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8月21日(日)感想  アメリカ最強の特殊戦闘部隊が「国家の敵」を倒すまで(14)

8月21日(日)感想 
アメリカ最強の特殊戦闘部隊が「国家の敵」を倒すまで(14)講談社

 

 オサマ・ビン・ラディンの追跡、殺害までのプロセスをアメリカネイビーシールズ(米軍海軍)の精鋭DEVGRUの隊員視点で語ったルポ。
 内容は著者のマーク・オーウェンの自叙伝でという体裁。

 彼は幼少の頃よりシールズ(海軍特殊部隊)にあこがれ、過酷な訓練経て、シールズになるという夢を達成する。

 その後も海軍の特殊部先頭開発群をめざして選抜をくぐり抜け、ついにはアメリカの「敵」ビン・ラディンを殺害するという英雄的な仕事を達成する。


 著者は、この本を子供に向けて書いたという。

 国家や大儀を守っていけるような、人生を大儀に向かって捧げられるような人間になってほしいという意味を込めてこの自叙伝を書いたとのこと。

 


 で、毎度毎度私はこの手の本を読んでしまうのだが、気持ち的にはいつも著者のいうとおり 素直に、うん、だよね。
 と、ならないのだ。

 ま、当然でしょう。。


 というか、特に日本人にとってアメリカの特殊部隊出の人間が書いたアメリカの「敵」をなぎ倒すまでのフローが、著者の目的にそった感情を引き起こすかというと、まあ微妙なわけです。


 まず、誰もが思うアメリカが「敵」と設定する際に活用する善悪・正義対悪の勧善懲悪がダサすぎる上に説得力がないし、結局儲かることしかしないじゃん、軍産複合体、とか思うわけですね。
 それでなくても、この手の軍人が書いたアメリカの敵という文脈は、本当にそのままなことが多く、自分たちが倒した敵に対する考察がなく、ただ、国家を守った、と言い切るあたりが、脳味噌筋肉じゃんか、となるわけです。


 でも、はっきり言って、私はその脳筋野郎が大好きだったりします!

 軍人は結局、国家という観点からみたら武器という道具にすぎないわけで、彼らをどう使うかは政治家の仕事なんですよね。だから、彼らが命を晒して倒す相手を「敵」だとみなしても、いちゃもんつけられる筋合いはないわけで。
 だから、別にいいんです。
 頭わるいなあ、と思いつつもそんな強くて破壊的に前進していく彼らが私は大好きだったりします(ならそう、最初から言え)はい、すみません。。大好きです!!

 ああ、うざい。。

 さて、私が彼らが好きなわけは、たぶん、結果をだせばそれでいいという運動選手に似た単純明快さがあるからなんだと思います。 
 おそらく一流の軍人になると、敵という存在について哲学的考察も入るのかもしれませんが、戦場にいる現場の兵士は目の前にいる仲間以外の奴はみんな敵という白黒がわりとはっきりした世界にいて、彼らを確保するなり、倒すなりすればそれでいい。
 それができるようになるために、日々地道で過酷な訓練をする。

その中でできた汗くさい、泥臭い、男臭いチームワークが私みたいなもやし系女子にはすごくあこがれたものとしてうつるのかな、と思います。


 言ってみれば、まったく違う種族に対するあこがれなんでしょうね。
 なんだかんだ言って、特殊部隊って救出のイメージがあり、そこには女子があこがれる、男性に女性が助けられるイメージがはかなくあったりして、永遠の王子様のイメージというか。


 まあ、夢です。

 

 


 今回も、燃え~なシーンはいくつかありました。
 自己紹介の時に、新人が名前を言い終わらないうちに先輩たちが「消えろ、うぜえ、だまれ」とか言ったり、挨拶が中指をたてる「敬礼」だったり、そういう下品な感じが私は好きです。
 日常的に危険をともに乗り切る場合、相手に対する絶対的な信頼関係が構築されていて、そういう通常の人間からみた「無礼・下品」な振る舞いは、上辺の挨拶にすぎなくて、実際、「命の前ではたいしたことじゃない」に格下げされてしまう。
 そういういい加減であり、本質的な職人気質が、私は好きです。

 やるときゃやる、というあの感じ。


 まあ、そういうわけで内容は選抜試験の過酷さとか、近接戦闘訓練のキル・ハウスでの失敗談とか、DEVGRUの武器庫のスペシャルカスタマイズ具合の自慢とか、ビンラディンの最後のあっけなさとか。

 結局内容的には新しさはつゆほどもなく、、もう読まなくてもいいのかな、と思いつつ、その都度最新の武器案内が気になるあたり、私も自分で自分がよくわかりません。


 ちなみに、蛇足ですが訳者の熊谷千寿氏は特殊部隊ものの小説マット・リンのシリーズも手がけているようです。

 マット・リンと言えば、もうどの巻も事件勃発、パーティ編成、計画、侵入、失敗、脱出のフローが完璧な(笑)特殊部隊寄せ集め隊の作家です。私は、なんども言いますが、好きです。笑


 既視感はここらへんにもあるのでしょう。

 というわけで、今回はとくに語るものもなく以上です。