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5月26日 祇園の老婆

 

 赤信号で停車しているところに、2度も車をぶつけられた。
 一度は高校生の登校時、二度目は一昨年の秋。
 二度目は自分で救急車を呼んだ。


 この手の事故の後遺症は頸椎捻挫(けいついねんざ)、

俗にいうムチウチと言う。


 車の損傷はバンパーが破壊される程度で、人間の身体も外傷はない。

ないけれど、頸椎=脊椎を損傷していることは間違いなく、

そのためにどういうわけか気圧が下がると(俗に雨の前)頭痛や吐き気、めまい、肩こりがひどくなる。


 事故以来、つまり高校生の頃から指圧やマッサージに通院するのが日課で、事故保険の適用が切れたあとも、自腹で週に一度は行きつけの指圧に通っている。
 仕事がデスクワークのせいもあるが、自宅にいても文字を追うのが日課である以上眼精疲労や肩こりは避けられない。

ムチウチになっていなくても、もしかするとかなりひどい肩こりだったかもしれないと、時々思うがそうではない。
 この10年、あらゆる場所のマッサージ(果ては海外旅行先)で、必ず施術者に投げかけるクエスチョン「今日のお客さんの中でワースト入りしますか?」で、私がほぼ例外なくランクインしていることから、やはり、どう考えてもムチウチ感は免れ得ない。


 そういうわけで、週に一度一時間のマッサージにいかねばならない身となり、(行かなければ、最終的に肩こりのせいで呼吸が浅くなり、不眠にまで至る)旅行先でもかならず飛び込みで指圧にお邪魔することになる。


 この旅先での指圧がかなり、楽しい。
 私ほどの重い病を抱えているとクイックマッサージ的なクイックさではとうてい太刀打ちできないため、できるだけ年期の入った「○○施術院」的な看板を選ぶのだが、京都にいたときもそうだった。


 その日は京都は猛暑だった。
 猛暑だとわかっているのに、午前中に高台寺に自転車で乗り付け、あの東山の坂でくたくたになり、さらに翌日からあの京都はじまって以来の特別警報が発令される雨のために、頭痛がはじまっていた。

 気圧の低下とともに肩がこり始め、みるみるうちに症状が悪化したため、こうなった以上どこでもいいと観念し、京都駅前のクイック的指圧に予約をした。


 しかし、その日はこの店には行かず、祇園の手前の住宅地にあるひっそりとした施術院に入ることになる。
 その店の名前はもう覚えていないが、京都流の狭くるしいにもほどがある(狭いといえば広島の坂道沿いの住宅も悪夢に近い)住宅と住宅の間にその白くて古さびた看板がかかっていた。
 もはや、やっていないけれど、看板だけ取り忘れたようなそんな感じたたずまいだった。
 電話をいれず、思い切って玄関から切り込むことにした。
 「ごめんください」
 と、とても客の体ではない、低姿勢のあいさつをしがらがらと音をたてる玄関の戸をあけると、目の前に大人がやっと登れる狭く急な階段があった。

左手に小さな診療所にあるような窓口がある。
 小さな窓ガラスの中は事務室なのかわからないがしんとしずまりかえっている。


 家は古く、ふいに築40年は経過している古い木のにおいと干した布団のようなにおいがした。
 誰もいないのなか。
 そう、思ったとき左手の小さなガラス窓から、これまた小さな老婆の顔がのぞいた。
 年齢は80歳に近いだろうか。 
 顔中しわくちゃで猫背気味だ。
「あの、指圧をお願いしたいのですが」
「ああ、お客さんですね。こちらへ」
 老婆をそういうと、上がり口に出てきて二階の階段を上りながら言った。
 そのときの、老婆の格好はたしか普段着だったような気がする。
 割烹着のようなものをきていたかもしれない。
 とにかく、老婆をみたとき私は、「受付のおばあさん」だと思いこみ、若先生的な体格のりっぱな男性がその店の主なのだろうと、なぜか思い込んだ。

 それほど老婆がしなびていて、戦力外に見えたせいだ。
「おじゃまします」
 私はあいかわらずふつうの家にしか見えない、家の階段をあがった。

二階は台所と、居間と畳の座敷があった。
 まるでおばあちゃん家だった。
 こぎれいだが陽にやけた畳、さわればぼろぼろとはがれるような昔ながらの壁。まだ私が子供の頃すんでいた実家のつくりによく似ていた。
 老婆は、座敷と居間を隔てるガラス戸をあけ、座敷にふとんをしくと、
「いま、呼んできますからね」
 と、言って一階に消えた。


 ここ、祇園だよな。
 私は京都のあちこちで感じる敷居の高さと洗練とそれに伴うある種の苛正しさとは全く別の田舎に戻ったような気持ちになっていた。

 こぎれいにしているが、日に焼けた畳、なつかしいすりガラス戸、黄ばんだ襖、ぺしゃんこの布団。

 おばあちゃん家だ。
 これらの雰囲気が心理的な地続き感となって、私をひどく安心させた。

 まるで田舎にきているようなそんな感じだ。
 私は布団の上で、遠慮なくごろんと横になった。

 すると、がらっと音を立ててガラス戸があいた。
 私が寝ぼけ眼で顔をあげると、そこに立っていたのは、白衣を身につけた先ほどの老婆であった。

 その姿は、数限りなく見てきた施術者の姿だった。

 私は飛び起きた。

 「お、おばあちゃんがやるのっ?」
「ええ、まあ」
 老婆はそういうと、私の前に腰をおろした。
「だって、大丈夫なの? おばあちゃん、折れそうだよ?」
 私は、はっきりこう言ってしまったのだった。
 それほど、老婆は猿のひもののようにやせ細って貧相だったからだ。
 だが、その指圧がはじまったとたん、私はうなった。

 次回につづく(なんだ、この連載感笑)