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3月4日(土)消えたカワセミ

3月4日(土)消えたカワセミ

 

 改めてその風景を見たとき、まるでヒロシマだと思った。舗装されていない白茶けた直線道路。その脇には草も木も生えていない大きく区切られた田圃が連なっている。それはまるで原爆が落とされた後の、なにもない殺風景な原野だった。

 一昨年からはじまった圃場整備が完了し、自宅周囲は広い道路と田圃に囲まれた。季節ごとに野草をさかせ、それを摘みながら下校するのが楽しかったあぜ道は土手ごとなぎ払われ、家の横手を流れるザリガニやどじょうの棲む小川は直線の浅い水路に変わった。

 そうなる前は田圃の中に栗の木の林があった。蝉や鳥たちの休む木立が続いていた。それが、今やなくなりあとにはヒロシマのような風景が残った。

 誰にも止めることができなかったし、止めようとも思わないまま、あれよあれよという間に工事はすすみ、気がつくと周囲の風景はすっかり変わっていた。

 中途半端な田園地帯に住んでいると、木立や林や小川が一つずつなくなっていくことに、それほど違和感がない。人口密度の低い、全体的な田舎に住んでいるからだ。まだ自分たちは静かな田舎に住んでいると思ってしまう。

 しかし、なにもできず、なにもせずにいるうちに子供の頃の風景がまったくなくなってしまった。小川も木立も曲がりくねったあぜ道も山もなくなり、どこかで見たようなただの住宅街がそこにはある。

 進歩かもしれない。しかし、そこには自然と切り離された整然とした人工的な田園風景が広がっている。

 この前、水路をのぞいたら、いつのまにか泥がたまり、小魚やザリガニが棲んでいるのを発見した。嬉しかった。自然はたくましく、つながっているのだと思った。

 しかし、風景が変わってから完全に消えてしまったものもいる。カワセミだ。

 工事が始まる前も滅多にみることがなかったが、家の横の川にカワセミが棲んでおり、ごくたまにその姿を見ることがあった。カワセミの羽は青と緑で水辺を飛ぶ姿は緑青の宝石のように輝いていた。きらきらと光る川面を疾走するカワセミは一年のうち数回しかお目にかかれない。それを見たときは奇跡にあったようで感動した。そのカワセミの姿をもう何年も見ていない。

 自然は人工的な世界でもたくましく共生する力がある。しかし、ない生き物もいる。それらは誰も知られることもなくひっそりと消えていく。あのカワセミの姿はもう、思い出の中にしかない。ときおり目をつぶってカワセミがあの小川を飛んでいた風景を思い出してみる。カワセミは光る川面の上を嘘みたいな速さで飛んでいく。緑青の光る影を残して飛んでいくカワセミはいったいどこに行ったのだろう。