6月10日(土)誤解するのも理解するのも私しだい(アドラー心理学)2/3

→承前3/1

 

 と、いきなりディスってしまったけど、アドラーが悪いのではなくて、言い方というか、切り取り方に疑問を感じたのだ。

 

 そもそも、アドラーに限らず、啓蒙書にはよくあることで、言葉はその言葉の意味を咀嚼する力がないと本来はとても危険なものだ。

 言葉は内容を規定するうえ、本来は学者が書いた本をライトなダイジェスト啓蒙書にカスタマイズした場合、学者の語った血と汗と人生を通して得られた格言はわかりやすく短いフレーズに変身する。

 そして言葉は端的になればなるほど、印象が鮮烈になる。

 しかし、冗長だが確実性をプラスするような説明がないため、読解力をふくめ人生経験の少ない人間が真に受けると、誤解をして、危険な起爆装置になるのは間違いない。

 言葉とはもともとはそういうもので、だから安易に他人の言葉をうのみにするのは危険だ。

 アドラーの心理学は人間の核心をついた真理かもしれない。

 しかし、その真理を一筋縄ではいかない現実世界で実践しようとしたら、当然忍耐も頭も使うことになる。

 しかし、本書ではわりとそういうところはスキップされているのだ。

 つまり、フレーズをどう具体的に実践するかは書かれていない。

 読んでいて、おお、放り投げたな、(やばくないか!!!?)

 と思うのはそういうわけだ。

 

 実際、アドラーでウェブ検索をすると、『アドラーで夫婦関係が破滅した』や『部下と関係悪化』など、出てくる出てくる。

 いやいや、プロの言っていることを素人が真に受けるなって、などと思ってしまうのだが、この手の人たちは鮮烈で明快なアドラーのフレーズをそのまま鮮烈に単純に実行し、自爆テロを起こしてしまったのだろうう。

 しかし、アドラー先生もそんなことはもちろん望むことではなかっただろう。

 だとすれば、もっとかみ砕く必要もあっただろうと思うのだ。

 こういうアドラーみたいな人は、けっこうどこにでもいる。

 たとえば鮮烈なビジョンを持っている上司がこれにあたるが、こういう上司がいると、部下はラッキーであるが、同時にアンラッキーだ。

 鮮烈で端的で真理を突く発言をするリーダーは貴重な存在だが、この鮮烈すぎるというところが、たとえて言えば織田信長的で下は大変なことになる。

 信長先生の端的で難解な真理を下々の者が理解できるようにやさしくトランレイト(翻訳)&アテレコをする人間が必要になってくるのだ。

 すると、信長先生は、そういうことをできる部下がいるからこそ極端な信長語を使っていたのかもしれない。

 しかし、死んだ人間の鮮烈なフレーズは、だれがトランスレイト(翻訳)するのだろう。

 例えば

 『人を褒めるな。叱るな。

 褒めて叱って人を育てようとすると、人はそれに依存し、

 褒めて叱ってくれないと行動しなくなる』

 

 というちょっと、どきっとするようなアドラーフレーズがあるとする。

 これは、まあそういわれてみると人の心理(真理)をついているような気がする。

 しかし、実際生活において褒めるも叱るも本来は時と場合において必要なことだし、それを突然やめてしまえば、麻薬を断たれた患者がジャンキーのように飢えてしまうのは当然だろう。

 

 

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