3月20日(月)因果!死体回収の趣味 (アカトラ・リオとの出会い )

 

 まだ物心つかない幼児だったころ、私はそれはそれは残虐な子どもだったらしい。

 家の前に小川が流れており、増えすぎたのらの子猫を橋の上から投げて捨てていたというのだ。

 ためらうことなく川に子猫をすてるこの幼児を想像すると、残虐非道というより、サイコパス的な香りがする子供だと思う。

 ま、私のことである。

今でも、脳裏に子猫が川の流れにもがきながらくるくると葉っぱのように流れていく様が浮かぶのだが、それが記憶なのかつくられた記憶なのかはさだかではない。

 転じて、大人になってから、私は極度の猫キチになった。

 現在空前の猫ブームという異常な時代に突入したため、猫キチを自称する人々は多いだろう。

 私もだいぶ、猫が好きだが、それでもどれくらい猫好きかというと、道路で死んでいる猫も回収して、埋めるくらい猫好きだ。

 

 どうだろう。けっこうドン引きするのではないだろうか。

 

 さて、実は去年の10月からアカトラ猫のオス、本名リオ・グランデ通称、リオ子を飼っているのだが、このリオはなんと私が死体から拾ってきた猫なのだ。というのは、冗談だが、実は春頃に、私が通勤路で回収してきた猫の死体がまさにアカトラだったのである。

 

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(↑ 本日 家の庭の梅の木にのぼるリオ子:オス推定1歳)

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(家の蔵の前で警戒するリオ)

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(↑ 庭を歩く私のあとを尾行するリオ)

 我が家では、つい私が道ばたで捨てられた猫を拾ったり、野良猫が子猫を生むため、それの里親を探したりと、これまでたくさんの猫を飼ってきた経緯がある。

 血統書付き以外のあらゆる柄の猫を飼ってきたのだが、不思議なことにいままでアカトラの猫、いわゆるホワッツマイケル的柄の猫を飼ったことがなかった。

 それが、である。

 私が去年の春頃、つい通勤路で死んでいた猫がかわいそうになり、死体をビニール袋で回収してきたのだ。

 その雄猫の柄がまさにアカトラだった。

 じつは以前から私にはやっかいな動物遺体回収の趣味があり、拾ってくると、それを近所の田圃のなかに栗林に埋葬をしていたのだ。

 近所に内緒でこっそりその栗林をペットセメタリー化していたのだが、なんと2年前に農地改良が始まり、栗林が田圃になってしまったのだ。

 しかたなく、私は我が家の鬼門にあたる北西の土手を掘り返して、そこにアカトラの死体を埋めた。

埋葬のときに、花も一緒にそなえてやり、陰陽道的に「式神になって我が家を守ってくれても全然かまわないからね」と軽く祈願した上で、別れを告げた。

 で、それから半年後、今まで飼ったこともないようなアカトラが我が家に迷い込んできた。

 私は死体を回収するくらいだから、生身の猫はもちろん大歓迎というわけで、家猫化したのが、写真のリオ子である。

 というわけで、私はあの道端ではねられて息絶えた猫が、生きた猫となって我が家にやってきたのではないかと思っている。

 当然のことながら猫は言葉をしゃべれないので、本当はどこからリオが来たのかはわからない。

 わからないけれど、いったん天国にいったあのアカトラが今度はあのネコキチのところで天寿を全うしたいと言って、うまいこと受理されたのではないかとひそかに思っている。

 言うまでもなく、リオは私にべたぼれなのである。