6月13日(火)延命と緩やかな死 ~膝治療は延命技術~1/2

 

 

 死後の世界を信じている。

 というか、来世とか前世はあると思っている。

 そう、思うと、色々がんばらなくてもいいかな、と思える。

 色々人生のあれこれに気がつくのが遅すぎた自分にとって、

 これは来世でやればいいかな、と思うとものすごく楽になる。

 どちらにせよ、私だって前世からの宿題を背負っているんだし、

 と思うと急がなくてもいい気がする。

 

 いいわけはまだ続く。

 

 200年経ったら、私のことなんて誰も覚えていないしね。

 試しに考えてみると200年前は1817年。

 江戸時代。文化年間。あり得ない。もう、宇宙的彼方だ。

 

 一方、200年後。

 20年後だって、個人としては生きているのが怪しい、

 200年後、地球自体が生き物の住める土地かどうかも怪しい。

 

 いずれにせよ、日々生きていくなかで、かなわないことが多かったり、

 それによってウツ的な気持ちになるとき、

 来世があると思うと楽になる。

 

 来世という概念を初めに考えたのは、

 おそらく仏教あたりになるんだと思うけれど、

 生きる苦しみとかめんどうとかやりきれなさをやりきれるするためのフィクションとしてはいい出来だと思う。

 

 がんばらない理由ではなく、

 がんばってもどうしようもないことに対する慰めとして。

 

 最近、というかずっと地味に延命について考えている。

 

 人間の歴史は延命技術を追い続けているおかげで、

 今では100歳を越える人々が珍しくない。

 こういう人たちは持って生まれた寿命的才能の部分が多いにせよ、

 80代の老人の死がざらになってしまった今、

 やはり平均的寿命の才能しかない個体でも、

 十分80代まで生きられるようになったのが今の日本だ。

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(猫はよくねむる。半分死者の国の住人だとひそかに思っている うちの猫ソウヤ)

 

 とはいえ、私の祖父母世代は、もう父方の祖母しか残っていない。

 同居する私の祖母は、今年82歳だ。

 かくしゃくとして、わがまま。踊りも踊るし、歌も歌う。旅行も行く。

 早朝から、洗濯、畑仕事。

 彼女は元気な老人の典型だ。

 しかし、今から二年前、80代の坂を超えようというとき、

 これまで病気知らず、薬知らずの祖母にはじめて危機が訪れた。

 まず、2年前に左足の膝の手術をした。

 だから祖母の膝には金具が入っている。

 天然の骨の代わりに人工の金属が膝に埋め込まれ、彼女の歩行を助けている。

 

 それまで祖母は歩くのが家族の誰よりも早く、働きものだったが、ある日を境に左足の膝に激痛が走るようになり、ついに歩けなくなった。

 痛みのあまり、四つん這いになって家の廊下を這うになり、ついに病院を梯子して、手術することになった。

 祖母の膝は使いすぎですり減っていた。

 医者はそれを長生きしすぎたせいだと言った。

 通常、人間は膝の骨がすり減って歩けなくなるほど徒歩距離を稼ぐ前に天寿を全うするという。

 しかし、祖母は内蔵疾患等、老人がかかる病気をことごとく返り討ちというか、

 すれ違いさえしなかったせいで80代までやりたいように身体を酷使することができた。

 だが、ついに自然の摂理通り、動きすぎた祖母は、内蔵ではなく足腰からお迎えが来た。

 

 もし、あのとき人工膝を埋め込むという医療的技術が未発達であり、

 かつ老人医療費が一割でなければ、今日の祖母はいない。

 手術ができなければ、あっという間に祖母は寝たきりとなり、寝たきりとなった老人の衰弱は加速度的に悪化する。

 

 つまり、寝たきり後、あっという間に祖母はあの「祖母」ではなくなったか、

 もしくは「天寿をまっとう」したのだろう、と思う。

 

 そう思うと、膝治療はまさに、

 祖母にとっての延命技術であり、老人をそうして生きながらえさせるこの国の医療技術と医療費の再配分に感謝してもしきれない。

 

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