1月1日(日) 折り返し地点(34歳の冬)

折り返し地点(34歳の冬)

今年のお正月はとても静かで、そのくせ11月頃から用意していた年末までの創作や人生に対する総決算は終わらなかった。
今もその最中で、全然追いついていないのだけれど、不思議と気持ちは落ち着いている。
じたばたしてもしかたないし、一番大事なところに集中できたら、あとはゆっくり休もう。
そう1ヶ月前からお正月の過ごし方を決めていたからかもしれない。
実際、ぐらぐらずっと気になっていた自分の持ち物(洋服や本や創作の資料やメモ)も半分整理もできて、今年の目標というか、もっと大きな人生の目標も少しずつ固まってきた。
34歳という年齢を迎えて、心の中ではすごくあせる一方で、

大丈夫という小さな自信も芽生えている。
その自信はまた日常で砕かれるのかもしれないけれど、

でも今の私にあるのは、今まで積み重ねてきた日々と心の強さと信念しかない。
だから、その信念が揺らがないように、深呼吸をして、ランニングをして、瞑想をして、ごはんをもりもり食べて、書いて、よく寝て、元気にすごすようにしている。


周りの友達は子供が二人目ができたり、すでにデビューしたり、と、私は一歩も二歩も遅れている、そんな気がする。


実際そうなんだと思う。


でも、私が人生でしたいことって、結婚をして子供を育てるだけじゃないよな、と。


私がしたいことは、人ってなんだろう、人ってもっとよくなれるのかな、もっといい社会ってなんだろう。
それを追求していくこと。


私が元気がでないとき、励まされるのは歴史上の人物の言葉であったり、哲学者や政治家や芸術家の言葉だったり、私が反応するのは結局人々の言葉、考え方、生き方、人々の生き様。
それらは時空を問わず、私を励ますもの。


私はきっと、与えられたものだけではきっと幸せになれない。
自分で追求していくこと、孤独であっても、自分なりの真実というか真理を求めること、それができない人生はきっと生まれてきた意味がない。


30歳の時に曖昧だったこの感覚はいま、とてもシンプルに強く私の中に根付いている。
孤独、静けさは不安である一方、自由で贅沢だと思う。
私の人生のイメージは朝日の中を一人で走っている感じ。
いつか、誰かと会えるかもしれないけれど、会えなくても、いい。


もし会えないときは、来世で。
そして生きているうちは、私のつむぐ言葉で社会と人に貢献できる物語を書いていく。
そんな風に思っているということを、職場の上司に言ったら、来世ってSFだねえ、と言われた。
私にとってはSFというか、現実。


なぜ、私は人と同じようにできないんだろう。


なぜ、私は人と同じようなことに満足できないんだろう。


そう考えたとき、私のなかに生まれたのは、前世という考え方。
前世でやりきれなかった課題を、きっと私は抱えている。
とか、そんな風に考えるとしっくりくる。
でも、人と違うことが大変だったり、つらかったりするのは、多かれ少なかれみんなが感じていることで、それでも歴史と世界を見渡せば、今の日本に生まれて、仲のよい、普通の家庭に生まれて、生きていることは、奇跡に近い。
だから、私はまっすぐに自分の目標に向かわないと、いけないよね。


そこで、神様がでてくる。
神様というか、誰かわからないけど、なにかがいると思う。
その神様が私にチャンスをくれた、そんな気がしている。
というようなことを、年末の仕事納めのときに課長に話して、池井戸 潤を読んでいる課長は、SFだなあ、そんな考え方をするんだねえ、と。
ま、私もまさかここでこんな話をするとはね、
いや、課長が聞いたんですからね。。
とかなんとか。


ここに来て、自分らしくあること、自分が情熱をもてることに寄り添って生きていくことが幸せだと思うようになれた。
まだ結果はでないけれど、それはこれから。
何をするべきか、やっと見えてきた今年は新たなスタート地点だという気がしている。
社会と人に貢献できる人間であること。
女性らしさを忘れずに無理をせず、周囲と調和をしながら、時に戦って生きていくこと。
青春時代の第二ステージのはじまり、はじまり。