3月7日(火)メンターは神話なのか

 

 「うらやましいねえ」

 「だよね」

 つい先日の回でも書いたけれど、行きつけの美容室のスタイリストさんが独立をする。Tさんという36歳になる男性で、彼のところには、もう5年ぐらい通っているのだろうか。

 行くと、ついおしゃべりが楽しくて、仕事の話から夢の話、道徳、SFなど熱い雑談をしているうちにうちに数時間が経つ。

 Tさんとこの前話題にしたのが、メンターと言われる存在に出会ったこともなければ、持ったこともないということ。

 メンターはよく職場の先輩や上司などで、自分の導き手になってくれるような存在のことを言う。私もTさんもそういうメンターを持ったことがない。

 メンターの定義は色々あるけれど、スターウォーズで言うヨーダ的な存在だろう。ヨーダは技術の伝授に限らず、もっと大きな人生の指針を持っており、かつ目指すべき目標ラインのどこに主人公がいるのか、マッピングしてくれる存在だ。

 書いていて、ふと思ったが、メンターというよりも、それはマスター(師匠)に近い存在かもしれない。

 私もTさんも、そういう師匠を持ったことがない。

 それは、私もTさんも自分の将来像をある程度の揺らぎと可能性の中においており、こうなりたいという像を今もって自分自身でさえ手探りしているからかもしれない。つまり、ジェダイになりたいのではなく、ジェダイを通してどんなことができるのか、どんな人間になれるのか、そういう風に思っている人間にとって、ただのジェダイという職業的な技を持っている人間では、自分の師匠として足りないということになるのかもしれない。

 私はいまだにどういう人間になりたいかのビジョンがゆらゆらしている。自分が思うビジョンの周辺に生きている人間を目にすると、心がざわつく。ざわつくけれど、心の中の自分が、いまいち違うと言う。たいていの日常にぜんぜん違う、と言う。

 私の中にはたくさんの分野ごとの尊敬するかっこいい人がいる。でも、実在の人物として自分がなりたいモデルが見つからない。

 たぶん、自分は誰かになりたいわけではなく、自分らしく生きていきたいだけなのだ。だから、モデルは自分が手探りで掘り下げていくものでしかないし、そんな人間が全体的な導き手を持てるわけがないのかな、と思うのである。それでも、ヨーダ的な師匠がほしいな、と日々思うのは巷にあふれるフィクションの影響だろうか。