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3月25日(土)スピリチュアルの先には新興宗教・新興宗教の先にはビジネス(5)にゃるほど!教祖よりも、ビジネスでいいんじゃにゃいか!

 (1)はこちら

 つまり、スピリチュアルは、個人の幸せに終始し、個人のお悩み相談からは抜け出せないということだ。

 しかし、スピリチュアルと言えども、江原氏のカウンセリングの背景には救いの体系である宗教が存在している。

 江原氏がスピリチュアル業界で成功しえたのも、やはりこのきちんとした救いの体系を身につけていたからだ。

 しかし、個人から他者への幸せに導くまでにスピリチュアルが拡大されなかった理由は、利他精神はスピ界ではなく宗教界のマーケットだという証拠ではないだろうか。

 つまり、個人の悩みはあくまでも、スピリチュアルだが、そこから幸せを他者に広げるとなると、体系を学びと実践を繰り返すことを売りにしている宗教の範疇になってくるという仮説が成り立つ。

 

 であれば、占い師にできることも、見えてくる。

 それから、占い師が世間(メディアや潜在的ライバルの宗教界)からいるべきだとされるポジションも見えてくる。

 つまり、占い師はあくまでも個人のカウンセラー止まりであり、いくらもうけようとも、顧客に利他精神を持たせようとすれば、それは宗教の開祖ということになる。

 つまり、そちらをめざすのであれば、宗教の開祖になったほうがいいのだ。

 そして、もっと飛躍して、宗教といえども、他者の幸せを満たすことが目的であるならば、それはなにも宗教でなく、エンタメでもいいわけだ。

 なあんだ、そういうことか、と一巡したのがつい昨日のことだ。

 

 まあ、普通の人なら一巡しないのかもしれない。

 しないのかもしれないが、私はどうも宗教も占い師も仕事としては、ちょっとやってみたく、ちょっとかじってみたいと思っているのだ。

 さて、宗教の開祖は無理でも、儲けるということは、書いて字のごとし、人が信じる、と書く。

 自分がつくった物語、文章なりを人が面白いと思いお金支払ってくだされば、それが儲けになる。それは、もう信者をつくることと同じだ。

 にゃるほど~、となにやら皮算用をしている病床なのであった。

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(写真のにゃるほど猫は、太公望という名の通称ボウくん:数年前に家出したきりです)