11月2日(水)司馬遼太郎のターン

11月2日(水)司馬遼太郎のターン

 先月、四国を周遊した。
 その旅では伊予松山、土佐、讃岐と巡り、それぞれの場所が司馬遼太郎の作品である「坂の上の雲」「竜馬がゆく」「空海の風景」の舞台だった。
 平安初期から明治までを網羅するように作品を書いた司馬からすれば、「舞台にしていない場所」を探すほうが難しいのかもしれない。
 そうは言っても、行く先々で氏の作品を思い起こすような旅は今までしたことがなかった。

 

 ここのところ、しばらく司馬作品を読んでいない。
 四国の旅が終わっても、読み返したいとさえ思わなかったのだが、来月会津若松に一泊することになり、たまたまその観光案内で氏の作品が紹介されていた。
 会津といえば、幕末の争乱の佐幕派の急先鋒として知られている。 
 ペリー来航後、幕府の権威が失われゆく中で、倒れかけた幕府から無理矢理、京都守護職という血塗られた役目を仰せつかった、あの悲劇の藩だ。
 時代に逆行し続けて、多くの犠牲を出した保守派の藩。
 もちろん、それだけではないし、そう言ってしまうのは現在から過去を眺める立場の人間の乱暴な意見でしかない。
 それでも上辺だけ幕末の動乱をなぞっていくとき、会津藩はそのような立ち位置になる。
 しかし、それは立ち位置にすぎず、会津人たちの本心ではなかった。
 ただし、それを理解するには当時の状況に立ち返ってみる必要がある。
 歴史が歴史でなく、人々の物語、感情の交差、重なり合いであり、巨大なダイナミズムになっていく、それがわかるのは歴史を深く勉強し、想像しつつ、最後には自分で創造することでしか、つかめないものだ。
 そして、司馬作品はそれをつかむヒントを与えてくれる。

 

 今回読まねばと思った作品は司馬の短編「王城の守護者」だ。
 第9代会津藩松平容保を中心に据えた物語だ。
 会津観光サイトで紹介されていたこの作品を目にした瞬間、私は離れの書斎の奥から司馬遼太郎の短編全集を引っ張りだすことになった。
そして、結局全12巻のうち、半分は未読が残る7巻分を読みたくなってしまった。
 理由は「王城の守護者」にあまりに感動したから。

 幕末に会津がたどった運命については、この作品でわかりやすく触れているので述べない。
 ただ、作品を読んでもっと会津を知りたいという気にさせられた。


 司馬作品を読む楽しさは、小説のお醍醐味である感情的な「感動」と、知的な「おもしろさ」がともにそろっていることだ。
 感動する作品というのは、感情に訴える力をもっており、これはあーだこーだ、言わなくても笑えたり、泣けたり、熱い思いを駆り立てるもので、私にとってはその時期夢中になるが、やがて麻疹が完治したようにやがて興味を失う。
 それに対して、感情ではなく知的な面で想像力をかき立てられるのがSFやファンタジーというジャンルで、「もし世界がこうだったら、こんなテクノロジーがあったら」にはじまるもしも的な設定は、何度も繰り返し読みたくなる。
 ただし、このジャンルにおける人間の描かれ方は往々にして共感をしにくいことが多く、さらには人物に比重がなく類型的な人間だけが寄せ集まっている場合もある。
 このジャンルで重視されるのは、もしも的な世界感であり、そこで人間がどう動くかからだ。
 しばらく読み続けると憂鬱にさえなる。

 そういうわけで、今回「王城の守護者」を読んで、かなりじーん、ときてしまった。
 涙ぐむ場面も多く、司馬作品の「すごさ」に改めて感服してしまった。
 本当に嫌なもので、涙ぐみながらも(どこで涙ぐむかは、各自作品を参照されたし笑)なぜ涙を誘うのか、どういう構造になって、感動させる文章になっているのかをさぐるべく私の足りない頭はフル回転する。
 そこで今更ながらにわかったのは、ごくごく当たり前のこと。
 司馬作品が感動を誘うのは、感動する行動をした人間を描いているからだ。
 では、感動とはなんだろう、どんなときに起こるのか。

 

 それは、なかなかできない行動をした人間がいたときではないだろうか。
 それが政治でもビジネスでもスポーツでも、芸術でもなんでもいいのだが、達成困難だということに向き会い続けた人、たとえ結果がでなくとも必死に戦い抜いた人が、意図せずに人々を感動させることがある。
 さらにいえば、そこに他者を益するための自己犠牲が伴えば、感動は頂点に達する。
 言っていて、興ざめするのだが、感動のメカニズムというのはわかりやすく乱暴に言ってしまうとこういうことではないだろうか。
 なんか、いまいちと思ったら逆を言えばわかりやすい。
 誰もがとる行動、自分の欲望のままにとる行動、流されてとる行動などなどは興ざめな上に、人々から無視され、時には非難の集中砲火を受ける。具体的にはミーハー、不倫、保守的行動、汚職、脱税などなど。

 「王城の守護者」では、会津藩が他藩にない家訓(かきん)として、将軍家に一途に尽くすことが第1条として掲げられている。
 なぜこんな藩の利益でもなく、藩主の利益でさえなく将軍家を益することを第一とするような家訓が創設されたかというと、初代藩主が二代将軍秀忠の実の子だったからだ。
 そもそもこの初代会津藩主は、秀忠がたった一度(ちょっと本当か怪しいと個人的に思っているんだけど調べてないんでなんともいえない)浮気をした侍女との間にできた子供であり、正妻のお江をおそれるあまり、養子に出し、紆余曲折を経て32歳のとき、会津藩主として若松城主になったものだ。
 秀忠の実子ということは、三代将軍家光の実弟ということでもあったが、この会津藩主正之は立場をおごらず家光によく仕え、なれ合わずに忠誠を尽くしたという。
 そんな実弟にたいし、家光は臨終の席で「宗家を頼む」と言ったらしい。
 これが、初代藩主正之の心にふるえるような感動を呼び起こし、あの家訓を作る基礎となったようだ。
 正之はその後、藩制を整え、芸術的と司馬が言う藩組織を完成させ、それが幕末まで藩是となったという。
 ペリー来航後、幕府の屋台骨が大きくかしいだその時、将軍家に尽くすために常日頃から長沼流軍学を藩に徹底させ、将軍家を守るため、有事に備えていた会津藩が目をつけられる直接間接の理由になった。
 会津の藩風にはきれいに言えば徹底した忠誠と規律があり、悪く言えば、旧態依然としたものがある。
 幕末の動乱に置いて、幕府を転覆させようと動き出した雄藩が外様であった長州、薩摩、土佐から起きたことを考えると、わかりやすい。
 異質な藩は御三家でありながら、明治維新の原動力となる水戸学を創設した水戸藩ぐらいだろう(おそらく)
 水戸藩は御三家でありながら、尊皇の先駆けとなったために、藩内が分裂するという悲劇的な運命をたどるが、同じ徳川家という巨大な家から会津と水戸がでたことは、やはり特筆に値することなのではないかと思う。
 つまり、徳川家から革命と徹底保守の両藩がでたということだ。 
 おもしろくてしかたがない。。 
 さて、話がそれた。

 

 感動のメカニズムだが、司馬は歴史を見渡して、大きな(歴史的出来事)事件の対立者達をながめ、なぜ彼らがこれらの行動をとったのか、刑事のように背景を調べ、洗い出すだけ洗い出して、想像(創造)していったのだろう。
 その想像が綿密で、まさにミステリーのようにパズル(論理)が積み重なっていく。
 それが厳選された時家列で、わかりやい文体で、重なっていく。
 司馬の文章はそんな構成になっている。
 だから、説得力があり、伝わってきて、理解しやすく、理解が感動につながる。
 
 今回、しばらくぶりに司馬を再読して、ああ、やっぱりおもしろくてすごい、そう思った背景を長々と述べるとうこういうことになる。
 まずは、小説としてのおもしろさ、そしてそこを越えて、人間模様、そして日本というもの、人というもの、遠近両方の楽しみ方が司馬作品にはある。
 なんだか、よいしょになってしまったが、あまりの感動につい言いたくなってしまったのだった。
 そういうわけで、再読も含め全集をめくっている。
 お墓参りもしたところで、「人斬り以蔵」を読むと、これには異を唱えたくなるものの、司馬のように博覧強記に資料を漁らない限り説得力のあるものは描けず、「単なるフィクション」になってしまうので、とても手がつけられない。
 幕末は奥が深く、何度触れても発見がある。

 さて、今回はこれでおやすみします。
 おやすみなさい笑