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巻き添え(1/8 出現)

★ブログ数8記事で終わらせる予定のホラーです

 バーのマスターが主人公で店で怪奇現象が起きるので、それを解決するみたいな話です。。 巻き添え(0/8オープニング)

 

 

 木曜の深夜二時。

 すでに客の消えた静かな店内。

 紫崎(しざき)は伝票の束を計算し終え、ため息をついた。

 売り上げは芳しくなかった。

 二月は一年でもっとも客が少ない時期だ。

 理由の一つは寒さだ。

 仮に店内をノースリーブのドレスやアロハシャツで過ごせるほど快適な温度にしたとしても、木枯らしの吹きすさぶ路地をくぐり抜けてまでバーで過ごす時間を選ぶ客は少ないだろう。

 気温のもっとも低い朝方に帰宅する紫崎でさえ、乗り切るのは耐え難い歳月なのだから、客ならなおさらだろう。

 仕事を終えたら、自宅に直行。熱い風呂に入り、たいしてうまくもない寝酒をあおるだけで十分幸せだ。

 紫崎は頬杖をついた。

 時計の秒針だけが、静かに時を刻んでいる。

 いつもは有線でジャズを流しっぱなしにしているが、どういうわけか二月はジャズが憂鬱になる。クラシックは眠くなるか、うるさいかのどちらかで、最近は昔の映画を流している。

 だいたいは洋画。今週はずっとホラーをかけている。

 何度も見ているからストーリーもセリフも頭に入っているし、だからこそ、かけていても完璧なBGMになる。

 ホラーでもスプラッタはよくないが、サスペンス仕立てのときどき悲鳴が入るくらいがちょうどいい。悲鳴で多少は眠気も飛ぶから一石二鳥だ。

 いま流しているのは、キューブリック監督の「シャイニング」だ。いや、スティーブン・キング原作の「シャイニング」と言った方がいいか。

 ストーリーは幽霊もので、アル中の男が妻子を伴い、冬季の間リゾートホテルの管理人として滞在するところから始まる。だが、お約束通りそこは幽霊ホテルであり、ギャングの抗争あり、不倫の末の自殺ありなど、過去の滞在者が不幸な死に方をした経緯により、幽霊のたまり場と化している。主人公ジャック・トランスの前任者の冬季管理人もホテルの幽霊にとりつかれ、妻子を惨殺したのち自殺しているといういわくつきだ。

 主人公ジャック・トランスは三十代半ば。アル中とかんしゃくを起こしたせいで教師の職を追われ、5歳になる息子のダニーの腕も骨折させたことがある。息子のダニーは生まれながらに超能力を持ち、その能力故に両親の不仲や、父親の抱えている病、さらには冬の間、親子が滞在することになるホテルがとんでもないまがまがしい場所であることも感じ取っている。ホテルでは、人間の魂を食い物にする悪霊が待っており、まずジャックがホテルの悪霊にとりつかれ、妻子に襲いかかる。

 この映画を紫崎は毎年冬になると五回は見ている。山間の雪に埋もれるクラシックなホテルの全景もいいし、1920年代のビッグバンドジャズをBGMに燕尾服や羽や真珠のヘッドアクセをつけたクラシカルスタイルの男女の幽霊達もいい。

 紫崎のお気に入りはダニーがおもちゃの自動車を運転し、ホテルの長い廊下を一周するシーンだ。撮影当初に流行した幾何学模様の絨毯の上を走るダニーのおもちゃのくるまをカメラが背後からずっと追いかけていく。このロングショットでまるでホテルにいるような味わいがあるし、ほかにもキューブリックの映像美にうならされる場面が山ほどある。

 あまりに映画がよかったので、上下二巻の厚い原作小説も読んだ。小説で共感できたところは、ジャック・トランスの身勝手な自由への渇望だ。そして、自殺願望。なにもかも放り投げて自由になりたい。そういう気持ちは、家族がいてもいなくても男なら誰もが抱くものではないだろうか。

 実行に移すかどうかは別として、原作のほうはどろどろとしたジャックの欲望を極限まで描いている。はっきり言って、ホテルの悪霊の怖さよりも、主人公ジャックの人間のそうした負の感情のほうがずっとホラーだ。

 しかも、ジャックが飲んでいる酒、あれはたしか、ウイスキーじゃなかったか。

 紫崎が顔を向けるとカウンターの後ろにあるテレビのモニターの中で、狂気にかられたジャックが斧を持って妻子を追いかけ回すシーンだった。

 紫崎はテレビを消した。

 軽くストレッチをしてみるが、背中にどうしようもない凝りを感じるし、飲み過ぎてだるかった。

 今夜は飲むつもりはなかったが、つい客に勧められるままに四杯も飲んでしまった。

 二月は気温のせいか体調もふるわず、酔いやすい。

 わかっているのに、飲んでしまい、そういうときは深夜一時を回るときまって倦怠感と眠気がおそってくる。

 少しだけ仮眠をとったら、さっさと切り上げて店を出よう。

 そう思い、カウンターの上に突っ伏した。

 目を閉じると、とたんに体が溶けるように重くなるのを感じた。

 やばいな、このままじゃ、熟睡だ。

 そう思ったときだった。

 入り口のドアが開く音がした。

 重い木戸がきしむ音、続いてドアベルが季節外れの涼やかな音が響いた。

 紫崎は重い瞼の重力をはねのけ、顔をあげた。

 しかし、ドアは閉まったままだった。瞼をこすってもう一度見るが、ドアはしまったままだ。

 奇妙だった。さきほどたしかにドアの開く音がしたのだが。

 誰か来ちまった。めんどくせえ。

 そう思ったにもかかわらず、ドアは閉まっているし、誰もいない。

 夢か。ずいぶん早く眠りに落ちたな。

 そのとき、ぼんやりとした視界に先、店の入り口に黒い人影が立っているのが見えた。

 あれ、やっぱり人がいる。

 くそ、閉店のときに鍵をかけ忘れたのか。

「すみません、もう終わりなんです」

 紫崎はふらふらと足元を確認しながら、立ち上がった。その一瞬、視線が一度、足に落ちた。再び顔を上げたとき、そこには誰もいなかった。

 あたりを見回すが、入り口のドアは閉まったまま。そして、ドアが開いたあと、しばらくは揺れているドアベルも動いた気配さえなく、置物のようにドアからぶら下がっている。

 紫崎はしばらく、ぼんやりと入り口のドアを見つめていた。

 思いだそうとすると、たしかに最後の客を送ったときに施錠したような気がする。だが、昨日の出来事のような気もする。

 そして、先ほどたしかにドアベルがなり、人が入ってきたような気がした。

 それなのに……

 紫崎はだるさ体を引きずり、入り口のドアを確かめた。

 やはり鍵がかかっている。

 そうとう酔ってるな。

 だめだ、今すぐ帰ろう。

 そう思い、入り口に背を向けたときだった。

 ふいに右側に人の気配を感じた。

 ばっと振り返り、気配のするほうに顔をむけた。だが、人がいるはずもない。

 だが、おかしい。

体の右側全体が寒くもないのに鳥肌が立っている。

 なんだ、こりゃ。

 紫崎はその席を見た。

 気配はすでに消えていたが、その席を見た瞬間、紫崎は昨日の夕方のことを思い出した。

 店をあける前、まだ九条が店をでる前のことだ。

 たしか、誰かに呼ばれたような気がした。その席がそこだった。

 入り口のすぐ左側のテーブル席の壁側。つまり、奥の席。

 紫崎は後ずさりしながら、その席をじっと見つめた。

 誰もいない。

 いるはずもない。

 それなのに、そこに誰かが座っているような気がする。

 はじめ、それはただ存在するような気がする、という気配にすぎなかった。だが、紫崎がそれに気がつくと、まるで存在を認められたと認識するようにそれは姿をとりはじめた。

 それは影だった。

 いや、染みだ。

 たばこと葉巻の煙で黄ばんだ壁にはじめ黒い小さな染みが浮かび上がった。

 まるで壁の内側から油性のインクを垂らしたかのように、壁の一部に同時多発的に染み出した。

 小さな無数の染みはまるで早送りのようにあっという間にじわじわとひろがり、染み同士が重なり合っていった。そして、二つの大きな染みができた。それは、上下二つの染みで上が丸く、その下により大きな四角の染みができている。

 それは、まるで人の形のように見えた。

 紫崎は、鳥肌をさすりながら、必死で考えた。いったい、これはなんだ。水漏れか?

 そんなところに水の配管は通っていなかったが、その浸食の広がり方とスピードは、流れる水がしみていく以外に考えられなかった。

 だが、確かめるまでもなく入口の壁に配管は通っていないし、天井から雨水が染み出したとも思えなかった。

 だが、その染みがただの染みではなかった。

 どう見ても、その染みはある形を表していた。

 ある形とは、髪の長い女の顔と上半身だった。

「おいおい、嘘だろ」

 そう思っている間にも、壁の染みは変化し始めた。

 染み全体がゆっくり揺らめいたかと思うと、複数のうめき声がバー全体に響いた。それは、女とも男ともつかぬ苦しげな声で、紫崎は地獄の釜のふたが実在するとしたら、そこをあけたときにはそんな声が聞こえるかもしれない、と思った。

 紫崎は思わず両手で耳を塞いだ。まるで店全体に響くような、甲高い叫び声も混ざっている。

 だが、不気味なうめき声はすぐにやんだ。紫崎がおそるおそる両手を耳から離したとそのときだった。

 黒い女の形をした染みの頭の部分から、なにかぞろりと長いものがぶら下がっているのが見えた。

 それは厚さにして十センチほど、長さにして三十センチほどだった。

 それが、何であるのかわかったとき紫崎は今度こそ悲鳴をあげそうになった。

 長い髪だった。

 おいおい、まじか。

 そう、思った瞬間、染みから生え出た髪の束が増殖した。増殖しつつ、壁からこちら側に生えだしてきた。

 貞子だ。

 これまで、特にホラーフリークでなくても、何度も映画化されてきて、ホラーの代名詞となったあの日本を代表するクリーチャーを知らないものはいない。今や全世界的な名を持つ、SADAKOが、ここにいた。

 紫崎は悲鳴をあげた。

 なぜ、貞子が、という疑問を紫崎自身の恐怖の叫びがかき消した。

同時に壁から生え出した髪の面積が一気にこちらに押し出してきた。それは、まさに長い髪の生えた頭だった。顔が見えないのが、奇跡だったが、そいつが顔を上げた瞬間を想像して紫崎は卒倒しそうになった。しかも、体はすでに金縛りにあっていた

 悪酔いにもほどがある。

 アル中のジャック・トランスと同じだ。

 もう、二度と仕事中に四杯も五杯も飲むのはやめます。

 客におつきあいするのは一杯にします。

 そう後悔したときだった。

 頭が出ていると思しきの両側の壁から、青白い両手が出現した。か細い、女の手だった。細い指先から現れた両手はあっという間に手首からひじまで現れた。だらん、と壁から突き出た腕は、すぐさま持ち上がった。

 うわ、来る。

 そう思った瞬間だった。

 壁から青白い腕だけが、空中を飛び、紫崎めがけて飛んできた。

 ひんやりとした細い指が紫崎の首にかかり、ぐいぐいと喉を締め付け始めた。

 紫崎の口からうめき声がもれる。

 金縛りを無理に解こうともがこうとしたそのとき、長い髪の毛を振り乱した頭が紫崎の顔めがけて飛んできた。

 衝撃とともに、紫崎の意識が飛んだ。