になっているんじゃないかということです。

 実際、警察組織も最小限になり、おそらく軍事力もあるとはいえないでしょう。

 軍事力のような戦闘態勢は平和ぼけした人々には担えないでしょうから。

 だから、アニメの中でも鎖国体制下でしか、シビュラシステムは機能できず、

 テロリストはそれを逆手にとってシビュラを破綻させるために、鎖国を解除せざるをえない算段を計画に組み込もうとします。

 まあ、結論、犯罪者を未然に隔離するという発想自体がもう古臭くなりかけているんじゃないかと思うんです。

 最近読んだバイオテクノロジー関係の本に書いてあったのですが、

 2003年にヒトゲノム計画は終了して、人間の遺伝子改変はもういつでもできる状態らしいです。

 けっこう前から騒がれていて、たぶん秘密裡に絶対どこかがやってるでしょう的なかんじですよね。

 そうなると、私たちホモ・サピエンス旧人類となり、新人類に駆逐されちゃうかもというのが、いわゆる「SFあるある」の展開です。

 で、このバイオテクノロジーによって、現生人類をポストにしちゃおうという考え方を「ポストヒューマン」と言います。

 いいんじゃない、こんな欠陥ばっかりで、自滅が好きな種なんてポストにしちゃって、とも考えたりしますが、どうなんでしょうね。

 

 急激な変化、例えばまさにバイオハザード的なパンデミックがないかぎり、

 人類が自然に進化をすることはまずないでしょうし、

 おそらく新人類は人工的に作るしかないと思うんですね。

 そうしたときに、ホモ・サピエンスにかわるどんな人類を作ったら、いいのかなという話になるです。

 

 私の好きな生物学者さんに長沼毅という方がいますが、

 長沼さんは「ホモ・パックス」案を提出しています。

 なんでも共感性に長けて、争わない種らしいです。

 すごくいい感じなんですが、どうですかね、

 どうも去勢された感じがして私は長沼さんは好きなのですが、

 この発想はどうもいただけないんですね。

 

 なんていうか、生物って相克しながらたくましく生き抜くみたいなイメージがあるんですよ。

 それを「共生を強制する」みたいな改変していいのかいな、というようなね。

 

 まあ、生物のたくましさはあんがい「パックス」にしても「戦闘的」気質は抜けないかもしれないですが。

 でも、この遺伝子改変はやろうとすれば技術的にはクリアできるようですから、

 今は費用・安全性・有効性が問題になっているらしいです。

 とはいえ、ぱっと考えただけでも自分が「旧人類」としてみすみすタグ付けされるのも切ない感じがします。

 

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