読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

巻き添え(2/8 翌日 美砂)

★ブログ数8記事で終わらせる予定のホラーです

 バーのマスターが主人公で店で怪奇現象が起きるので、それを解決するみたいな話です。

 0:オープニング

 1:出現

 

 2

 

 

 目覚めたとき、一瞬どこにいるのかわからなかった。

 激しい喉の乾きと殴られ続けているような頭痛。

 体全体の鈍痛。

 紫崎は頭を押さえながらゆっくりと起きあがった。

 そのとたん背中が音をたててきしんだ。

 つづいて、寝違えたような痛みが背中に走った。

 短くうめき、ようやく辺りを見回す。

 明るすぎる部屋だった。

 天井の照明は煌々と光り、入り口のドアの格子窓から差し込む日差しが床に光の帯を作っている。

 自分の部屋ではないが、見慣れた場所。

 紫崎は店でいつの間にか寝てしまっていたのだった。

 くそ、どういうわけだ。

 紫崎は体を起こし、記憶をさぐるようにスツールに掴まりながら立ち上がった。

 またもや激しい頭痛が側頭部からおそってきた。

 完全な二日酔いだ。そのせいか、どうにも記憶が定かではない。

 昨日は確か店を閉めてから伝票整理をした。

 すでに、飲み過ぎていたから眠ってしまったのだろうか。

 今までこんなことは数えるほどしかなかったが、そうとしか考えられない。

 つまり間抜けにも、飲み過ぎ→眠すぎてスツールから落ちる→そのまま床で意識不明というフローを正確にたどったのだろう。

 まじで最悪だ。

 八年間店を経営し、店で酔いつぶれたことは数えるほどだったが、まさかスツールから落ちてそのまま朝まで寝てしまうとは……。

 時計を見ると、午前十時を少し回ったところだ。

 紫崎はほっとした。

 すでに店をあける時間になっていたらどうしようかと思ったところだ。

 通常なら昼まで寝ているところだが、帰宅してさっさとシャワーを浴びれば、ちょうど昼ぐらいになるだろう。

 ああ、早く熱いシャワーを浴びたい。

 そう思い、汗ばんだ首元からネクタイを外そうと首もとに手をあてたときだった。

 紫崎の頭をよぎったものがあった。

 壁の染み、青白い手、壁から突き出た長い髪、重なるうめき声、そしてその手が自分の首へ……

 紫崎は乱暴にネクタイをむしり取り、カウンターの裏手からトイレに駆け込んだ。

 鏡の前に立ち、シャツのボタンをはずす。

 鏡に疲れた中年男の上半身が映し出された。

 首元には赤黒い染みが浮かび上がっている。

 いや、染みではなく、手形だった。

「くそ、夢じゃなかった」

 鏡の前で首をまわすと、うなじの部分に細い指の跡がくっきりと残っている。とたんに青白い手が脳裏にフラッシュバックした。

 あの手は俺の喉仏の上で親指同士を重ね併せて、強く締めてきた。

 金縛りにあってその腕を払いのけることができなかったが、苦しいことは苦しかった。ただ、不思議に殺意は感じなかった。

 感じたのは、壁から出てきた手への恐怖だ。

 カウンターを挟んで、例の入り口の席をおそるおそる見つめる。

 幸か不幸か昨夜の女の壁の染みは消えている。

「どういうことだ」

 ぼやいたそのとき、カウンターの上に置かれた携帯のバイブが鳴った。

 紫崎は飛び上がるほど驚いたが、ただの着信だとわかったとたんあきれるくらいほっとした。

 着信は常連客の美砂からだった。

「はい、紫崎です」

 声がひどいくらい枯れていた。

 紫崎は冷蔵庫からミネラルウーターを出し、グラスにあけた。

「マスター、今お店にいるの?」

 携帯の向こうから明るい美砂の声が聞こえた。

 紫崎の胸に異常なくらいの安堵感が広がる。

「あー、美砂ちゃん、ちょっと色々あってまだ店にいる」

「やっぱりね。こんな時間に電気がついてるから消し忘れたのかと思って」

 紫崎は煌々と明かりのついたバーの照明に今更ながら気がついた。この照明がついているときは、店が開く前と、閉まった時だけだからだ。ということは、美砂はこの店の惨状を見て電話をかけてきたのだろう。

「ちょうど今、お店の前を通りかかってね。あれ、マスター、なんかおネエの声になってる?」

 紫崎はそれには答えず、ことさらおネエ声で言った。

「コーヒーぐらいいれるから、来なさいよ」

 電話口で美砂の柔らかい声が短く返事をした。

 

「こんなみっともない姿を見せることになるなんて、ほんと美砂ちゃんと俺はタイミングが悪いよな」

 紫崎は美砂にアメリカン、自分には濃いめのブラックの入ったコーヒーを淹れた。

「マスターでもこういうことあるんだね」

 美砂はそういうと、心配そうに紫崎の顔をのぞき込んだ。

「いや、ほんとお恥ずかしい。酒臭い状態でお客様を相手にするなんて」

 紫崎が恐縮すると、美砂は微笑した。

美砂はたしか、エステだかメイクだか美容系のサービス業で、平日が休日だった。エステティシャンとセラピストをかねたような紫崎にはよくわからない名前の仕事だ。だが、美容系の職種の女性の中でも美砂の美人度は群を抜いており、艶やかな黒髪と切れ長の目は妖艶でもあり、健康的でもあった。そのせいか三十四歳という年齢よりずっと若く見える。

 今日のファッションはゆったりとした白いニットに細身のジーンズというカジュアルなスタイルだが、不思議とエレガントに見える。こんな美人がなんで九条みたいなめんどうな男とつかず離れずなのか、最大の疑問だ。

 つかずっていうのはわかるが、とにかく離れずっていうのがわからない。

 ほかにいい男はいくらでもいるだろうに。

 紫崎がブラックコーヒーをすすると、美砂は一口二口コーヒーを飲むと、急いで席から立ち上がった。

「マスター、こんな時間におじゃましちゃってごめんね。今夜、お店あけるの?」

 紫崎は時計を見た。

 今から帰ってシャワーを浴びて、着替えて、たぶん、三時にはここに来て、五時半には店をあけられるだろう。

「いつもどおりの営業だよ」

「じゃ、今夜来るね」

 美砂はそういうと、スツールをさっと降り、紫崎に向かってにっこりと微笑んだ。だが、美砂は瞬時に顔を曇らせ、紫崎に近づくと、その細い指を伸ばした首もとに伸ばした。

 そのまま紫崎のシャツに軽くふれると、彼女の両目が紫崎の首もとに釘付けになった。

「マスター、これ、どうしたの?」

 紫崎がしまった、と思った時には遅かった。

 目の前の美砂は子供ではない。いい加減な嘘を言っても、つっこんで問いただしてくるようなことはしないだろう。むしろ察してくれるだろう。

 そう思ったせいか、彼女を前にしてとっさに口をついて出てきたのは、くだらない嘘だった。

「実は、昨日プロの格闘家が来てさ。ふざけ半分に、技を仕掛けてもらった。そうしたら、手加減がいまいちだったらしくて」

 美砂の顔がむごいものでも見るように眉ねにしわがよった。

 そのまま、もう一度紫崎の顔を見つめると、肩をすくめた。

「じゃあ、そういうことにしておいてあげる」

「いや、実はさ」

 言いかけた紫崎を今度は美砂が止めた。

「今夜聞くから、ちゃんと説明してね」

「ああ、わかった」

 紫崎が店のドアをあけると、美砂はまだなにか言いたそうな顔をしている。

 紫崎はぴんと来た。

「九条なら昨日、来たよ。一杯だけ飲んで帰ったけど」

 美砂は大きく息をすって空を見上げた。

「マスター、まだ私なにも言ってないのに」

「その顔を見ればね。わからないのは、美砂ちゃんの好み」

「私は別に……」

 いいわけしようをする、美砂を片手で制して、紫崎は言った。

「今夜おいでよ、スレッドは二つだ。一つは、俺の首がなんでこうなったのか、二つ目はもれなく九条君の近況」

「マスター」

 美砂は肩をすくめると、そのまま背をむけた。

 紫崎は首に手をやると、どうしたものか思案をし始めた。

 

 夜の八時。

 客の入りは六割ちょっとで悪くない。

 紫崎は地元の名産であるイチゴのカクテルを炭酸で割った軽いカクテルを作り、美砂の前に差し出した。

 美砂はいかにも女性が好みそうなこのカクテルを、見ても顔色一つ変えずに、言った。

「それで、そこの壁から、貞子的な髪を振り乱した、女が出現して、マスターの首を締めた」

「うん、まあ、そう」

 紫崎は他人が口にだす説明を聞いて、はじめて自分の発言が狂気に満ちており、かつオリジナリティの欠片もない、その変に落ちている怪談からがさらに下方修正されたものだと認識した。

 だから、改めて美砂に確認をされると、とてもそれが現実だったとは思えなくなった。

 当然だ。自分だって中年のおっさんにこんな話をされたら、見識を疑う。というより、センスを疑う。

「いや、美砂ちゃん、そういう夢をみた……んじゃないかなあ、って話」

「夢落ちかよ」

 美砂はアルコールが入ると、口が汚くなる。

「いや、なんていうか、うん、夢かもしれない」

 最後はいい加減に締めくくった。

 美砂はいかにも不満そうにカクテルグラスの縁にかけられたイチゴの切れ端を楊枝でつまんで口に持っていった。

「じゃ、マスターの首のそのあざはどう説明するわけ?」

 紫崎は言葉に詰まった。

 壁の染みは消えており、女の形どころの話ではないし、もちろん、壁から女の髪が壁から生えだしていないことも、現状確認できた。

 実際、今日店をあけるとき、紫崎は勇気を振り絞って壁を確認した。そこに染みはないか、長い髪は生えてないか。

 確かめるまでもなくそんな気配はみじんもなかった。

 仕事が終わった深夜にアルコールの入った頭で、ホラー映画を流しながら帳簿をつけていたせいかもしれない。

 端的に言って、バカみたいな悪夢であり、紫崎の貧困な想像力の産物的なカラーが濃かった。それは否定できない。

 だが、この首のあざはどう説明する。

「俺が、自分で締めたのかなあ」

 紫崎の自信のかけらもないもの言いに美砂はため息をついた。

「だとしたら呼ばなくちゃ行けないのは霊能者じゃなくて、精神科医ってことになるんじゃない」

 お説ごもっとも。

 紫崎は天井を見上げた。

 実際、ただの夢だったというのがもっともな説明だ。

 だいたい、仮に昨日の貞子が幽霊だったとしても、いったいどこから沸いたのだ。

「それは、思う」

 美砂が言った。

「幽霊って場所につくイメージがあるでしょ。事故現場とか、自殺現場とか。ここってそういうことあったの?」

「ないないないない。八年間そんなこと聞いたこともないよ」

 紫崎は一息入れたくなってたばこに火をつけた。

 一口吸い込むと、ニコチンがたかぶった神経を鎮静化してくれるような気がした。

「でも、あそこの壁に実は塗り込められた女性がいたかもよ」

 美砂はおかしそうに言った。

「美砂ちゃんさあ、このビルができて何十年経つと思ってるの。壁に塗り込められたんなら、そうとう昔でしょ。それが、なんで今になって出てくるわけ。しかも、俺の首を締めるって。俺、なんか悪いことしたの?」

 紫崎の嘆きに美砂は意外なことに微笑した。

「マスター、もしかして過去に女に恨まれるようなことされたんじゃなくて?」

「ちょっと待ってよ。仮にしたとしても、出てくるってことは死んでるってことでしょ。今どうしてるか知らないけど、死んだって話は聞いてないし……」

「でもさ、出てくるってことは、マスターに何か言いたいんじゃないの?」

 美砂は上目遣いに紫崎を見た。

「ただ単に貞子的に脅かしたいだけじゃないんかな」

「マスター、ちゃんと「リング」見てないでしょ。貞子さんはね、ちゃんと言いたいことがあって、それをわかってもらいたくて自分の呪いのビデオを見た連中を七日間の猶予を与えて虐殺しまくってる話よ」

「もっと穏やかな願望提示の方法を知らないのか、幽霊ってやつは」

「死んでまでやり遂げたいことがあると、なりふり構わずなんじゃないの」

 美砂はそう言うと、赤い液体を飲み干した。

 だいぶ酔ったのか、目が潤んでいる。

「マスター、でもこういうの聞いたことがあるよ。一番怖いのは、幽霊よりも生き霊だって」

「生き霊?」

「そう。生きてる人間に強い思いがあると、自分の意志とは関係なく自分の幽体を放ってしまうことがあるんだって」

「具体例は?」

 美砂によると、妹の職場の人間が精神疾患により退職を余儀なくされたが、辞めたあとも職場に来ている姿を何人も見るということがあったそうだ。

「実際に来てたんじゃないの?」

 紫崎のあからさまな疑問に美砂は首を振った。

「その人ね、心の病が進行していて、辞める間際に本当に自殺するんじゃないかっていうくらい職場に来なくなってたらしいの。で、辞めるときだけやっと挨拶に出てきたらしいんだけど、それからいっさい来てないの。でも、現場で何人も目撃していて、その姿が全身ずぶぬれであまりにおかしかったから、全員でその人を探したらしい。結局見つからなくて、今どこにいるんだって、なってね、その人の携帯にかけたらちゃんと出てね、ぴんぴんしてて。なんとその日は家から一歩も出ていなかったんだって」

「微妙にホラーだな」

「でしょう。でも、こういう話ってけっこうあるみたい。心が引き裂かれるようなつらいこととか、納得できないことがあると、自分の意識とは無関係に生き霊になってその場所に行ってしまうことってあるんだって」

「それって、本人は気づいてないってことか?」

「その通り。だから、生き霊ってやっかいなんだって」

 美砂はそういうと、例の壁を見た。

「やっぱり、マスターに会いたがっている女性がいるんじゃないの?」

「全然見に覚えないんだけど」

「冷たいねえ。だから出てきたんじゃないの」

「いくら俺が好きだからって首絞めるって問題だろ」

「マスターに覚えがないとすると、この店にくるお客さんかもね」

 美砂はそういうと、ちらっと背後の客たちを見た。

「なんだよ、それ」

「これもホラー好きな妹の話なんだけど、幽霊って場所につくっていうのが一般的なんだけど、気持ちが弱っていたり、隙があると、幽霊自体が人にとりついちゃうんだって。だから、ここに来るお客さんにそういう人がいたら、幽霊も一緒に来ちゃうかも」

「おいおい、容疑者が絞れないくらい多いってこと?」

 紫崎のぼやきに美砂は肩をすくめた。

「可能性が多くて絞れないね。まあ、こういうとき、あと数回殺人事件が起これば、犯人がヒントを残して探偵が絞り込みをするように、その貞子先生にもあと、数回出てきてもらって、ヒントを残してもらうっていうのが穏当かもね」

「美砂ちゃん、人事だと思って最悪なこと言うね」

「ごめん、性格悪くて」

 美砂は全然悪びれずに舌を出す。

「でも、いずれにせよ、マスターの前に出たってことは、何かを訴えたいんだろうね。もてる男はつらいね」

「まじ勘弁だよ。来るのは客だけにしたいよ」

「たしかに。ね、マスター今夜も出たらどうするの?」

 美砂の言葉に紫崎はしばし、考えてから言った。

「明日まで生きてたら、ちょっとその筋を当たってみる。中学の時のダチに霊感ある奴いるんだよ」

「さすが、マスター。顔広い」

「やりきれないね」

 紫崎はそいつの顔を思い出すと、苦笑した。地元のヤンキーのくせに霊感があるせいで、恐がりだった幼なじみ。そういえば、最近はずっと連絡してないな。もし、今夜貞子と待ち合わせができなくても、連絡をとってみるのもいいかもしれない。

 紫崎は短くなったたばこの火を灰皿に押しつけた。

「ところで、美砂ちゃん、紫崎とはうまく行ってるの?」

「行ってるもなにも、別に何もないけど」

「嘘が下手だね、美砂ちゃんは。九条、つい昨日も来てたんだよ。あいつ、なんかこっち戻ってきてから悩んでるようなんだよな。ま、当たり前といえば当たり前だけど」

「あいつ最近おかしいんだよね。妙にそわそわしてるっていうか。原稿も前までは締め切り前にあげてたのに、最近は時間がある割に進んでないみたいで」

「あー、つまり上の空?」

 美砂はうなずいた。

「なんか心境の変化でもあったんじゃない?」

 紫崎はつい昨日、九条が帰り際に「ヘッドハンティングされた」と言っていたことを思い出した。どこにどんな経緯でヘッドハントされたのかは、聞いてなかったが、九条によると、それには昔の女が関わっていて、それが運命だとかなんとかと言っていた。女が関わるとなると、美砂にはもちろん、言えないし、九条が言ってないことを美砂に紫崎が言うのはルール違反だろう。

 紫崎は穏当にまとめるべく、言葉を選んだ。

「俺さ、あいつがしゃべりたくなるまで待とうかと思ってさ」

 それを聞くと、美砂は切なげに紫崎を見つめた。

「マスター、すごい。きっと、マスターが女だったら、九条絶対プロポーズしてるわ」

 紫崎はため息をついた。

「その気色悪い評価は聞かなかったことにする。とにかく、美砂ちゃんもあんまり思いつめないで、気長に待ったほうがいいよ。それか、あんなやつさっさと忘れて、ほかにいい男探すとか」

 美砂はそんな紫崎の言葉をほとんど聞いていないようで、虚空を見上げると、ため息をついた。

「運命かあ」

 運命。

 最近はなんでも運命という言葉で片づけるのか。

 貞子が壁から出てきたのも運命なのだとしたら、いったい俺はどうしたらいいんだ。

 紫崎は美砂の言った、運命という言葉を聞かなかったことにした。

  

 3:出現 助けを求めて