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3月10日(金)恋はよいもの、はかなきもの(映画:花酔道中)

 コラム:恋はよいもの、はかなきもの(映画:花酔道中)

     ★恋愛をテーマにしたコラムです。

 

 

 第1回:再び恋に恋するターン

    映画:花宵道中

 

 ふいうちの恋に弱い。

 恋を全面に押し出した映画や小説には見向きもしないどころかアレルギー反応さえ起こすくせに、殺人事件にちょこっと恋愛、アクション大立ち回りに恋愛、刑事ものに恋愛、完璧なエロマンガに恋愛のプラスアルファ恋愛映画に徹底的に弱い。

 もしかして、自分は恋愛ものが好きなんじゃないのか、と思うがやはりそこはそこ、あくまでもプラスアルファ、ふいうちでないとだめなのだ。

 

 それがどういうわけか、いかにもな映画を観てしまった。

 

 「花宵道中」という吉原の遊女の話だ。

 主人公の遊女朝霧は、はじめて男と相思相愛になるが男は朝霧を守るために殺人を犯し、やがてつかまり、処刑されてしまう。

 主人公朝霧は彼の死を悲観し、後追い心中をする。

 ストーリーはべったべたで、映像的にも低予算で同じような風景のカットばかりがつづき、少し息苦しくなる。

 映画の唯一の見所は、安達祐実扮する朝霧が無粋な客をはねつけるときに、極道まがいの台詞を吐くシーンだろう。

 キレッキレである。

 そういえば、かつて安達祐実は「家なき子」のとき、よく「同情するなら金をくれ!」と小学生の身空で連呼していた。

 映画ではこのシーンまでは年期のはいった遊女を演じるには舌足らずでかわいすぎる声と幼すぎる美少女っぷりで違和感ありありなのだが、このシーンで一気に遊女としての貫禄というか、吉原ならぬ芸能界という苦界で生き抜いてきた彼女の女優魂が全開になり、すげええ、安達!となる。

 

 というか、それだけの映画ではある。

 

 しかし、どうしてどうして、めちぇめちゃ泣けてしまったのである。

 泣いたらもう理屈ではない。

 映画に泣かされたのだから、こちらの負けだ。

 ではこの映画のありきたりな展開で、どうして泣くのかとなれば、それは私が泣くのを待ちかまえていたからということになる。

 

 主人公朝霧は、救いのない日常に突如と現れた相思相愛、自分を大事にしてくれるイケメン、それが引き金となり、生き甲斐を見いだすが、奪われると同時に、命さえ不要になる。

 失恋直後ならば、毎日がそのような気分だが、私も含め並みの女ならやがて男で死ぬなんて馬鹿らしいとなる。

 私自身最後の恋をしてから、ずいぶん長い間そう思ってきたが、ここに来て失恋直後のことばかり思い出す。

 おそらく体調が悪いから、気分もあがっていかないのだろうが、だからこそ本音のふたが開いた今の気持ちをじっくり見つめ直している。

 

 結局、女は男なんじゃないか。

 結局、私は男がほしいんじゃないか。

 そう思う。

 そういう私の本音がそのまんま出ていた映画だった。

 だから泣けだのだ。

 よい映画は感情と記憶をリアルに喚起させる。

 この映画はまるで私の今のひとりぼっちを映し出す鏡のように作用した。

 長く孤独に生きるよりも、好いた相手と心中する。

 少し前なら、なにを甘えたことを、と舌打ちをするところ、今は心底そう思う。

 恋に恋をしている私なのだった。

 そんな男と出会うことは、最大の幸せであり、最大の不幸である思う。