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6月18日(土)⑦セブン(1995)感想 ~ 刑事の領分 ~

 

 
 ブックオフの本棚で、背表紙が目に入って読みたくなった本。
 原作は映画の脚本。
 内容は頭にこびりついて離れないし、なにしろリアルタイムで中学生の頃から不定期にヘビロテし続けてきた。
 セブンがそれほど好きなのかと言われると、そうでもない、と答えるしかないが、「セブン」は、フィンチャー作品の中でもぎりぎりBGM足る静けさがあるような気がするのだ。
 だから、かけておいていまさらびびることもないし、スパゲティに顔につっこんだまま変死している巨漢の青黒い遺体を見ながらでも、朝食のトーストをかじりつつ化粧をすることができる。
 要するに肌なじみがいい。
 しかし、肌なじみが済んだ割には、この映画を本当の意味で消化していないのも事実なのだろう。 
 だから、ついブックオフでノベライズの小説を手にとってしまった。
 もう、いいかげん「セブン」を終わりにしたかったのだろう。
 つきあいはじめて、だらだらと20年も経っている。
 古女房の域だ。 
 
 そういうわけで、感想。
 「終わってもいないし、始まってもいない物語」につきる。
 
 セブンは映画の脚本が原作のため、この小説もあくまでもよくあるノベライズ以上でも以下でもなかった。
 描写も映画で回収できなかった人物のちょっとしたバックボーンを追加するにすぎず、人物の理解に関しては、映画鑑賞以上の収穫はない。
 ご存じだろうが、あえて物語を説明すると、セブンは刑事物に属し、ラストは、犯人は捕まるが、捕まえる側の刑事が妻を殺害され、それを知った怒りから刑事が犯人を殺害してしまうという暗いラストになっている。
 物語の構造としてはセブンというキリスト教における七つの大罪の最後に連続犯人自身を配置するという見事な完成度を披露していてうならされる。
 だが、そういった構造上のおもしろさと、映画を観たあとの満足感は別物ではないだろうか。
 ラストにおいて愛妻と妊娠中であった我が子を奪われ、かつ犯人を殺害した刑事であるミルズは文字通りすべてを失う。
 彼の相棒であったサマセットはその日に退職をすることになっているが、ノベライズ版では仕事を続けていく意志を示している。
 サマセットは物語の舞台である荒廃した都会で犯罪者と長年対峙するうちに、人間不信に陥り、刑事を早期退職することに決めている。しかし、彼は犯人を追跡することに関しては天性の才能を発揮し、周囲は誰もが彼が刑事を辞めるとは思わない。
 しかし、サマセットの中では堅い決意があり、この都会で刑事をやることにうんざりしている。
 動機なき殺人、傷害が多発するこの都会において、無関心を装うことがもっとも安全な生き方である一方、彼はそんな都会から逃避して田舎で農業でもしようと決意している。
 そこにわざわざ田舎から一旗あげてやろうとヒーロー気取りでやってきた新任の若き刑事ミルズは正義感にあふれ、人間を犯罪者であるかそうでないかで善人悪人の判断をする単純な人間だった。
 わざわざ田舎の平和な暮らしを捨てて、こんな掃き溜めのような場所に来たミルズに説教をするサマセットだが、この二人の相棒ぶりは最後まですれ違いになりつづける。
 サマセットは犯人が善であり、被害者が悪とは限らないと語る。これはある意味で常識的な話だ。だが、ミルズは犯人性悪説、被害者性善説に限りなく近い信念を持っている。
 ミルズのこの信念は刑事としても人間としても未熟すぎる態度なのだが、サマセットが考える人間観があまりにも悲観的なため、ミルズの反感もわかるような気がしてくる。
 つまり、刑事である以上、犯人が悪人でなければ、こんなきつい仕事をとてもやってられないというわけだ。
 わかる、と思う。
 だが、実際は善人が殺人を犯すことも多く、殺害された人間が悪人である場合もある。その善悪はけして犯罪行為とイコールではない。
 連続殺人犯であるジョンが殺していく人間たちはミルズの妻をのぞく六人までがなんらかの歪んだ生き方をしており、犯人の制裁にはうなづける部分がある。
 そして、そうした犯罪が蔓延する都会に長くいたからこそ、サマセットは刑事を続けていくためにあることを考えるようになった。
 それが「刑事の領分」だ。
 刑事であるかぎり、仕事は法で罪を犯した人間を逮捕することだ。だが、その人間が本当に罪をつぐなうかどうかは、陪審の判定になる。時に金で法が覆されることもある。
 そんなとき、本当の善悪とは何であるのか、犯罪行為とイコールではない人間としての善悪の基準をサマセットは考えるようになった。
 それは、法の外にある倫理的な側面であり、「刑事の領分」を越えるものだ。そんなことを考えはじめたら、早晩刑事であることが嫌になるのも目に見えている。
 だが、現実は法でくくれない、犯罪でくくれない悪が満ちている。
 そんな場所で嫌というほど悪を見て悲観的になったサマセットの思考哲学など、ミルズは理解できない。
 この人間に対する理解の差を埋められないまま、ミルズとサマセットは犯人に翻弄されていく。
 そしてラストは「犯罪者」となったミルズが逮捕され、サマセットは自分の後継者ができなかったこと、ミルズが町のヒーローになると言った言葉を思いだし、刑事を続ける決断をする。
 それは、物語での唯一の希望であり、サマセットがひどい事件を通して「変わった」瞬間だ。
 定年を迎える刑事にとって、それはあまりにも過酷な変化だ。
 
 この物語のやるせなさ、切なさは犯人に一矢も報えない爽快感のなさ、人間性への希望がつゆほども描かれていない救いのなさにある。
 なので、もし続編を作るとしたらなどと考えることでストレスを軽減せざるを得ない。 
 たとえば、セブン2ではあり得ないけれど、ミルズが刑事として復讐鬼のように冷静に犯人を追うアウトロー刑事になっており、サマセットのほうがすでに引退しているが、ご意見番としてミルズを逆に明るく励ます立場になっている、とか。
 そして犯人はセブン事件を模倣しようと、、再び連続殺人を始める、、なんて、うわあ、すげえつまんなそう。。というわけでセブンはやっと卒業できるかなと思うのである。
 
 刑事が刑事の領分、法の領分をすべて明け渡してしまったあとの世界を描いた物語がこのレビューの第一回の「アニメ サイコパス」だが、何が善で何が悪であるのか。何を犯罪とするのかは、その社会によって変わるものだ。
 刑事はあくまでも、その時代の「正義の価値観」から離れられず、もしその法の外に正義をみるのなら、それはテロと変わらない。
 このセブンが重いのは、そうした正義が否応なく正当化され、犯人に一定の共感を持ってしまう私たちの感覚にある。
 正義に完璧というものはなく、正義は法が決めるものではない。
 本当は、正義は常に変更を迫られるものなのだろう。
 重いのは当たり前だ。