読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

1月28日(土)オガミ屋のわかさま(前)怪談風味

 

 今年、82歳になる祖母はさすがに膝にがたは来ているものの、それも義体という名の人工金具とりつけて、かくしゃくとしている。
 地獄耳と連動している脳内は、いまだ悟りの境地とは無縁で、こちらの注意には口答えばかり。
 茶飲み話は、近所の老人会の悪口雑言ときまっている。
 その祖母が、一度だけ「ついに痴呆発症か」という発言をしたことがあった。
 10年ほど前、私にとっての父方の祖父が亡くなった、その通夜の席だった。

 祖母は二度結婚をしている。
 初婚で父が生まれたが、父の父、つまり、祖父は五人兄弟の末っ子で、仕事をせずに飲んだくれて遊びまくるろくでなしだった。
 もともと忍耐の沸点が低い祖母はそんな夫から逃れるために、当時生まれたばかりの父をつれて、夫の実家、阿久依家を飛び出した。
 その後、見合いで後妻に入ったのが今の私の家だ。
 その阿久依家の飲んだくれの男というのが、私の血縁上の祖父にあたる人だ。
 祖母は、葬式に行くかどうか迷った。
 阿久依家とは離婚後、つきあいはなかったし、父をつれて家を出たあと、父の兄である叔父にはなにもしてやれなかったことを後悔して、疎遠になっていた。
 父は兄である叔父とはごく普通の兄弟としてつきあいをしていた。
 そんな叔父から、ついに「親父が心不全」で亡くなったと連絡があったのは、私が24歳の時だ。

 父は自分の血のつながりのある父親を数回しかみたことがなかったし、孫にあたる私にとって、その「祖父」はまさに赤の他人にすぎなかった。
 だが、血縁というのは不思議なもので、見知らぬ他人でありながらも、なにか興味を注がれるものがある。
「いいじゃん、葬式弁当だけ食べに行くだけでも」
 私は、祖母のように阿久依家にわだかまりもなく、父のように無関心でもなかった。
 「いちおう」血のつながりのあった祖父の顔をみてみたくもあり、阿久依家という私の遺伝子の半分を形成している人々を知りたくもあった。

「じゃ、行ってみっか」
 父は例のこだわらない性格で、普段は軽い腰がめずらしく重くなった祖母を追い立てて、葬儀場にむかった。

 

 棺桶の中で頭頂のはげた見知らぬ老人が横たわっていた。
 「祖父」である老人の死だった。
 予想通りなにも感じなかった。
 私の血のつながらない祖父が亡くなったときとは大違いだった。
 こちらの祖父とは20年以上も一緒に過ごした。
 その祖父が病院で息をひきとったとき、呼吸の止まった祖父の口が開けっ放しになり、その奥は吸い込まれそうな暗闇だった。
 口の中の暗闇。
 呼吸の消失した気管。
 死に通じる空虚。
 どこまでも続く穴。
 魂がなくなった体の圧倒的な空虚感。
 いつか人間は死ぬ。

 死は遅かれ早かれやってくる。誰の身にも。
 私は当たり前の、ごくごく常識的な、真理を祖父のあいたままの口に見た。
 そうしたもろもろ、生命のなんたるかというものが、「祖父」の死骸を前にして、なにもなかった。
 血縁であろうとなかろうと、言葉を交わしたこともない老人の死は私になにももたらさなかったのだ。
 本来ならば、「おじい」と呼んでも差し支えなかったこの老人との縁は祖母の時代に断ち切られ、その因果の結末がこれなのだった。
 
 祖母は阿久依家の「親戚」に挨拶を済ませた。
 施主は祖母の後妻にはいったというちゃんこ鍋屋を経営している六十代後半の老婆だった。
 結い上げた豊かな焦げ茶色の髪はおそらくカツラで、似合っているが、完全に水っぽい。
 その女性は、にこやかな微笑で、通夜の席に通してくれた。
 そこからは、宴会になった。

 宴会の席で異様だったのは阿久依家の人々にいわゆるサラリーマンが少ないことだった。
 神社の神主が3名、板前や料亭の経営者などは数知れず。

 灰汁がつよい人間ばかりを集めたような顔ぶれの座敷はあっという間に喧噪に包まれた。
 みな、祖母と「祖父」のかつての確執などなかった、というよりまるで興味がないように、話に花を割かせている。
 父もまた阿久依家の面々に自分に似たものを感じたのか、初対面ということも忘れて盛り上がっている。

 通夜振る舞いの席には、かれこれ30名ほどいただろうか。
 一時間ほど過ぎたころ、にぎやかな座敷の片隅でひとつの黒い陰がすっと立ち上がった。

 一人の少年だった。

 少年は喪服代わりの黒の詰め襟の制服姿だった。

 顔立ちは端正だった。

 彼は突然誰に断るともなく、席を立ち上がり、足下にあったコートを羽織ると座敷の出口に向かって歩き出した。
 年齢の割に落ち居着いた物腰で、動作は地味なのに妙に目立つ少年だった。
 あの子とも遠く血がつながっているのだろうか。
 そんなことを思っていると、隣の席の祖母が私の喪服の袖を引っ張った。
 見ると祖母は険しい顔をして、座敷の奥を見ている。

 視線の先にさきほどの少年がいる。
 彼はちょうどふすまをあけて出て座敷を行くところだった。
「なに?」
 私が聞くと、祖母があごをむけて言った。
「あそこの二人、帰ろうとしているね」
「二人?」
 私は祖母の視線の先をもう一度見た。

 少年が廊下に出て、ふすまがしまったところだった。
「ほら、いま高校生の男の子と」
 と、祖母が言ったところで言葉が切れた。
 祖母の顔色が変わっていた。
 眉間にしわをよせ、何かを思いだそうとしているようだった。
「大丈夫? ちょっと、」
 言い掛けたとき、突然祖母が私の耳元で怒鳴った。
「あの子を追いかけて、ちょっと待ってくれるように言ってきてくれないかい」
「はあ? なんでよ? 知り合い?」
 私はとっさのことに混乱した。
 しかし、祖母はそれには答えず、手術したばかりの膝に力を込め立ち上がろうとする。よろめく祖母の体を支えようとすると、祖母はその手を払いのけた。
「いいから、早く」
 私は言い返した。
「なんで呼び止めるのよ?」
「いいから、とりあえず、あの子のところに早く行ってきてくれよ。あとから、行くから」
 祖母の言葉に私はうめいた。
 周囲の喧噪は最高潮に達し、私のうめきはすぐにかき消された。
「だから、どうやって赤の他人を呼び止めるのよ」

 私は食い下がった。
「いいから、行っておくれよ!」
 祖母は私をせき立てるように言う。
 だめだ、らちがあかない。
 私は釈然としないまま、立ち上がった。
 廊下に出るところで振り返ると祖母は父に声をかけて、立ち上がろうとしているところだった。


「追いかけろっていわれてもねえ」
 意味がわからないまま廊下にでて、玄関ホールに向かうが、少年の姿はない。

 しまった、見失ったか。

 足早にあたりを見回しながら、入り口に向かう。

 長い廊下をすぎてロビーに出たところで、葬儀場の入り口にタクシーが来ているのが見えた。
 夜空には雪が舞っている。

 自動ドアが開いて、黒い制服姿の彼が外に出るのが見えた。

 自動ドアが音もなくしまり、風とともに雪の破片がホールに入り込んだ。
 少年の目の前のタクシーがのドア開いた。

 やばい! 

 私は駆けだそうとしたが、ふいに足がとまった。
 少年に続くように一人の男性の姿が見えた。
 年齢は少年よりもやや年上。二十歳くらいだろうか。
 青年は黒い着流し姿。同じ漆黒の艶やかな羽織を着ており、タクシーに乗りこむ瞬間、私のほうをゆっくりと振り向いた。

 切れ長の目の狐のような不思議な顔だった。

 その青年はふいに私から視線を外すとゆっくりとタクシーに入っていった。。
 私は茫然とその姿を見とれていた。

 その次の瞬間、タクシーのドアが音もなく閉まり、同時に発車した。
 雪がちらつく夜の闇にタクシーの赤々としたテールランプが小さく消えていく。
「すごい、全然間に合わなかった」
 独り言を言っていると、背後に人の気配を感じた。
 振り向くと、祖母が見知らぬ中年の女性に支えられて歩いてくるのが見えた。
「行っちゃたんかい」
 祖母は入口を見つめたまま言った。

「そういうことだね」
 私は中年の女性に軽く会釈をしながら言った。
「説明すると、、ぎりぎり間一髪で間に合わなかったかな」
 私は肩で息をするしぐさをした。
 祖母は私を無言で見つめ返した。
 私は負けずに言った。
「で、いったいどういうことなの、説明してくれる?」
 祖母は困ったような顔をした。
「さっきの二人ねえ、昔会ったことがある気がするんだよ」
 私はあきれた。
 昔? 昔っていつだ? 高校生とよくわかんない着物着た男の人と会った祖母の昔っていったいいつのことだ。
 まさか二十年前とかいうなよな。
 私の言葉に祖母は首を振った。
「もっと昔だよ。60年以上前だね」
 祖母の言葉に私は心臓が止まった。
「まじで言っての? さっきの子高校生だったよね。あと男の人も私と同じくらいだったよね。そんな昔に会ったわけないじゃん」
 祖母は首を傾げた。
 私はついに祖母が痴呆になってしまったと思った。
 大変なことだ。このまま、私のことも忘れていってしまうのだろうか。
 そんなの、耐え難い。
「ちょっと、おばあ」
 私が祖母の肩をつかんだとき、そばに立っていた六十代ぐらいの女性が口を開いた。
「もしかして、さっきの詰め襟を着た高校生のことかしら」
 私と祖母がその女性の顔を見たのは同時だった。
 女性は、「祖父」の弟の子供と結婚した嫁だと名乗った。
「さっきの高校生の男の子のことを知っているんですか?」
 私の言葉にその女性はほほえんだ。
「あの子は雁谷家の秋菜彦(あきなひこ)君ですよ」
「雁谷家?」
「ええ、阿久依家では代々雁谷家には色々お世話になってましてね、あの子のおじいさんの春明(はるあき)さんの代からおつきあいがあります」
 女性によると、雁谷家は自営業の多い阿久依家とは長い間つきあいがあり、特に仕事上で様々な相談にのってもらっているという。
「ってことは、コンサル的な稼業ってことですか」
 私の質問に、女性はゆっくりと首を振った。
「もっと個人的な相談の方が主ですね」
「個人的? 仕事場なのに? もしかして事業主のかかりつけのカウンセラーってことですか」
 私の言葉に女性は今度はあいまいにほほえんでからぽつりと言った。
「オガミ屋なんですよ、雁谷家は」
「オガミ屋?」
 私の胸は高鳴った。オガミ屋といえば、陰陽師的なあれだろうか。
 あの、悪霊やら生き霊やらにとりつかれた人々を呪文や式神を使って駆除するという例のあれか。
 私の目が輝いたことを女性は見抜いたのか、今度ははっきりと微笑んだ。
 どこか艶っぽい微笑で、私はこの人もまた水っぽいことに気がついた。 
「阿久依は自営業が多いでしょう、人様から知らずうらみを買うこともままありましてね、そういうめんどうな目にあったときは雁谷家を使うんです」
 使うって?
 私が口を開いたとき、最悪のタイミングで廊下の向こうから父が走ってきた。
 父は上機嫌で私たちに言った。
「あいさつしてきたよ。そろそろ行こう。いやあ、楽しかったな、あ、こちらは?」
 女性はそれには答えず、私たちに向かって深くお辞儀をすると、座敷に戻っていった。
「今の誰だ?」
「おじいちゃんの兄弟の子供の奥さん」
「よくわかんらんな」
 私が祖母のほうをみると、祖母は難しい顔をしたまま自動ドアの向こうを見つめていた。
おばあ、まじでぼけっちゃったのだろうか。
「おばあ大丈夫? 」
「春明、もしかしてあのときの」

 祖母のつぶやくような声が聞こえた。
「はあ? なに?」
 私の責めるような言葉に祖母は首を振った。
「なんでもないよ。とにかく疲れたね。早く帰ろう」

 なんだそれ。

 私は祖母の首を絞めたくなったが、父はそんな私の気持ちには気が付かずにあっさりとうなづいた。
「さっさと帰ろうぜ。雪も振ってきたし。親父にも会ったしな、気がすんだ」
 父はそういうと、雪の舞う自動ドアの外に出て行った。
「おばあ、ちゃんと説明しろよ」
 私は内心、おばあがいよいよぼけ始まったのだと愕然とした。

 だからその時は、雁谷家がオガミ屋であることや
 父方の阿久依家の人々は雁谷家と懇意にしていることや
 その雁谷家の少年を祖母が昔見たことがあると言ったことなどすぐに忘れてしまった。
 
 だが、数日後、結局祖母はぼけていなかったことが判明する。
 祖母は本当に六十年以上前に雁谷家と関わっていたのだ。
 そして、事実、祖母は雁谷家のオガミ屋に命を救ってもらったことがあった。
 その、オガミ屋の名前は雁谷春明。
 葬儀の夜に見た雁谷秋菜彦の祖父にあたる人物だった。
 六十年以上、いや、七十年近い昔、当時祖母は9歳で、日本は日中戦争に突入していた。
 その年の夏、祖母は3歳の弟を大腸カタルという当時の伝染性の病気で亡くした。

 昨日まで元気だった幼児が次の日の朝には冷たい躯になっている。
 弟が死んだこと。

 それが、すべてのはじまりだった。

*あとがき

 意外に長くなってしまいましたが、後半で完結します。。後半アップは明日かも。。