読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

3月8日(水)男が男に惚れる

 

 ついに任侠映画に手を出しはじめた。やくざと博打打ちの世界を描いたこのジャンルは、ジャンルとして確立されているが、私にとっては未知すぎていままで手を出さずにいた。

 ところが、観たい映画がなくなってしまい、有料動画サイトで任侠映画を検索したら、なんと170本近くある。もしかしたら、はまってしまうかもしれないと思いつつ今観ているのが、「修羅の群れ」(1984松方弘樹主演だ。

戦前戦後の熱海を舞台にしたやくざ映画で、タイトルまんま男が男に惚れてしまうような強くて謙虚で優しく血気盛んなヤクザが主人公でその親分を慕い、お勤め(刑期を何年か親分のためにくらう)も厭わない子分たちがあれよあれよという間に集まり、抗争に発展していくという話だ。

この映画では私の知っている世渡りと金策にはじまる営業力だけでヤクザ組織をのし上がっていく現代的な男たちは登場せず、本気で弱気をくじく心意気を持った人間が、それを見る目のある上にひきあげられるという、古きよき時代のある意味単純で心がじーんとなる男達ばかりが出てくる。もう、はまるしかない感じだ。このまともな目をもった男がまともな男を引き立てるというやくざの世界が単なるロマンなのか、当時のリアリティだったのか、私には不明なのだが、とにかく燃える映画だ。

 そういうかっこええ主人公を演じるのが松方弘樹で、松方弘樹といえば、遠山の金さんぐらいしか印象にないのだが、若いころからぎらぎらしつつも、立ち振る舞いがパーフェクトなスターというのが、液晶を通してさえ伝わってくる。たぶん、生で観ていたら悶絶死したに違いない。松方弘樹演じる主人公は見る目のある親分に引き立てられ、また子分たちに敬愛され、あっという間に組織は大きくなる。とくに子分たちの中には、親分のために人生をなげうつ連中もでてきて、この映画を観て私ははじめて、実感としてそういうことをしてしまう男たちの気持ちに触れられたような気がした。

 この親分のためには命さえ厭わないというよくあるフレーズが、感覚としてわかったような気がしたのだ。それは人間が人間に惚れ込むという熱い感覚で、話は変わるが、私は司馬遼太郎吉田松陰を師にもった弟子たちが、「こういう師匠をもったら、弟子は不幸にならざるをえない」的なことを言っていたのを思い出した。つまり、師匠を愛し、尊敬するがゆえに、その身までなげうってしまうという話だ。

 男が男に惚れるくらいなので、女もまた惚れてしまうわけだが、そういう男に惚れて添い遂げるというのは、幸福であり、同時に不幸であると思う。とはいえ、どんなにつらい目にあったとしても、激しい感情を味わえる人生は、長く退屈な人生よりもよほど生き甲斐がある。だから他人のために命をなげうつことは、自分自身のためなのだろう。親分の見る理想を自分も一緒に見ているのだから。ああ、そういう人生を生きたい。