6月10日(土)人の性格って、でも変わると思うんだ(アドラー心理学より)1/3

 フィクションでは人の性格、生き方が変わることはよくある。

 いや、物語とは人の変化を描くものだという定義さえある。

 貧乏だった人がお金持ちに、奴隷が英雄に、英雄が悪者に、理想主義者が悲観主義者に、天使が悪魔に、人間が吸血鬼に、少女が娼婦に。

 物語は人の成長と堕落を含めた変化の過程を描写するもので、実際の人生もまた人がそうなるべくしてそうなる変化の連続だ。

 それなのに、日常生活でなにか人的トラブルが起きると、

「あいつは、成長しないから。性格は変わらないから」

 と、平気で言う。

 実際、人の考え方や価値観を変えるのは難しい。

 でも、本当にそうだろうか。

 人はよくも悪くも変われるものなのではないだろうか。

 もっというと、変わってしまうものなのではないだろうか。

 

 アドラー心理学をたまたま読んだ。

 

 ほっとするような格言もあり、一方で、これはだめなんじゃ、と思うこともあった。心理学はほどほどにというのが私の信条で、だからそれほど真に受けてショックを受けたりはしない。

 けれど、ひとつだけこれ、ありじゃん、と思うことがあった。

 

 それはアドラーの性格はライフスタイルという格言だ。

 

 性格がライフスタイルである以上、選択可能であり、変えられるものなのだ、とアドラーは言う。

 

 まさに鮮烈で突き抜けが認識だ。

 

 私は性格は変わらないと思っていた。

 具体的に言うと、私にとって、性格とは、明るい性格、暗い性格、おとなしい、活発というもので、それは持って生まれた出来上がったものだという認識がある。

 

 しかし、アドラーは言う。

 性格はライフスタイルで、それは生き方のクセであり、どう行動すればうまくいくかという信念のことで、ライフスタイルである以上変えられるというのだ。

 アドラーによると、いわゆる性格の明るい、暗い、人見知り、人懐っこい、というのは性格でいう表面の部分で、

 性格はその表面を決めるためのもっと奥深くの根本的な価値観、信念があるという。

 

 その価値観、信念は大きくわけると3つある。

 

  • 自己概念(私は~である)自分に対する認識
  • 世界像(世界・世間の人々は~である)世界観というやつかな
  • 自己理想(私は~であらねばならない)

 

 表面的な性格はこの3つの組み合わせで決まってくるという。

 

 たとえば、こんな人がいたとする

  • 私なんかには誰も興味を持っていない(自己概念・自己認識)
  • 世間の人々はつまらない人間は相手にしない(世界観)
  • 私は誰からも相手にされないから、静かにしていよう(自己理想)

おお~、ときた~、という感じだが、

こういう3点セット所持の方が「明るく活発なアクション」を起こすとは思えず、

「おとなしく(もしかすると暗いかも)おびえており、遠慮がちで寡黙」な態度を取り続けるだろう。

誰が考えてもわかることだ。

 

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