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3月8日(水)歌がうまいってなんだろう

 

 

 図書館で、CDをかりて聞いているが、今週は演歌のターンだ。今は、島津亜矢の2000年ぐらいのアルバムを聞いている。美空ひばりの曲ばかりを歌っており、島津亜矢だから歌えるラインナップだ。

 ことさら亜矢ちゃんのファンではないのだが、亜矢ちゃんは本当に歌がうまくて、演歌界の中でも歌唱力ではトップなのではないかと思う。だからひばりを歌えるのだが、このアルバムはなんだか「ん?」となることが多かった。

 なんだかどの歌も聞いていてもぴんとこないというか首を傾げてしまうのだ。端的に言って歌が伝わってこない。リズム感もピッチも安定しているけれど、歌として説得力がない。

 ひばりは天才と言われるだけあって、どの歌もまるでその人生を生きたかのように歌えるというヤバい才能を持っていた。比較するわけではないのだけれど、特に「川の流れのように」を聞くと、歴然とする。なんだか流れていかない感じなのだ。いや、十分うまいのだけれど、感動まで行かない。

 歌を聞いていて「上手い」歌い手はそれこそ吐いてすてるほどいる。しかし、「感動」させる歌い手はなかなかいない。プロでもいない。それは歌がうまいことと、感動させることが、違う次元のものだからだと思う。

 おそらく上手いは技術。感動させるのは、思いなのだ。思いは伝えたいという切実な感情であり、歌い手がそういう感情を技術で昇華させたところに、聞き手の感情や記憶が喚起され、感動が起こる。

 だから、下手をすると上手いのは当たり前で、もしかすると、上手くさえなくても、歌は伝わるのかもしれない。その思いさえあれば。

 だから、カラオケ番組を見ていて私なんかは、痛々しいなっときがある。いくら歌が技術的に上手くても、それが伝わるとはかぎらない。せいぜい、上手でしかない。感動を伝えるのは、究極その歌の人生をいきることでしかないのだと思う。それができるのは、人生の積み重ねや経験であるし、今の亜矢ちゃんのアルバムはきっとすばらしい出来なのだと思う。

 むかし知り合いの俳優がこんなことを言っていた。

「あのときはまだそのセリフを言える体じゃなくて大変だったよ」

 そうかもしれない。

 経験にないことを、想像力で補うには凡人には大変な努力が必要で、それができるから、天才は天才なのだろう。