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3月6日(月)悪魔が怖いか、人間が怖いか

コラム 【映 画】

3月6日(月)悪魔が怖いか、人間が怖いか

 

 2月はホラー映画月間だったので、ジェームズ・ワン死霊館シリーズを2本鑑賞した。ジェームズ・ワン監督は「SAW」シリーズで有名なのだが、こちらはとびとびにしか観ていない。たまたま観たシリーズ3が絶賛おもしろかったのだが、なぜかリピーターになれないままだ。

 そのワン監督が別口で、死霊館シリーズをだしている。死霊というので、幽霊話かと思うのだが、幽霊を操っている大ボスというのがいて、その「おまえが真犯人かー!」というミスリードから真相というフローは、ホラーというジャンルながら謎解きのおもしろさがあっていい。しかしその真犯人が「悪魔」なのである。

 この悪魔、日本人には感触としてしっくりこないのではないだろうか?

 私にはしっくりこない。

 日本のホラーは、元人間であった幽霊がうらみつらみを募らせて、怨霊化するというフローがあり、こちらは「やべえ、あいつ元人間だったのに、クリーチャーになっちゃったよ」的な、自分に置き換えたら、自分も怨霊にスライドする可能性が? こわ! どうしよう! 的な恐怖が少しはある。しかし、悪魔が人の弱みにつけ込んでとかなると、「悪魔……どちらさん?」となる。ここらへんが、キリスト教になじめない私は、いらいらしてきちゃうのだ。

「いや、わかるさ。神様っていうのが純度百パーのいい人、百パー悪い人が悪魔。でもさでもさ、その百パーってありえなくない?」

 と、なる。キリストでいう神は全知全能で、人が発明したのだから、そういうフィクションはもちろん、大ありなんだが、どうしてもこの百パーいい人という設定が日本人にはなじまない。

 少なくとも私にはなじまない。

私が怖いと思うは人の形をしていて、人でなしな連中だ。たとえば、ヤンキー・任侠映画やゾッキー映画というジャンルがあるが、ああした闇・不良社会は怖いとおもいつつ、そいつらの言うこともわかる、から怖い。普通に見える人がクズだったり、クズに見える人が善人の顔を持っていたり、その曖昧な部分があるから、感情移入できるし、リアリティがある。

 キリスト社会からすれば、「信仰がねー人種がなに言ってんの? そっちが不気味」と言われそうだが、なめんなよ。日本人はこう見えても新興宗教人口が総人口の3倍を記録してるんだ! なぜなら、かけもちするほど日本人の一部、宗教好きだからだ!

 と、それは、置いておくにしても、怖さを求めて映画をみるとき、最近はホラーでなく、ヤンキー映画になりつつある私なのであった。