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巻き添え(5/8 犯人捜し1)

巻き添え(小説) 九条のケース 怪談風味

★ブログ数8記事で終わらせる予定のホラーです

 バーのマスターが主人公で店で怪奇現象が起きるので、それを解決するみたいな話です。

 0:オープニング

 1:出現

 2:翌日 美砂 

 3:出現 助けを求めて

   4:アカトラの来訪

 

 5

.

 

 アカトラの来訪から三日後、二月も残すところ三日となった。

肌を切り裂くような冷たい北風と、乗っかってどこに飛んでいきたくなるような暖かい南風が交互にやってきては、少しずつ春の訪れをつぶやいていく。

 紫崎はあれから、壁女には遭遇していない。

 紫崎自身が閉店後に逃げるようにして店を後にしてしまうからだ。帳簿や発注など必要なことは家にお持ち帰りし、できるだけ一人で店に滞在しないことにしたのだ。

 そのかわり、どうしても店でこなさなければならない在庫確認などは開店前の午後にスライドさせた。どうやら日が高いうちは、あの女は冬眠しているらしく、紫崎が一人で店にいても出てくる気配さえない。

店での滞在時間を変えたことで、特に不便はなく一瞬、このまま行けるか、と思ったが、やはり自分の店への出入りを遠慮する状態には嫌気がさしていた。

 文字通り若き日の蓄えという自腹を切って手に入れた店だ。

 居座るなら家賃を払え、というのは冗談でなんとしてでも退散願いたかった。

 そういうわけで、あれから三日。

 紫崎は、手ごわい相手とどうしても戦わなければならないボクサーのような気分だった。ラウンドをこなすどころか、つまり、二秒も立っていられないという感じだ。

 たとえば、昨日のこと。

女の正体をさぐるべく、店に来る客をつぶさに観察をしてみたが、やはり見ているだけではわからない。つい功を焦り核心をつくえげつない質問をしてしまい、他の客にたしなめられるという事態が発生したのだ。

 その日、カウンターには四人の客がいた。

肩書きは、右から三十代の医者、同じく三十代の県の職員二人、四十代の会社員。いずれもバーの常連で、所得階層は右から準に下がっていく感じだ。既婚者は医者と県の職員のうちの片方。つまり既婚:未婚の割合が一一だ。

 平日の夜にまっすぐ家に直行しない日があっても、独身なら文句も出ないし、既婚の場合は何かいいわけをしてここにいるのだろう。

 男たちは見れば見るほど掃いて捨てるほどいるいつもの客層だった。

 この中に女を泣かせている男がいるとして、どうやってあぶり出す。 

 紫崎は考えた。

 確率的に言っても一般論から言っても、この中で女遊びをしてそうなのは、一番右側の席に座る医者だ。だが、紫崎は目の前のイケメンで、所得階層も高く、社会的ステータスのあるスコッチ・ウイスキーをこよなく愛することで彼と意気投合する医者が犯人とは思えなかった。

 そこでこう切り出した。

「先生、結婚してからもうちによく来てくれるけど、奥さんは怒らないの? 早く帰ってこられるときぐらい早く帰ってきてって」

 紫崎のさぐりに、客は鷹揚にうなずいた。医者は総合病院の外科に勤務しており、店を訪れるのは月に一、二度。夜勤や急な呼び出しをうまく避けられる日を選んでここに来ているというが、そういう日ほど家庭は彼を求めるのではないか。

「マスター、家内はよくわかってるんだ。僕のことを。たまには一人でいたい日があるだろうって」

 紫崎は磨いているグラスを落としそうになりつつ、あわてて笑顔を作った。

 この場合、浮気をしているのは十中八九、妻側になるのではないか。

 医者は紫崎が二時間ドラマ的発想をしているとは夢にも思わず続ける。

「僕の場合、女性遊びも、ギャンブルもやらないとなれば、残るはアルコールでしょ。好きなアルコールくらい自由に飲みたいときに楽しめばいい、という妻なりの配慮なんだな」

 医者は自慢げにいうが、どこか疲れた口調だ。グラス二杯ですでに酩酊しかけているが、今夜はまだまだ飲むだろう。

 紫崎は三杯目の水割りを差し出すと、心の中の手帳の備考欄にメモをした。

 M総合病院外科医:浮気の可能性はあるが、むしろ妻にその気あり。

 だめだ。

もっと突っ込まないと何もわからないが、今夜は相手も酔っている。医者の言葉がすべて裏腹だとしたら、攻め込むには客のいない静かな環境がほしいところだ。紫崎は医者を容疑者候補に上げ、手帳を閉じた。

 次に紫崎はカウンターの左の隅でモスコミュールを飲んでいる客に声をかけた。客は保険会社の営業で、未婚だがまさに恋愛適齢期

 紫崎は脳内で客の履歴を簡単に洗いなおすと、尋問を始めた。

「最近、好きな子とかいないの?」

 紫崎の問いに、三十歳・独身・彼女いない歴2、3年の彼はゆっくりと顔をあげた。

「マスター、俺本当に一生恋なんてできないかもしれない! もう俺は……」

 目が潤んだかと思うと、紫崎が言葉をかける前にカウンターにつっぷした。

 紫崎は、突然一方的に開始された自己憐憫劇場に放り込まれた。しかたなく男の背をさすってやる。

「はやまるな。はやまるな。失恋でもしたの?」

「逆ですよ。好きな子さえ、見つけられないんです!」

 客はつっぷしたまま投げやりな口調で叫ぶ。

「あー、気にするなよ。そういうことってあるんだよ。タイミングだから」

 紫崎は脳内メモに結果を書く。

 A保険会社営業担当:女にうらまれるようなことはしていない。その前の前の段階。

 紫崎はグラスに水をそそぎ、モスコミュールの隣にそっと置いた。

「婚活とかは行ったのか。ああいうところこそ、お前の市場があるよ」

「人を商品みたいに言わないでくださいよ」

「いや、だって婚活っていいな、ほしいな、って互いが思って成立するもんだろ」

 紫崎が微妙に婚活の残酷な定義を述べた瞬間、真ん中のカウンターの県職員、独身男がわめきはじめた。

「マスター、その通りなんだよ! もてる奴はどこにいてももてるんだ! そしてその定理とは逆でもてない奴は婚活市場でももてない!」

 わかった、わかったから、少し黙れ。それ、口に出さなくても宇宙の真理だから。

 紫崎はあいそ笑いを作りながら、うなずいた。

 独身男Aがめそめそと机につっぷすその隣で独身男Bは、国産ウイスキー二杯でできあがったテンションで顔を真っ赤にして言った。普段はおとなしい男だが、酒に飲まれやすく、ちょっとしたきっかけで暴発するところがある。おまけにほんのわずかにちびでほんなのわずかにおでぶのめがね。

 いわゆる、PDM。ぽっちゃりデブめがねだ。

 紫崎は脳内メモに、公務員独身PDM:なし とだけ記載した。

 しかし、いくらPDMがもてないとはいえ、今は公務員様々の時代だ。長引く不景気のせいで、相対的に一般企業の収益が低下、引き替えに公務員の地位が向上したせいで、なりたい職業、つきたい職業、結婚したい相手の職業の上位に堂々ランクインする昨今、さしてPDMであることが結婚市場において足かせになるのか。

 足枷になるのか!

気になるところだが、紫崎は本題からそれる好奇心による質問は控えることにした。 

 代わりに直球をぶつけてみる。

「でも、公務員って持てるだろ。どこかで、女性にうらまれるようなことしてないともかぎらないんじゃないか」

 紫崎のよいしょの混じった揶揄にPDMはカウンターをたたいて抗議した。

「マスター、そんなこと僕に限ってあるわけないでしょうが! 女に恨まれるなんて夢のまた夢ですよ! そういうのは、既婚者で不倫している奴らの専売特許ですよ。むしろ、恨まれさえしない! 見向きもされない!」

 語尾に涙が混じる。

 紫崎はあわてて、頭をさげる。

「悪かったよ。悪かった。だから、落ち着け」

「これが、落ち着いていられるかって話ですよ!」

 最後はもうぶひぶひにしか聞こえない。

 紫崎がそっとカウンターの奥に退散したところで、M総合病院のイケメン医師と目があう。

 医師は酩酊しきった目を紫崎に合わせると、人差し指で銃をうつ仕草をした。

「マスター、直球すぎ」

 やっぱり、か。

傷口にタバスコを塗りたくるような台詞を吐いてしまった自分を反省した。

 しかし、収穫もあった。

 今夜の客に生き霊になってまで追いかけたい男はいない可能性が高い。

 一方で今夜のことで紫崎は女に恨まれている客を探すことがいかに困難か改めて思い知った。

 知りたい事実ははっきりしている。

 客が女に恨まれることをしているかどうかだ。

 しかし、それをさぐるのに、上記の台詞を突きつけると人間関係、そしてバーテンと客という仕えるもの仕えられる者の関係性にあからさまなひびがはいる。

 言い換えれば、下手な二時間ドラマのセリフように「あなた、昨夜の二十一時頃、どこにいましたか」と死亡推定時刻のアリバイを刑事が訪ね、尋ねられた人間が「刑事さん、私のこと疑っているんですか?」となれば、刑事と罪なき民間人の間に疑う者、疑われる者の緊張が走るようなものだ。

 露骨な質問は、露骨な亀裂を人間関係に走らせる。

 紫崎はカウンターごしに入り口の壁を見つめた。

 染みはなく、きれいなものだ。

 あの女の出現が夢であったらよかったのに、そう思った瞬間、裏口の開く音がした。

 時計を見ると、五時半。

 もうこんな時間か。

「マスター、コーヒー一杯」

 九条が裏口から堂々とカウンターの横をとおり、定位置に陣取る。こいつが来るのは数日ぶりだ。

「ここは喫茶店じゃなくて。バーですけどね」

 愚痴を言いながら、紫崎は一杯三千円するコーヒーを入れ始めた。 

 

 

5ー2

 

「うかない顔だな、マスター」

 カウンター席で九条がブラックコーヒーをすすりながら言った。

 かちんとくる台詞だ。

 紫崎は腹の中でため息をついた。

「昨日、客あしらいに失敗してな、思いだしていただけだ」

 九条は意外そうに口笛を吹いた。

 完全に好奇心丸出しのお気楽ご気楽なジェスチャー

 またもやかちんとくる。

「マスターでもそういうことあるのか。ちゃんと寝てる?」

 紫崎は首を振った。

 例のことをこいつに言うか言うまいか迷った。

 昨日の体たらくから考えても、このミッションは単独でのコンプリートは正直きつい。

 刑事だと言わないで、ホシのアリバイを確認するような名台詞がこの世にあればいいのだが、あいにく紫崎には想像がつかない。

 あんた、どこかで女に恨まれるようなことをしなかったか?

 どうやってこの直球をオブラートにくるみつつ、最終的にはイエス・ノー回答をさせるのか。

 紫崎は九条のあっけらかんとした顔を見つめ、無理だと思った。

 第一、こいつだって有力な容疑者だ。

 そうだ、こいつこそ怪しい。 

 紫崎は昨夜の過ちをふまえつつ、オブラート方式で攻めることにした。

「この前、お前が来た次の日、美砂ちゃんが来たぞ。ヘッドハンティングのこと言ってないだろ?」

 紫崎の問いに、九条はこちらを小馬鹿にする表情をやめ、急に真顔になった。

「言ってないよ」

 ほらな。紫崎は思った。こいつこそ容疑者だ。もう、決定だ。美砂をかなり苦しめている。

 だが、だとするとあの生き霊を放っているのが美砂ということになり、あのざんばら落ち武者風情の女が彼女の生霊ってことになる。いやいやないでしょう。

 紫崎はテンションの落ち込みをかろうじてこらえた。

「お前さ、そういう大事なことをなんで言わないんだよ」

「だって、まだ正式な話じゃないしな」

 紫崎は顔をあげた。その顔を見た九条がめんどくさそうに説明しだした。

 九条によると、ヘッドハンティングの話があったのはつい一ヶ月ほど前らしい。九条の前の職場で、やつの後任についた編集者がわざわざやつの居場所をつきとめて、自分の後任を引き受けてほしいと言ったのだ。

「つまり、そいつはお前がやっていた仕事を成功させた暁には、お前に会社に戻って元の仕事をしてほしい、とこう言ったわけか?」

 九条はうなずいた。

「口約束みたいなもんだと、その時は思った。普通の企業で一度自主退職した奴を、わざわざ呼び戻すことなんてめったにない。俺はそれほど自分を買い被っちゃいないしね」

「話が見えないんだが、お前、編集部で仕事してたんだよな。有名な作家先生の担当だっただろ?」

 九条は肩をすくめた。

「はじめはね。最後は新人作家のベビーシッターみたいな仕事だ」

「意味がわからん。じゃ、そのお前の後任者ってやつは、その新人作家の担当をしてるってことか?」

「そういうこと」

 紫崎はようやく理解した。

 九条は話すか話すまいか迷っているようだったが、紫崎が促すまでもなく自分から話だした。もう潮時だと思ったのかもしれない。実際、これかで紫崎は一度も自分から九条の身の上話を掘り下げようとしてこなかった。

「話せば長いんだ」

「要点をまとめろよ」

 そこからは本当に長い話だった。

 まとめるとこうだ。

九条が最後に担当した新人作家は、二十代の小娘だったが、彼が新人の頃担当になった大御所作家先生の孫だった。さかのぼること十年。大学出たての新人編集の九条にしてみれば、やつが大御所先生の担当になったというより、大御所先生が駆け出しの編集者の担当としてめんどうをみてくれたというほうが正しい。その大御所作家の元で、九条は編集者としてのイロハを学び、同時にまだ十代半ばの頃の作家の孫に出あう。その孫こそが、十年後、華々しく文壇デビューをすることになる新人作家だ。つまり、九条が担当をしていた作家だ。

 大御所作家先生は、まもなく死去。九条にとっては子供時代をよく知る、それこそ妹みたいな先生の孫、つまり二十代になった彼女がついにプロ作家デビューした。

 当然というか成り行きというか、その彼女の担当は九条になった。十年来のつきあいで、もちろんうまく行くはずだと思っていた。

 ところが、やっかいごとが起きたのだ。新人作家にはあることだが、彼女が、あるひ突然、書けなくなってしまった。その原因は、つきつめると、なんと彼女の九条に対する恋愛感情だったのだ。

「別に結婚しちゃえばよかっただろうに」

 紫崎が聞いちゃいられないという気持ちになり、たばこに火をつけはじめると、九条が身を乗り出して、紫崎からライターを奪った。

「あのねえ、マスター。俺は彼女を中学生から知ってるんだよ。女としてなんかみれない」

 紫崎は、ため息をついた。

「わかった。お前の言いたいことは。文学少女っていうのは、つまりPDMだったんだな」

 九条はきょとんとした。

「なにそれ?」

「しらねえのか、PDM。ぽっちゃりでぶめがねの頭文字だよ」

 九条はため息をついた。

「ぽっちゃりとでぶがかぶってんじゃねえかよ」

「そこは問題じゃねえ。つまり、その子は作家としては才能があったけど、ぶさいくだったんで、お前のこの味じゃなかったってことだろ」

 九条は首を振った。

「マスター、想像力の貧困にもほどがあるよ」

「なんだと」

「彼女は別に普通の子だよ。普通の二十代の、かわいい子だよ。小説を書きたいなんて言わなければ、俺はきっと血のつながらない妹みたいに一生仲良くできたような気がする」

「なんだんだよ、じゃあ。どこが気に食わなかったんだよ」

「気にくわないとか、そういうんじゃないんだ。ただ、うまくいかなかったんだよ」

「距離感か?」

 紫崎は今度こそたばこに火をつけた。

 九条はうなずいた。

「マスター、いいこと言うね。そう、距離感ってやつだな」

「お前も彼女のこと好きだったのか?」

 九条はきょとんとして顔をあげた。

「うん、どうだろう。好きだったかな」

 九条は考えるように言った。

「なら、美砂ちゃんはどうなるんだよ?」

「なんであいつの話になるんだよ」

「なるだろうが。とどのつまり、これはどっちの女を選ぶかって話だろーが」

「マスターはわかってないよ。美砂は」

「ただの幼なじみだっていうのか。お前、だとしたら美砂ちゃんに甘えすぎだぞ。あの子はまじで……」

 紫崎はそこまで言いかけて、はっとした。

 俺はいま、なんて言おうとした? 

 あの子はまじで? まじでなんだというのだ。

 普通に考えれば、九条が好きってことか。

 でも、と紫崎は顎に手をあててふと思う。

 美砂から九条についての気持ちをはっきり聞いた場面はない。見てればわかる。それはそうだ。美砂はたぶん、九条が好きだ。嫌いじゃない。

 でも、男として本当に愛しているのかと聞かれれば、答えはノーだ。

 俺に美砂の本当の気持ちなどわかりっこない。

 紫崎は口をつぐんだ。

 いったい、俺はなにを熱くなってるんだ。

「質問を変える」

 紫崎は言った。九条はいぶかしげな顔をしてこちらを見たままだ。

「おまえ、その新人作家ちゃんには手を出したのか?」

「出すわけないじゃん。恩師の孫だぞ。それに十年もつきあいがある子だ。妹も同然だ」

「迫られたらどうする?」

「拒絶したよ」

「まじか、とんでもない奴だな」

「良識ある大人な対応だろうが」

「じゃあ、美砂ちゃんのこともどうでもいいんだな。もし、美砂ちゃんに他に男ができたらどうする?」

 九条は一瞬、言葉につまったような顔をしたが、すぐに真顔に戻った。

「おめでとうって感じだけど」

 紫崎は視線をそらした。

 わかりやすいやつ。それに、とんでもないチェリーボーイだ。

 出された料理に手を出さないなんて、一生牧場の草でも食べているがいい。

「よくわかったよ」

 紫崎は脳内の九条の備考欄にこいつもなし、と書いた。

「なにが、わかったんだよ」

 九条が不満げに聞き返す。

 紫崎は一杯コーヒー三千円をもらえなくなるかもしれないことを覚悟して言い放つ。

「九条君がチェリーボーイだってこと」

九条は首を振った

「マスター、語彙の選びかたがまじでダサいから」

 紫崎はたばこの煙を吐きながら、天井を見上げた。

 ふいにアカトラの顔が浮かんだ。

 やばいよ、アカトラ。全然わかんねーわ。

 時計は開店時間の六時になろうとしていた。

 苦情は無言のまま、例の料金をカウンターに置くと無言のまま出て行った。

  

 続き:5-2(犯人捜し2)