3月5日(日)人に理解されない趣味~怪談~

3月6日(月)人に理解されない趣味

 

 人に理解されない楽しみってありますか? と、聞かれ怪談を寝る前に聞きまくって、やすらかな眠りにつくこと、と答えたら、案の定、不審な顔をされた。

 おい、客商売だろうが、つーか、おまえが聞いたんDA YO NE? 

 とか、内心思ったがもちろん口には出さずにいたら、

「あの、なんで怪談がすきなんですか?」

 と言われた。それはもう、怪談が元人間の話だからに決まっている。どういうわけか、幽霊という存在があるのかないのか本当のところはわかないが、人間は死んでも生きていても、魂というか思いが強いとその存在だけが活動するというフィクションがこの世では古今東西どこにおいても定説になっている。

 肉体が消滅してからも、魂というか残留思念がとどまって、「化けて出る」なんて、いったいあなた、なにがあったのよ?  聞いてやるからさ、と、普通ならないだろうか? 私はなる。

 もっとも、怪談のたぐいは怪異が起きてそれで終わりのことが多く、金田一少年の事件簿のように、犯行のトリック暴きにつづいて、そんな凶行に至る動悸と悲惨な過去を幽霊が切々と語るシーンはない。

 私としては、そちらのほうは想像するべくしかないのだが、その想像のきっかけをくれる怪談というのは本当に心のそこから楽しく、うきうきな娯楽だ。とはいえ、そのような怪談に巡り会えることは少なく、ほぼ「つくったような」話がほとんだ。作っていても、もちろんかまわないのだが、その場合は墓場までその「嘘をついた」ことを持って行くべきだと思う。

 その語り手の本気のウソが聞いているものに伝われば、事実とならないまでも、高度な娯楽になる。

 そういうわけで、怪談は二度おいしい。

 元人間のなれの果ての叫びに触れられるということ、そして話し手の本気度にやる気をもらうというおいしさ。

 もっとも、ここまで言っても誰一人私の周囲で怪談ファンになってくれる人はいないのだが。