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10月20日(木)脳内トレードオフ

【仕 事】 【効 率・能 率】

 

 ついにあちらを立てて、こちらが立たずで体調不良になる。
 昨日の午後から、頭痛がはじまり、肩こりがきて、ついに胃痛がはじまり、今朝は会社を休んだ。
 午後から出勤予定だが、薬を飲んでも眠れない。
 しかたなく、ベッドでこれを書いている。
 34年も生きていると、体調悪化のフローがよどみなく意識にきざまれている。
 私の場合はたいがい、過労と気圧によるめまいからくるもので、これによって月に1、2日ぐらいは欠勤してしまう。


 これはもう私の体内リズムというかスタイルになっていて、

常に6割ぐらいで、プレゼンや交渉のときに8割ぐらい出すというような

リーマン的なバイオリズムとぜんぜん合っていない。
 ほぼ、0か100かの間をいったりきたりしていて、動かないときはほぼ充電をしている静観期間で、言ってみればログオフ状態。
 それが終わると一気に加速して休まずアクションフローをこなしていき、約20日でがくっとなる。
 その落差がひどく、一方でやめればいいとわかっているのに、ランナーハイが近づくときの高揚感やすべてを忘れて集中してTODOをこなす自分に酔いしれている自分を放棄できない。


 完全に二流というか、遊び半分というか、セルフコントロールできる一流の人間とはほど遠い。
 本音を言えば、エネルギーのコントロールはしなくてもいいと思っている。
 イメージとしては空のコップを常に満たすことを考えており、あふれるまでやるというのが苦しくもあり楽しくもある充実感とレベルアップに

つながると本気で信じている。
 だいたい、苦しくなってきたときが楽しくなってきたときで、その先にしか明日はないと思っている。
 私の心の根底にはめんどくさくて暑苦しいマッチョ哲学が堂々と横たわっている。

 

 つい先日、「脳内ポイズンベリー」という映画をみて、

まさにあの脳内会議のなかの神木君演じる超ポジティブ派が

私のわりと6割を占めると思い、苦笑した。


脳内ポイズンベリー(以下脳ポ)」は、三十路の女性作家の恋愛がメインで、

これが現実階層の展開となる。
 一方で、現実で起こる出来事に対し、行くとか行かないとか、いいとか悪いとかを、脳内の5人の擬人化された価値観が会議をもって決定するという脳内階層の物語が並行している。
 例によってその5つの役割というのは忘れてしまったのだが、

楽観的思考、悲観的思考、欲望(衝動)、記憶担当?、議長(慎重派)がいて、

彼らが会議をするシーンが物語の7割ほど埋めている。


 はっきり言って、すごいおもしろい。


 ただおもしろいのではなく、議論の内容と議論仕方がちぐはぐすぎてそのギャップにつっこみどころが満載でおもしろい。
 議論としてはみんな必死に自分の正当だと思う主張をし、

その目的は主人公を幸せにするためだと、言う。
 わからなくはないのだが、議題の内容がはっきり言ってお粗末で、もはやどん引きレベルだ。


 ついつい「いや、いまのは悲観的思考(吉田羊役)のとおりでしょ。

議論せずに、そんな男とは速攻別れるでしょ

」とはじめから議論に値しないでしょ、と切り捨てたくなること数知れず。

 

 繰り返しになるが脳内で、悲観思考を担当は吉田羊で、もう彼女の意見がほぼ、私の思考と重なるので驚きすぎた。

その話法も。


 あの映画を見ていると、どの役割の発言が自分のメインになるか、

それだけを見るのも楽しいではないかと思う。

ただ、吉田羊の演じる悲観派は悲観思考と言ってもこの場合、

30歳の独身女性が直面するだめ男の恋愛に、ゴクゴクふつう、年齢相応の反応をしているのであって、別段悲観的てはないと思うのだ。


 考えてもみてほしい。
 自分の欲望に忠実な芸術家肌のフリーターのような年下の男に心が奪われて、結婚を考えない恋愛をするという30代の女性って、私のレベル5ぐらいの恋愛偏差値から言っても「ないない」だ。


 そういうのって、ふつうは20代半ばあたりで見切りつけたり、痛い目にあってそうそうと卒業するんじゃない!!?
 30代で脳内で激論するスレッドじゃねーとおもいますが、いかが!!?


 とか、冷たいつっこみをして、吉田羊の発言は正常な範囲でしょ、となる。


 しかし、そこに対立的に存在するのが、楽観思考の役割を持つ神木君だ。
 神木君は「いやいや、ここでアクションおこさないと、前にすすめないって。

迷ってるならやってみようよ」
 と、文脈を無視すれば、はっきり言って、いいじゃん、私もそう思う! と、言うような発言をする。


 脳内会議で、ポジティブ役を20代の青年である神木君、ネガティブ役をアラフォーの吉田羊にあてたところに、現実的な説得力ある。


 これが、逆の役だったら、ちぐはぐな感じなっただろう。
 つまり、ポジティブということは、未経験であり、女性より男性がもつ、子供っぽい理想が根っこにあるのでは、という考えかただ。


 この映画を見ていて、脳内の発言においてわからないから、やってみよう、という神木君の発言・思考は文脈さえ無視すれば私の思考のメインをしめる。


 一方で文脈を把握すると、悲観思考の吉田羊の発言にもっとも同調し、一瞬、私って悲観思考?とか思ったりして、一瞬ショックをうける。

あと、年かな、とか。

 

まあ、後者は間違いではない。

 

 

 

 脳ポでは、いろいろあって神木君の楽観思考を封印し、主人公の人格が不安定になっていくのだが、私は楽観思考、やりたいことはやるし、やりたくないことはやらないし、具合が悪くなったら、会社休みますを実行に移しているので、おそらく人格崩壊など起こりえない。


 私の脳内のメインを占めるの価値観はやりたいことをやりつづける

というハイパー楽観であり、それとものごとに中毒することに快楽を見いだすジャンキー性質がタッグを組み、こうして心神が脳内の楽観性においつかず、メルトダウンし、そのときにお出ましの悲観論者というのがきわめて合理的な発言権をマックスにして「もう、がんばるのをやめよう。自然にかえれ!」と、演説をはじめる。


 私はというと、体内疲労による明瞭な思考が封印され(メルトダウン)し、ポジティブ思考は病院のベッドで寝てます、という状態をついてやってくる悲観派のご高説はいちいちごもっともで、反論のよちがないため、静かになってしまう。

 私はいちおう耳栓をして無視を決め込んでいるいるけれど、

耳栓なんて意味がないわけで、まさに疲労した体内の細胞ひとつひとつからネガティブキャンペーンの大合唱が聞こえてくるほどだ。

「もう、努力なんてやめちゃいなよ。

ほんとうはわかってるじゃん。

ぜんぶ無駄だって。

無駄な努力は無駄だよ。

方向転換しなよ。

別の努力したら。

いやいや、それもめんどくさいよね。

 

いっそ、終わらせちゃおうよ。

 


ね、終わらせちゃおう、自然にかえろう!」


 とか、そういう自○幇助的なことも言ってくる始末。


 もうこう言うときはあのポジティブ野郎、こんなになるまでマックスではりきやがって、体調回復するのに、時間かかるだろうが、それまでこいつの短絡的発想をエンドレスできくはめだよ、おいおい勘弁してくれよ。


 こうなったら、再起したときにはお説教だ!説教だ!


 首をあらってまってろ!!


 だいたいおまえのペース配分は昔っからおおいに課題ありだよ!

 おまえの、トッププライオリティは、配分だよ!

 聞いてる? ポジティブちゃん?


 今回は私、本気だよ? 


 いらいら、いらいら。


 というような感じがいまだ。
 
 というわけで、私の脳内ではだいたいがポジティブが手綱を握っているが、こいつの独裁が長ければ長いほど、体はぼろぼろになり、革命が起きたときのネガティブの猛攻がすごすぎる。


 年々、互いの勢力が強くなっているのを感じるし、極端な針の触れ具合が私自身怖くもある。
 けれど、それでも私は根っからのオールオアナッシング好きなのだ。

コントロールをバカにし、同時にどうしてもそれができない障害者だ。


 で、あるならば、私はとことんやってみようと思う。


 極端の先にしかない風景というものがあるのを信じて、やるしかない。
 いづれ、ぶったおれたら、私もきちんとした人間になれるかもしれない。

こうご期待。