読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

3月6日(月)死の瞬間にいあわせる

 

 怪談好きなくせに自分が直接体験した霊的な事件はなにもない。なにもない代わりに、不思議だなという体験がある。それは、飼っていた動物の死に直面することだ。

 飼っていれば、それは当たり前だと思われるかもしれない。

 しかし、放し飼いにしている猫の場合はそうは行かないことが多い。猫が寿命を悟ると、家出をしたまま戻ってこないことはよくある。実際、我が家の飼い猫の9割が脱走したあと、行方不明だ。寿命だったのかもしれなないし、テリトリー争いに負けて家出をしたのかもしれないし、道に迷って戻ってこられなくなったのかもしれないが。いずれにしても、猫の死に目にあうのは難しい。もといえば、飼っていても病気になり、その死に目にあうことが、仕事をしているサラリーマンにとってはまた至難の技なのだ。

 しかし、長く動物を飼っていると、とくに10年ぐらい飼っていると、動物たちはその死に際して、その死の瞬間さえも飼い主の都合にあわせてくれるのではないかと思ったことがある。

 一つ目は、拾い猫のクロだ。彼は拾ったときから風邪ひきがひどく、まもなく尿結石にかかり、死のふちをさまよい、それから10年間、最期のときまでで体が太るという状態にはなれないがりがりの猫だった。口内炎もひどく、最期の2年は寝たきりで、よく私の部屋のクローゼットに隠れて体を休めていた。

 このクロが全くものを食べなくなったとき、私は死を覚悟した。2月の寒い時期で、私は当時税務課に勤務しており、休日も確定申告の業務でほぼ休みがない時期だった。残業時間は月に100時間を越える月だった。クロが危篤になったのは、ちょうどその時期だった。二年前から彼の死を覚悟していたが、最期は看取ってあげたかった。しかし、休みは明日だけだ。そんな日の夜、クロは立ち上がることもできなくなった。私は祖母にその夜はあずけた。朝早くおきて、クロを私の部屋に移動させ、その呼吸がか細くなっていくのを見守っていた。

 その呼吸が最期、ふっと消えたとき、クロが天国に行ったのを感じた。もう、その体にクロの魂がいないことを感じた。

それでも、奇跡だった。

 一ヶ月でその日しか私には休みがなかったのだ。日が上ってから、クロを埋葬した。骨と皮ばかりになっていた。クロは私がはじめて看取った猫となった。

 クロの体験を通して、私はクロが私のために死の時期を合わせてくれたのだと思った。動物には不思議な力があって、ほんとうに死のぎりぎりでそうした力を発揮することがあると思う。大事な人の前ではその死さえもコントロールしてくれたのかもしれない。クロにありがとうだ。最期まで一緒にいられて、本当によかった。