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巻き添え(6/8 対決)

★ブログ数8記事で終わらせる予定のホラーです

 バーのマスターが主人公で店で怪奇現象が起きるので、それを解決するみたいな話です。

 0:オープニング

 1:出現

 2:翌日 美砂 

 3:出現 助けを求めて

   4:アカトラの来訪

 5-1:犯人捜し 

 5-2:犯人捜し(2)

 

 

 静かだ。

 紫崎は目をとじた。

 店内には時計の秒針だけが響き、ときおりメインストリートを滑走する車のモーター音が遠く尾をひくように聞こえてくる。

 紫崎はゆっくりと目を開けた。

 カウンターには伝票が広がり、床には紙くずが落ちている。

 はじめは足元のくずかごに入れていたのだが、そのうちのいくつかが軌道をそれ、そのままになっている。 

 十二時半を回ったところで、紫崎は背後を振り返った。

 入り口の壁際に変化はなかった。

 おかしい。

 つい首を傾げる。

 せっかく人が話しかけるチャンスを作っているというのに。

 紫崎は悲壮な覚悟を決めた数分前の自分がバカらしくなった。

 ロウが店を出たのが、三十分ほど前だ。

 ふいに「今晩は大丈夫だ」という根拠のない自信がわいてきて、あの女と対決する気になった。そんな無謀な思いつきがひらめいたのは、なにより、首筋のあざが完治してしまったせいもある。そしてしばらくあの女を見ていないせいもある。

 喉元過ぎればなんとやらで、あれは夢だったのではないかと紫崎自身が思うようになっていたのだ。いや、思いたくなっていたのだろう。

 実際は、来る客来る客にそれとなく生霊の正体をさぐるような質問を続け、客からもこれまで核心をつくような答えはない。

 不毛な努力のような気がしたし、これ以上は無理な気がしたのだ。

 だいたい、生き霊を放つほど男が欲しい女も見かけなければ、生き霊にとりつかれて苦しんでいるような男も客のなかにはいそうになかった。

 苦しんでいるのは俺なのだ。

 そんなとき、先ほどのロウの話にぴんときた。

 そうだ、だったら貞子本人に聞いてみればいい。

 紫崎は決心した。

 俺が怖がるから、あいつもムキになる。

 きっとあいつは何かを訴えたいのだ。

 辛抱強く聞いてやれば、ぽろっと男の名前を吐くかもしれない。

 ようし、やってやる。

 そう思ったのが十分前。

 そそくさと片づけをしていた手を止めた。

 そして、紫崎的には悲壮な覚悟を持って、彼女の出現を待っているのだが、一人、事務作業を初めてかれこれ時間だけが経過するが女の出現の気配はない。

 もしかして、一生でてこないのか。

 そうなりゃラッキーなんだが。

 そう思ったときだった。

 ぶううんと、耳元で蜂の羽ばたきのような音がして、紫崎はとっさに耳のあたりを払った。

 蜂か虻のような低音の羽音だ。

だが、こんな真冬に蜂など飛んでいるはずもなく、天井を四方八方見渡したがやはりそれらしい羽音の音源は見つけられなかった。

 気のせいか。

 紫崎が視線を元に戻そうとしたその瞬間だった。

 店内の雰囲気が明らかに変わっていた。

 ふいに部屋全体の照明が落ちたかのように暗い影が壁全体を覆っていた。天井の明かりはついたままだが、その光が部屋に届いていないかのように、部屋が全体がなぜか暗い。暗いというよりどす黒く染まっている。

 鳥肌が立った。

 きたか。

 紫崎は覚悟を決めてスツールから降り立つ。

 振り向くと、入り口の壁際の席に黒い影が座っていた。

 影のサイズはちょうど人間の成人ほどで、女にも男にも見える。

 真っ黒な影は目も鼻も口もない。ただ人の大きさをした黒いものが椅子に座っていた。

 脅かしやがる。

 紫崎は舌打ちを堪えて、影に向きあった。

 なんか、飲むか?

 軽く冗談まじりに言ってやろうとした。

 だが、そのときにはすでに体全体が動かなくなっていた。

 お約束の金縛りか。 

 紫崎は、叫びだしたい気持ちを押さえながら、必死で体の見えない呪縛を解こうとした。

 だが、指の先まで動かない。

 まるで足の裏が床にボンドで接着されたようだ。

 紫崎の額に脂汗が浮かぶ。

 そっちがそうくる気なら、話なんて聞かねえぞ。

 内心の叫びが聞こえたのか、影はゆっくりと立ち上がった。

 その拍子に影の表面を覆っていた何かが、ぼとぼとと床に音を立てて落ちていった。重油のようなべとべとした粘液性の物体だった。

影がこちらにむかって近づくたびに、ぼとぼととその重油が影の表面から落ちていく。

 あっという間に床に真っ黒な染みと粘液が積み重なった。

 くそ、話せばわかるって、言え、言うんだ。

 必死に唱えるが、声にならない。

 影がふいに一メートルほど先に迫ったそのとき、突然そいつは両手をつきだしてきた。

 細く、筋の浮き立った青白い腕。

 女の腕だった。

 黒い重油のような汚物にまみれ、ぞっとするほど感情に支配された両腕だった。

 紫崎はうめいた。

 顔はいまだに黒い影に覆われている。だが、だいたい想像はついた。

 黒い長い髪。たぶん、半目だけでこちらのにらんでくるに決まっている。

 最悪だ!

 誰だよ、こいつのことをカウンセリングするって言った奴は。

 紫崎が呪詛の言葉を自分にかけたその瞬間、のばされた腕が紫崎の首にかかった。

 生臭い、ヘドロのようなにおいが鼻をつく。

 驚いたのは女の両手にこもる力がすさまじかったことだ。

 全体重なんてものが影にあればだが、そいつは全身全霊をこめて紫崎の首を締め上げにかかった。

 紫崎はその力に抵抗できずに、背後にむかって倒れた。

 どこかを打った。鋭い痛みがまず尻に、そして後頭部を直撃する。

 くそ、いてえ。

 思った瞬間、金縛りが解けた。 

 紫崎は馬乗りになって自分の首を締め上げている影の手を外そうとしたが、やつの指は食い込んでいてびくともしない。

 呼吸が限界に達した。

 足をばたつかせ、手に届く範囲のものをつかんでみる。左手が空を切る。床には花瓶も灰皿も落ちていない。

くそ。

 手をばたつかせると、ゴミ箱にあたって、中の紙屑があたりにちらばった。

くそ。

 紫崎は苦しまぎれに紙屑をつかんだ。

 そのとき、頬に何かがふれた。

 さらさらと、紫崎の頬を流れ落ちていくもの。女の長い髪だった。

 馬乗りになった女の長い髪が、紫崎の頬をなでて、床に落ちてゆく。

 紫崎はおそるおそる視線を女の顔に移した。

 こちらをのぞき込む女の顔は長い髪の毛に覆われていてわからない。安堵が押し寄せた瞬間、さざ波のように引いていく。先送りされた女の顔のせいで、よけいに恐怖が増した。

 くそ、またこのアングルかよ。

 紫崎は薄れていく呼吸の中で、もがいた。

「う、げ、ご」

 自分の口からつぶされた蛙のようなうめき声が漏れた。

ふいに、女の力が止むと同時に、がばっと女が紫崎の顔数センチのところまで顔を寄せてきた。長い髪に阻まれて、顔は見えない。だが、その瞬間、なんとも言えない気持ちになった。

悲しみ、苦しみ、不安、おそれ、負の感情がミックスされた何かが女から紫崎にむかって発射されたような感じだった。

 精神的には、絶望が一瞬にして感染したような気分だった。

 だが、女の手がゆるんだことはたしかだった。

 そのおかげで急激に紫崎の気管に酸素が入り込む。

 紫崎は最後の力をふりしぼって女の手を払いのけ、起きあがる。そのままごほごほとせき込みながら、女を振り返る。

 そこにはもう誰もいなかった。

 うそだろ。

 床に落ちた黒い物体も消え去り、紫崎の足下に転がったゴミ箱とメモくずが散乱しているだけだった。

 話もしないで消えやがって。

 紫崎はぜえぜえと肩で息をしながら、喉に手をやった。

 ふいに左手に持っていた紙屑が喉にあたった。

 さきほど、無我夢中でつかんだ役にたたないゴミくずだった。

 手のひらを広げると、数日まえに美砂が丸めたおひとり様の記事だった。

 くそ。

 紫先は転がったくずかごを元にもどし、そこに放り投げようとした瞬間、脳裏に一筋の光が走った。

 同時に、紫崎の頬の流れるように落ちていった長い髪の毛の感触がフラッシュバックする。

 そして、あの感情の嵐。

 そうだったのか。

 紫崎は痛むのどに手を当ててつぶやいた。

 犯人はあいつだったのか。

 痛むのどをさする紫崎の耳に時計の針の音だけが響いた。