10月18日(火)猫にはこうあってほしい

f:id:hagananae:20161018065457j:plain

尾道の猫 本文と写真は著しく関係ありません

 人を含むほ乳類動物が成長過程で虐待や保護者による極端な保育放棄をされると、心の傷を負う。
個体が成長するために、他者が関わるときにそれがうまく行けば正常となり、失敗すれば異常となる。
卵をうみっぱなし、あとは野となれ山となれの魚類やは虫類、両生類とは違う成長の仕方が、
鳥類以降の恒温動物にはある。

と、なんでこんなことを思うのかと言うといま、
あることに遭遇してひじょうに居心地の悪い思いをしているからだ。

端的に言うと、ネコさんよ、あんたそうじゃなだいだろ、というダメだしである。

今回はネコの話だ。

うちではもともとネコを2匹飼っている。
そもそもうちは祖母がネコ狂にちかい、ネコ好きで、私もどちらかというとネコ好きだ。
犬が嫌いなわけではなく、むしろ別離の痛みが犬の場合は半端ではないので、
ずっとネコ好きを通しているという感じだ。
私のネコ好きは家族が異常と思えるほどらしい。
ネコを見て「ねこちゃーん」と文字通り猫なで声になるというわけではなく、
むしろネコを見てもけしてそのような振る舞いはしない。
ただ、捨てネコを拾ってきて、餌をあげて、里親探しをするなど、
人にほどこせばいいのにという膨大な慈善エネルギーを人にそそがず
猫にそそぐことに家族はあきれている。
そえとは別に少ない給料から月に1万円ほど大型野生ネコ(虎やライオンのこと)を
保護する活動に寄付しているのも首を傾げる理由らしい。

私がネコを好きなのは彼らの傍若無人な生き様にあこがれているからだ。

ネコは基本的に人を飯の種ぐらいにしか思わないご都合主義な態度を持ち、
生まれつき自らの身体の3倍以上の壁にジャンプするオリンピック選手波のばねを持ち、
やや食べ過ぎて終日就寝してもたいがいはたもたれるしなやかな肉体を持っている。

寝ているときの疑似的な口元の笑い顔も幸せそうだし、
そういうとき物音を立てると瞬時に目をさます瞬発力と警戒心もかっこよすぎる。

ついでに言えばどれほど仲良くなったと思ってもネコと人の間には種という断絶があり、
その断絶が深いが故に人は猫に対してマゾ的なあこがれを持つのではないだろうか。

ネコはおそらく餌やふかふかで静かな寝床を求めているのであって、
人間の優しいぬくもりを求めているわけではない。
大人になるとよりこの自分勝手で単独行動が目立ってきて、いよいよネコたちは傲慢になる。
その傲慢なあなたが、いい、というのがネコ好きの心理ではないだろうか。
と、私は思っている。
まあ、変態の心理である。
そういうわけで、猫好きな人間は私を含めすべからく変態なんじゃないかと思っている。

そもそもこのネコたちの単独、夜型、警戒心、しなやかな肉体は、ネコ科動物に共通する特徴で、
それは進化の課程で獲得されたものだ。
トラはネコ科のなかでも世界最大の動物で、その殺しのテクニックには「洗練された暗殺者」というあだ名さえついている。
トラにかぎらず、ライオンもそうだが、
彼らは体力にものを言わせて自分より体格のある水牛の背骨をへし折れるほどの牙や犬歯を持っている。
やり方としは、先手必勝、一撃必殺で、首筋の一咬みだ。
木の陰に身体をひそめ、獲物の後方から音も立てずに忍び寄る。
忍び足というやつだ。
ここであの猫背が役立つ。
そして頭を身体と同じ高さで地面に対して並行にする、例のあれだ。
そして後方から獲物の首筋にかみつくと同時に牙で脊椎と脊椎の関節部をさぐりあて、牙を差し込む。
獲物は脊髄神経を切断され、瞬時に息たえる。

ネコ科の必殺スタイルは反撃を受けて怪我をしたり、体力を余分に消耗するのを防ぐためにある。
彼らは一撃必殺を洗練させるために進化してきたといっても過言ではない。
単独でしのびより、急襲するという暗殺者以外のなにもでもない殺しのスタイルはまさに萌えの一言につきる。

ただしネコ科のなかではライオンが群で狩りをし、チーターが爆発的な加速を使い追跡型の狩りをする例外がある。
とはいえ、だいたいが上記急襲スタイルのバリエーションだ。

対比されるのが犬科の動物たちだが、彼らの狩りのスタイルは集団である。
そもそもネコ科と犬科は狩りのロケーションが異なっている。
ネコ科は森林に生息し、周囲の森林にまぎれることから音をたてないために、隠密性、急襲、一撃必殺のスタイルになった。
一方の犬科は草原、サバンナを生活の拠点にしたため、獲物は敵の急襲を察知しやすい。
そこで、犬科の動物は集団で獲物を追い込み、行く手を阻むチームワークで狩りをするようになった。

こうしてネコ科、犬科の進化の課程をみていくと、
犬となり猫となり小型化した彼らにも遺伝的な習性がかなり色濃く残っていることがわかる。

ネコたちの単独型、傍若無人、ヒトを飯炊きぐらいにしか思わない性分は自分のテクニックのみ、
単独行を選んだ結果であるし、犬の共感性やヒトを主人と認める態度は、
集団性の中でリーダーを求める習性がそうさせていると言える。
彼らが彼ららしいのは進化の過程によるところが大きい。

それでもまあ、犬科と同じく集団性を選んできた類人猿の人間から
言わせていただくとあのネコの孤高の感じはあこがれとともにある種のムカつきも催させるのだ。

とどのつまり、ネコに対する人間の愛情は片思いと勘違いによるところが大きく、
大きな断絶と片思いを受け入れる超絶マゾな人間がネコ好きになるのではないかと個人的には思っているわけだ。
だから、私のなかでは猫が猫らしくあるというのは、ヒトが猫にこびても、
猫はヒトにこびない。
こびているように見えても、それは餌ほしさのポーズである、と。
そして私も「演技しちゃってさー、もう。そんな気もないくせに」と、
ため息をつきながら背をなでてやるというのがセオリーなのだ。

これまではそんな自分勝手なあんたが好き、みたいな自分に酔っていたのだが、
ここに来て本気で甘えてくる猫に出会ってしまったのだ。
それが赤トラ(仮称)だ。

ここ二週間ぐらい、うちの周囲によりついてうちの飼い猫のソウヤと黒猫ゴジラ
(祖母は黒ベエと呼んでいる)に追いかけまわされつつつかず離れず家の周辺にいた。

一歳ぐらいの雄猫で、鼻が高く、背がすらりとしていて日本猫ではない体型。
というか、がりがりで、背やお尻、尾の毛がまだらにはげている。

黒い瞳は不安げにこちらを見つめており、
祖母は同情心からその赤トラに餌をあげるようになった。
私はそういうかわいそうな猫をみると、つい養育したくなり、例によって餌をあたえ、
雨風をしのげるように庭に駐車したままの車の下に毛布をしいて、
ミルクや餌をはこぶというような、見る人が見れば、
「ひまや、こいつひまや!」というような行動にうつりはじめた。

猫は私をみると、おびえて姿を隠すのだが、
私ははじめのうちは猫に軽くよびかける程度にえさをおいては、すぐに姿を消した。
赤トラ猫はしだいに私になれていった。

私は猫は基本的にかまわれたくない動物だと私は思っているので、
遠くから見る程度だったのだが、一週間もすると赤トラは私に自ら近寄ってきて、
ついには私に抱っこをせがむようになってきた。
夜になると家の中に入れてくれとずっと泣きっぱなしであり、
いずれそうすることになると思っていたが、シャンプーをしてダニ駆除の薬をつけて、今では毎晩私の枕元で寝ている。
その寝方がもう、どん引きなのだ。

赤トラ猫はおそらく、飼い猫だったのだろう。
野良猫として生まれ育った徹底的な警戒心や攻撃性が人にたいして、あわく、
私は一度も爪を立てられたことがない上に、
一度なれるとずっと私のあとをまるで刷り込み後のあひるのようについて回る。

私はもう、哀れさマックスになり、いままでにないかわいがりようになった。
なんというか、赤トラがあわれなのだ。

本来、猫は人にこびる必要がないのだ。
人は猫の孤高のわがままさと潔さにあこがれて、
つい自分の給料から餌代を差し引くぐらいのことはするのだから、
本気でこびを売っちゃいけないんのだ。

そういう思いがこみ上げてきたが、赤トラが必要以上に私の首筋に体をおしつけてきたり、
ずっと私の温もりを求めて寝返りをうつ様子に、心の底から哀れさを感じたのだ。

私がのら猫をつい飼い猫にしてしまうとき、
そこにはかわいがるためでもなく、
猫が猫らしく自分勝手に生きていけるようになるのを見るのが楽しみだからだ。
と、年寄りみたいなことを書いてしまうのだが、本当にそう思うのだから仕方ない。

赤トラが体を押しつけてきたり、じっと私の目を見つめてくるとき、
この猫はどれほどさみしい目にあってきたのか、どれほどひとりぼっちでつらかったのかと考えさせられる。
と、同時にいらいらし、居心地が悪くなる。
あんたは、もっと自分勝手にならないとね。
そうなれるように、甘やかしてあげると、とそんな気持ちになる。

ネコが寂しそうな目で人間をみるなんて本来あってはならない。
ネコと人間は一方的な関係で、人間がネコに片思いし続けるのが正常な関係だ。
私はそういうわけで、赤トラに甘えられるたびに、心が落ち着かなくなる。

ネコは私がもふもふしてくるのを、うざそうに上から目線で
「やめろよ、眠れないやん。きもいよ、うざいよ」
という顔をするのがセオリーなのだ。
私はそういう顔をネコから投げつけられるのがすきなのだ。
変態なのだ。