3月25日(土)スピリチュアルの先には新興宗教・新興宗教の先にはビジネス(3)こうなったら、自分で空海をインストール

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 死後の世界や神や仏は、証明しようのない話なのだが、私はあったらいいな、という意味で信じている。

 やはり、生きていると、ああ、このままだとあれもこれもできないな、と思うことが多々あり、私はそれほど欲深い性質なのだが、ふと親や祖父母や自分の人生を見渡して、まあ、私の代でできなくても子供ができたら、子供の代でできればいいかな、とか、来世の宿題にしてやってもいいよね、私だって前世からの宿題をしてるんだし、などと根拠はないが、前世・来世という輪廻を持ち出すと心がすっと軽くなるのを感じていた。

 日頃より、こういう考えをしているので、私が仏教やらキリスト教やらイスラム教なりに近づいていくのは時間の問題だ。

 そこで読み始めたのが、真如苑開祖の真乗氏の物語だ。

 この本の内容は真乗クロニクルになっており、1人の人間であった男性が出家し、やがて自らが開祖として立つまでの記録でもある。

 いや、すごい人だ。やはり、開祖というのは無私であり、どこまでも人々を救済するにはどうあるべきかを真剣に考えた人なのだな、というそんじょそこらにはいないカリスマと偉大さを感じさせる記録だった。

 自分の幸せを越えて、他者の幸せ(利他)を思う心を広める、これが宗教の存在意義だ。

 だが、この本はクロニクルである以上、開祖のカリスマと慈悲については語られているが、どうすれば救われるのか、どうすれば日々活力をもって生きられるのかまでは語られていない。ノウハウについては、おそらく「だったら真如苑、カモン」なのだろうが、そうは問屋が卸さないのである。

 この本を読んで思ったのは、やはり、開祖というのは半端ない忍耐力と救済の信念のある人間であり、まさにカリスマが宿っているということだった。

 そして、それが結果として教団の拡大につながっていくのだが、私が切実に求める「救われる。心が平安になる」というノウハウは全く得られなかったのである。

 思ったのは、こうなったら密教を学び直すかということであり、密教仏教もざっと勉強して自分が気に入った教理(フィクション)があったら、それを自分のものにするしかないということだった。

 つまり、宗教を自分にインストールして、困ったとき悩んだときに、瞑想しながら、その宗教の知恵と知識に特化した講師(たとえば、真言宗でいえば、空海とか)を脳内で呼び出して、

「ねえ空海さあ、ちょっと聞いてよー、今日、最悪なことがあって~」と相談すればいいのだと思った。

 

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 もちろん、脳内とは言え、真言宗の教えにのっとったアドバイスをしなければならないということは、私自身が真言宗の教義をインストール(猛勉強とも言う)しなければならない。

 これがけっこう大変な作業で、まずは仏教密教を網羅してから、好きな教義を特化して深く掘り下げていくという感じになる。

 気が遠くなるが、あんがいこれが宗教を勉強する意味では早道なのではないかと思う。

 下手に入信するよりも、猛勉強をして、ちょいちょい、お寺に出入りして、教義でわからないところがあったら、「教えてや」とその筋の人に聞いたほうが、いいのかもしれない。

 そういう感じで、今は空海をおさらいしているのだが、しているうちに、少し咳も治まり、元気になってきたところである。

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