⑥レビュー(小説・舞台)吉原御免状 3月13日(日)

レビュー:
6回目は私が好きな劇団☆新感線の舞台、そして原作が隆慶一郎の小説である「吉原御免状」です。
べたなチャンバラと言って差し支えない作りなのですが私、ちゃんばらすきなんですよね。
小説版は貴種流離譚にカテゴライズされるストーリーで、出自不明の剣士誠一郎が、師匠の宮本武蔵の遺言のために吉原に訪れたら、自分が天皇の隠し子であることがわかり、自分が捨て子になった理由が、幕府とクグツ一族の戦いに端を発していることがわかり、宿命のライバルと戦い、最後は吉原の惣名主になるというものです。

吉原を舞台にしており、柳生とのアクションシーンもあり、燃えと萌えが同居しつつ、敵とロマンスのラブシーンもあり、はっきり言って王道エンタメであります。
しかし、江戸を舞台にした艶ややかさは昨今みられない伝記ファンタジーだと思います。いつかは、この手の話、やりたい!!


シノプシス
 遺言を胸に訪れた新吉原で、捨て子だった松永誠一郎が吉原の秘密を知るにつれ、自らの出自を知り、宿命の敵を倒すまでの物語

ログライン:
1657年、浅草日本堤を歩く二十六歳の松永誠一郎の姿があった。

腰には二本差しの侍姿。

生まれて初めて肥後の山中をぬけて向かう先は吉原だった。
二十六歳になったら、吉原で庄司甚右御門に会え。
育ての親である宮本武蔵の遺言だった。
なぜ武蔵がそのような遺言を残したのかはわからない。
吉原にいったいなにがあるのか。


誠一郎は知らなかったが、その日は吉原が新吉原として誕生した記念すべき日だった。
誠一郎は吉原に入るとすぐに庄司甚右衛門を訪ねるが、その名を出した瞬間に町の人々の気配にさっきがみなぎるのを察知する。


自分は何かいけないことを言ったのか。


疑問を持ちつつ、案内された先は西田屋という大夫お抱えの大店だった。

しかし、主によると、義父の庄司甚右衛門は13年以上も前に亡くなっていると聞かされ、宮本武蔵が吉原と懇意にしていたことから、誠一郎は数日の逗留を勧められる。


吉原のことも女のことも知らぬ誠一郎に吉原の案内役を買ってでたのは幻斎という老人だった。
幻齋によって吉原の底辺である切見世を訪れた誠一郎だったが、悲鳴を聞きつけて駆けつけると人が倒れており、周囲には黒装束の男たちが。

放置できない誠一郎は黒装束の男たちを追っていくが、見失ってしまい、吉原に戻ると死体が消えていた。
その後、誰に聞いても酒でよっていたのだろうと言われ、相手にもされない。
そんなとき、吉原で名を争う花魁、勝山太夫に出会い人を斬ったことを看破される。

太夫という高値の花とは違うどこかはすっぱでで野性的な魅力をもつ勝山と誠一郎ははじめて言葉を交わすことになる。


一方、三浦屋では開所早々裏柳生が潜入したことについて梟首会議が開かれていた。

吉原惣名主である三浦屋のほか、傾城屋の主たちは三浦屋をのぞいて、幻斎と同じ外見を装っている。

彼らは幻斎の影武者だったのである。


その頃、誠一郎はまたもや不穏な空気を放つ男たちに尾行され「神君御免状はどこだ」と問いつめられる。そこに現れた旗本奴神祇組の水野によると、相手は裏柳生の佐川だと言う。
二人は裏柳生がなぜ吉原を執ように攻撃するのか、そして「神君御免状」なるものが何を意味するのかを知るために二人で柳生家の総帥柳生宗冬に会いに行く。


そのことを吉原の散らせている間者のひとり耳助から聞いた幻斎は、なんとしてでも誠一郎を守りぬかなければならないと三浦屋をはじめ吉原の精鋭を全投入して柳生に向かわせる。
誠一郎は彼本人も知らないが、御水野尾天皇(現・院)の隠し子なのだった。

その証拠は誠一郎が持つ佩刀にあった。


柳生上屋敷では、誠一郎を前にして柳生家総帥宗冬が感慨をあらたにしていた。

誠一郎こそは、二十五年前に柳生家の暗殺を免れた赤子だったからだ。


後水野尾は徳川家の娘を妻とした初代天皇である。
二代将軍徳川秀忠は娘を入内させるのを悲願とし、和子を水野尾に嫁がせた。

さらに、和子の血筋から次期天皇を出すために、裏柳生を使い、和子以外から生まれた御子、さらには御子を妊娠した女御を暗殺していた。
そんな裏柳生の暗躍する京で偶然現場に居合わせたのが武蔵である。

武蔵はその場の7名の柳生を次々に倒し、暗殺の現場から赤子であった誠一郎を助け、身を隠した。


現柳生は秀忠の死とともに、裏柳生で人を暗殺するような仕事を認めていない。

戦乱の世でもない平和な時代にあって、柳生はあくまでも幕府の剣術指南役の位置にいるべきものである。

しかし、宗冬の弟柳生義仙は暗い欲望とともに、吉原に敵意をいだき先走っている。
そこには「神君御免状」がある以上、吉原とことを起こしたときに、罰せられるのは柳生である。


しかし、剣術において宗冬はもはや弟の義仙を止めることはできない。

宗冬は御免状にはふれずに、義仙をしのぐことのできる技を誠一郎に明かすことにする。


柳生との一触即発の危機を脱した吉原は誠一郎の御免状に対する秘密を明かすために、まずは「吉原を知れ」という指令を出す。
気乗りしない誠一郎の敵娼として吉原随一の花魁高雄太夫があてがわれる。
しかし、高雄と初回で出会った誠一郎は退屈のあまり、揚屋の屋根にのぼり、水野と語りあう。

高雄はプライドを傷つけられたものの、鼓をもって音を奏でる。
その音、そして屋根の上から眺める光の群に、誠一郎はなぜかひどくなつかしい気持ちになるのだった。
一方、宗冬は義仙を叱責するが、弟の暴走を止められないことを悟り、宗冬は誠一郎に柳生必殺の暗殺剣を逃れるための技を伝授することに決める。

太平の世にもはや暗殺はいらないのである。

そのことを知らしめるために、宗冬は弟をきることを決心したのである。


やがて高雄と再びあう日が訪れた。

これを初回の表に対して、裏という。
高雄はクグツ人形を自在に操り、誠一郎に舞を見せる。

すると、その舞につられて、幻斎が踊り出した。だが、その舞は一部の隙もなく、誠一郎は老人がただものではないことを悟る。


その姿を監視していた義仙が幻斎を見て、はっとする。
7年前、兄の柳生十兵衛を斬った下手人が幻斎に違いないと看破した義仙はそのまま、幻斎と誠一郎を追って仕掛けることにする。

 

一方誠一郎を監視している人物がもう一人いた。
勝山太夫だった。彼女は裏柳生の忍で、義仙の女であった。

勝山は高雄となじみになる時期をさぐり、柳生にしらせる役目を持っていた。

柳生は初めて高雄を抱いて、骨抜きにされたその日の朝をねらって誠一郎を暗殺しようとしていたのだった。


一方、帰宅途中で幻斎と誠一郎は義仙から襲われ、幻斎は見事な技で切り抜ける。

そして、自分こそが義仙が探しつづけ、また誠一郎が求めていた庄司甚右衛門だと暴露する。

この吉原を作り、13年前に自ら葬式をあげて死んだふりをしていたのだった。
なぜ、吉原を作る必要があったのか。
そして、なぜ幻斎は一度死ななければならなかったのか。
それは吉原者を公儀から守るためだった。
そして、御免状があるからこそ、公儀は吉原の瓦解を望むのだった。
では、なぜ幕府は一度許した御免状を取り消そうとしているのか。
その謎を説くために、幻斎は熊野から一人の尼僧を呼びよせた。


一方宗冬から技の伝授を終えた日、誠一郎は自分が後水野尾天皇の遺児であることを告げられる。
そして、高雄とはじめて結ばれた誠一郎の元へ本格的な柳生の襲撃が始まる。

その手引きをしたのが勝山だと判明し、彼女は姿を消す。

 

幻斎が呼んだのは人に夢のなかで過去を体感させる技を持った熊野の比丘尼だった。
おばば様とよばれる尼僧とともに、誠一郎の体は500年前に遡る。
クグツ一族と呼ばれる流浪の民が吉原の人々の先祖なのだった。

彼らは芸を売り、諸国を漫遊する自由の民だった。

しかし、時代が遡るに連れて、彼らのような自由の民への風あたりは強くなっていった。
天正13年、豊臣秀吉紀州攻めによってまた一つ、そうした自由の地である公界が滅びさった。
公界は税を逃れ、大名たちの決めた国境を越境するやっかいな人々が集う場であり、為政者にとってはじゃまな存在だったのだ。

そして、徳川幕府は彼ら自由の民を迫害するために差別という方法を考え出した。
クグツ族は迫害されたため、彼らの身分を消すために吉原という城をつくり、彼らを守りたい、そうした理想からこの色町は成立したのだった。

しかし、幕府がそう簡単に色町を許可するはずもなく、幻斎、その頃の庄司甚右衛門は、家康に直訴することにしたのである。
というのも、家康はすでに関ヶ原の戦いで死亡し、二郎三郎という漂白の民が今は影武者となっていたからである。

その影武者を補佐する天海の正体もまた明智光秀であり、二郎三郎も光秀もかつては流浪の民であり、流浪の民に恩恵を預かった人々であった。

クグツ族と同じ自由の民の最後の砦を作りたい

。影武者である二郎三郎は甚右衛門の願いを聞き入れ、御免状を発布するが、その花押の欄に「我同朋」の文字を書き入れたのだった。

そのことが、幕府を揺るがす爆弾となる。
なぜなら、自由の民を抑圧している幕府のトップが自らを自由の民であると名乗っているからである。
徳川家では秀忠の死後、このことを知る人間はいないはずであったが、義仙が自らの野望のために、老中酒井に秘密をもらし、酒井もまた裏柳生を政争に使うために、二人は暗い密約を結び、御免状奪回を望んでいるのだった。
すべての過去を知り、覚醒した誠一郎に勝山の所在を告げる知らせが入るが、時すでに遅し、追ってから逃げきれない勝山は無惨にも殺され、誠一郎は義仙と最後の戦いを繰り広げる。
勝山を失ったものの、勝利した誠一郎は自らの人殺しである修羅の部分を乗り越え、吉原の惣名主となる。
そして、自らの出自を確かめるために、後水野尾天皇に会うために旅にでるのだった。