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5月29日(日)5月の反省

 

 

 人生の選択科目は選択できない

 

 5月半ばに体調を崩し、3日間自分への義務をすべてはずし、休養をとった。
 ベッドで寝ては起きてを繰り返すと、否応なく日常的なタイムスケジュールとは違うリズムになる。
3日間も寝込んでいると、これまでの普通だと思っていた自分の行動パターンに無理があったのかじんわりとわかってくる。
 そういう俯瞰が、少し前までは旅だった。
国内でも海外でも、3日から10日間、家を離れてみる。
 それが、日常の軌道修正になった。
 最近は、ただそこにある何かを見に行く旅ということが、退屈で魅力を感じなくなり、だったら家にいてゆっくりしたいと思うようになった。
 仕事が忙しくなったこともあるが、創作や婚活や、もろもろ「しなければならない」ことが、「したい」ことを圧迫したせいだ。
 そして、そのリズムがいつのまにか私の人生を支配し、ある日、「これ以上は生きてるのめんどくさいわ」という事態になる。
 今月はその3日間で日常のすべてのTO DOリストを外し、「がんばらない」を推奨するライト哲学アプリで軟弱な思考をつくろうとしたが、2日間で「自分にはなじみがない」という判断になり、結局2冊の自己啓発本を買うことになった。
 1冊が元マフィア・マイケル=フランゼーゼの「成功哲学」。2冊目が川崎貴子の「私たちが仕事をやめてはいけない57の理由」
 とにかく、仕事を一生するつもりでいるのに、今の事務職が嫌で嫌でしょうがないと思いつつも心の底では、今の生活を続けるのがベターであると認識していたから、手にとった本だった。
 とにかく、鬱的な状態であるにも関わらず私の心の底には微妙な熱さの闘争心や克己心があり、それを鎮火することはできないため、油をそそぐことにしたのだった。
 結果、火に油はいい、ということになった。
 とはいえ、自己啓発で新たな発見があったわけではない。
 自己啓発本を読むという行為は常に「自分のなかの正義」の再確認にすぎない。
 小説のように「体験を通して感じさせる」ことができる文体でも手法でもないために、著者の伝えたい訓戒はすべて「○○すべし」という目標形式になる。
 そういう言い方をされれば、読み手としては自分の体験からその訓戒を「自分なりに読み解く」しかなくなる。だから、結局は読んだところで、まっさらな新しい発見はなく、たとえそう見えたとしても、自分のこれまでの正義の確認作業になるだけだ。
 そして、プチ鬱にはそれがとても心地よい。
 休暇を通して、私はまた自分の覚悟をしなおし、落ち込んだだけ、以前よりもより固定観念的目標が強化された。
 つまり、時々おおいに落ち込んだとしても、私は戦って、挑戦し、みじでめで、挫折ばかりだとしても、人生の意味を知りたいし、理解したいということなんだと思った。
 その上で、自分が人生の意味をつかむ手段として、仕事(役人という)があり、小説創作があるのだと理解ができた。
 そしてそれが私が選択しているようで、実は私がコントロールできない人生の選択科目なのだ。
 もうこのことに覚悟をもって取り組むしかなく、私としてはいつかそこに結婚と子育てをぜひとも参入させたいのだが、なかなかうまくいかない。
 つまり、選択できることは、同時に選択できないようなのだ、ということがわかった今月。
 だから、今は私の選択科目の課題をばしばし、消化していこうと思う。
人生から選択されていない以上、精神的にも体力的にも、だから物理的にも今の科目に集中したほうがコスパがいいということだ。