1月7日(土)昔のことは、昔のこと(ゴミ捨て虐殺期間レポ)

 

やりだすと、凝る。
年末に終了したおそうじで、ワードローブの整理をした。
もともとため込まないタイプで、家族から虐殺者と呼ばれていたのに、それでもため込んでいたのだ。


その数ゴミ袋8袋。40キロ。
心身ともに疲労の極地だ。
ミニマリストという究極の持たざる者たちの虐殺フレーズ満載の本を3冊消費することで、なんとか乗り切った虐殺期間。
ミニマリスト達のものに対する極端なまでの粛正スタイルに出会わなければ、私は今も古びたものに囲まれ、うつうつとした生活を続けていたに違いない。
粛正によって、おさらばしたものたちは、友達手製の皮バッグや、母が買ってくれたスーツや、自分で購入した当時は高価だったドレスなど。
他にも数度しか袖を通さず見抜きもしなくなったユニクロのセーター多数。


これらをすべて処分したときは、さすがに葛藤を要して、一日に虐殺できる分量は限られていると、理解。
これだけでも、精神エネルギーは吸い取られることを実感。
一日に、五キロ以上のゴミ袋をもって何度もゴミ捨て場と三階の本棚と二階のウォークインを往復するという体力的消耗。
体力の消耗は精神にくるので、回復薬ポーションとして、風水まがいの部屋掃除や本棚整理の本を読みながら、ますます粛正は過激になっていくという始末。


しかし、虐殺期間は終了した。
私はやりとげたのだ。


捨ててみてわかったこと、自分が何にとらわれていたかがわかった。
それは、過去だ。
私はたいてい一度読んだ本を捨てたり、2年くらい袖を通していない服を処分することは通常の生活パターンに入っており、もったいない星人の血を色濃く引いている家族からは、虐殺者と呼ばれている。
しかし、その私でさえ虐殺できなかったものがゴミ袋にして8袋もあったのだ。

その私が捨てられなかったもの、それは「昔、お金をかけたもの」だった。


これをサンク・コストという。
別名埋没コスト。

現在価値はゼロなのに、過去にお金をかけたがゆえにとっておくことにかかるコストのことだ。
実際、あらゆる文献で言われているが、ものは入手したときの価値がマックスであり、そこからどんどん失われていく。
わかりやすくいえば減価償却だが、もっともなぜか我らため込み族にとっては、ものは持っているとじょじょに愛着がわいたり、逆に執念が負荷されて、いつか使うなどと妄想を抱きがちだ。

つまり、負荷・付加価値だ。

実際は、とっておいて価値があがるものなど、なかなかないのだが人間は心理学的に毎日見ているものに愛着をもつ(もしくは慣れるか?)ものらしいので、一度持ったものを手放すのはなかなかエネルギーがいる。

そのエネルギーを創出するかわりに、さまざまなクリエイティブないいわけを考えつく。
 うちの母が得意なのは、靴や化粧品の空き箱を捨てられず、孫が幼稚園にはいったら(ちなみにまだ0歳)積み木遊び的なもので遊ぶかもしれないからとっておこうかしら、というものだ。


 上記の例はいろいろつっこみどころがありすぎるが、いわゆるこの手の「いいわけ」「うそ八百」は、捨てるというエネルギーがいかに大きくて人にとって負担かを言い表している。
 入手したものを手放すには、勇気や決断やなんかそのほかもろもろいろんなことが必要になってくるのだろう。

とはいえ、ものを捨てることで、自分がバージョンアップできることは確実だ。


ここで、はじめから捨てないようにものを持たないことにしようと、というミニマリストの格言が生きてくる。
もう二度とゴミを捨てるというやってもゼロに戻るような作業に時間とエネルギーは割くものか、だ。

具体的に私が持っているもので多くなりがちなものは、本と創作メモと、洋服・バッグ・靴だ。
できれば、才能一つで世の中渡っていきたいものだが、ジョブズだって七日間ワードローブはもっていたのだから、私がその100倍持っていてもしかたないだろう。

ということで、洋服は30着ぐらいを上限に、20着ぐらいを着回ししようということになった。
ものを減らすには、厳選することだ。
その厳選の為に、今はスタイリストやファッション関係の本を読みあさっている。
なかなか創作に入っていけない笑

しかし、着実にシンプルな生活になりつつある。
いまも、ものを減らしたおかげで机の上にはファッション関係の本とランプとパソコンとメモがあるだけだ。

 

シンプルな生活は偉大だ。


人間には一日に60回しか判断できないというデータがあり、その判断エネルギーを洋服を選ぶとか、本やメモの保管場所を探すことで費やしたくないのなら、はじめからものを持たない生活にすることには意味がある。

そして、ものをもたないほかに、判断エネルギーを節約するためには、判断をしないことだ。
判断をしないということは、持ち物を選ぶ基準を生活のスタイルやフローに組み込んでしまうということだ。


方法の根っことして、自分のファッションを確立させるということがある。

しかし、ファッションは深淵だ。
ファッションは自分の演出したいスタイル、目指すスタイルが確立されていないと、小物一つ買えない。

私のファッションとはなんなのか。

なにを目指したいのか。

自覚し、確立させるのは至難の業だ。


しかし、確立させれば楽ちんだ。
一方でファッションは更新されていくものでもある。
30代半ばを迎え、自分のスタイルというものはわかっている。
だが、今回のゴミ捨てでもわかったように、わかった気になっていることはたくさんあるにちがいない。
今挑んでいるファッションの確立のためには、ファッション史の金字塔であるシャネルを読んでみようと思う。
ファッションとはそもそもなんなのか。
そこをつかめれば、自分の具体的なスタイルがつかめるのではないかと思う。
あせらず、少しずつ楽しみつつ。