3月25日(土)スピリチュアルの先には新興宗教・新興宗教の先にはビジネス(2)真如苑開祖のクロニクルを読んではみたが、食いたらない

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 病が長引くと、精神的に病んでくる。

 むしろ、私はこの精神的に病むほうが怖い。

 しかし、望むと望まざると、体調が改善しなければ、少しずつウツウツとした気分になってくる。

 ああ、なぜ生まれてきた。

 明日、目がさめませんように。

 そんな気分になって、底まで落ちていく。

 そうして、底まで落ちたとき、仏教に行こうとなった。

 きっかけは、病。

「よし、こんなに落ち込んだんだ。

 もったいないから、このめっちゃ低いローテンションのまま、世間で落ち込んだ人が行き着くという、仏の世界にでも触れてみるか」となった。

 

 ちらちら読み出したのが、職場の先輩に借りた「真乗」という本だった。

 知る人ぞ知る有名人で、真乗とは密教新興宗教真如苑」」の開祖の名前である。

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 密教といえば、真言宗空海天台宗最澄ということで、私は空海の大ファンで彼の旅路を追いかけて中国・西安まで行ったほどだが、まさか1000年前に空海が体系づけた真言密教が、真如苑という形をとって現存しているとは、勉強不足というかアンテナが低すぎるというか。

 自分でもしょうがないな、と思うのだが、私はどうしても新興宗教が嫌いで、嫌いな理由はちまたにあふれる「新興宗教」は金儲けでしかないと思い、救いや信仰や心の平安を取り除くためには、宗教ではなく、違う方法がいいとかねがね思っていた。

 しかし、心を平安にする方法というのは、脳科学的にいうと瞑想だが、これは身体のほうからアプローチする方法で、土台、対処療法にはなるが、根本的な解決には足りない。

 私が求めているのは、なんだかんだ言って、どうして生まれてきたのか。

 生まれてきた意味はあるのか。

 あるのだとしたら、自分はどうしたいいのだろう。

 死んだらどうなるのだろう。

 どうしたら、幸せになれるのだろう、

 というどこからどう見ても宗教が答えるべきたぐいの悩みなのだった。

 

 これだけ、生きる意味をほしがっている人間が、これまで宗教に近寄っていかなかったのは、私が宗教もフィクションであり、フィクションであるからには、「もっとおもしろいこと言えよ、どうせ嘘つくなら、もっとリアリティをつきつめてこいよ、こっちは金だすんだ」というようなゲスな発想を強く思っていたからかもしれない。

 たいがい、宗教勧誘はいたるところに転がっているものだが、どれひとつとして、私が心惹かれなかったのは、勧誘を担う末端の信者(フォロワー)が、少しお馬鹿でいい人が多いために、エンタメとしてお金を払うだけのパフォーマンスができていない。

 もし、これがダイレクトにカリスマ教祖と酒宴で、悩み相談みたいなことになったら、一発で逝って(入)ってしまったかもしれない。

 

 そういうこともあるのだが、本質は、私が根本的に悩まない性分であり、宗教に対して、「救い」よりも「おもしろさ」を求めていたからだろう。

 しかし、ここ数年、なぜ生きているのだろう、ということを考えることが多くなっていたのは事実で、死後の世界や輪廻といった宗教界のフィクションがあったらいいな、からいや、あってほしい、という強い思いに変わりつつあった。

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