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3月4日(土)秋田の光と闇

コラム 地方

秋田県の学力全国1位の輝きと自殺率ワースト1の闇

 

 昨日、職場で上司の受けた研修のレジュメが回ってきて、つい目を吸い寄せられてしまった。それは、学力向上に関する秋田大学のプレゼン資料だった。資料によると秋田県の小中学校の学力が全国ナンバー1であり、なぜそれが達成できたかを切々と説明しているものだった。会議に出席した職員は私の職場の先生で、彼は非情に勉強熱心なので資料にはメモ書きだけでは足りず、大判の付箋も駆使して資料は、真っ黒ならぬ総天然色のメモで埋め尽くされていた。

 塾がない自宅学習、学校と家庭の連携、うんぬん。

 学力向上に向けたノウハウが一面にでており、会議は相当熱いものだったことが想像された。

 それはそれでいいのだが、教師という職業でない私は秋田県と言って思いつくことは自殺率ナンバー1の県という事実だった。

 日本の自殺率が高い県は秋田に続いて、島根だという。そして、トップ周辺を固める県は東北のいくつかと山梨。経済方面の仮説では新幹線神話というものがあり、新幹線がないことで経済的発展から取り残され、失業率の上昇とともに過疎化がすすむという仮説だ。わからなくもないのだが、私個人としてはあの日本海側の冬の日照時間の少なさに原因があるように思われる。たしか精神病院の数もあの辺りが日本でトップではなかったか。人間単純に太陽を浴びていないだけで、ウツウツとした気分になるものだ。

 それは置くにしても、秋田県の学力がトップであること、それはそれでいいことだ。だが、ふと考えてしまうのは、果たして成績優秀に育った子供たちは地元に残るだろうかということだ。おら、こんな村やだ、とならないか。仮に秋田を出たとしても、いつかはそれぞれ強者となって地元に戻ってくることもあるかもしれない。しかし彼らは戻れるのだろうか。彼らを待つ豊かな地方として秋田は残っているだろうか。

 学力が高いということは、教養を培う根っことなり、それは自己革新や地域の仕組みを組み替える力になるかもしれない。しかし、個人の学力だけで突破できない要因を彼らは一丸となって変えていけるのか、学力ナンバー1という光に一抹の希望を抱いて、資料を読む手を閉じたのだった。