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2月20日(土) いや、まあそれでも妹だから

 

人間には限界がある。
我慢の限界だ。
ひさしぶりに妹とやりあった。
家族に対して遠慮はいらない。
向こうがその気なら、3倍返しだ。
悪くない。
本当は、妹を傷つける気持ちもなかったけれど、セクハラと一緒で人はかってに他人の言動に「傷つき、嫉妬」する。
期せずして、妹の地雷を踏んだときには、すでに戦争は始まっていた。

一昨日、私は仕事ですっかり疲れ切って、婚活もいよいよ限界に達していて、いきるのが本当にいやになっていた。
このまま生きていてもいいことなんてない。
いや、今日はこんないいことがあった。
だから、がんばろう。
その繰り返し。
がんばろう。いやだ。がんばろう、やっぱつらい。
一日ごとのローテションで、私はとことん栃木でいきるのがいやになった。栃木をでるしかない。
そんな限界を抱えつつ、愛車コルト(赤)の燃料メーターが半分以下を指していたので、ガソリンスタンドに寄ることにした。
そのガソリンスダンドは私の自宅の裏手を走る県道ぞいの「いまにもたおれ荘」なたたずまいで、70歳ぐらいの独身男性のおっちゃんが経営している。
スタンドといえば、セルフがメインになってしまった今、田舎の片隅でサバイバルするスタンドのおっちゃんが自ら給油してくれるところが私のお気に入りだ。なにせ車からでないですむ。最高だ。

おっちゃんは痩せた小男で、猫背気味。
ひもののような顔で鷲鼻が特徴的。
どことなくドイツ人じみた掘りの深い顔をしているが、そのことは別に私の好みでもなんでもない。
私はただ、車を降りるのがめんどうというだけでこのガソリンスタンドを利用している。
利用しておきながら、私は一度「なんか、ここのガソリン高くね?」
というようなことをおそらく言ったのだと思う。
会話の前後は忘れたが、おっちゃんはいつの日が私が行くと必ず、地域の名産のフルーツや高級チョコレートなどをくれるようになった。
私はとくに甘いものが好きではないが、
「おまけ用意したから、許してよ」
というおっちゃんが常になにかしらの「おみやげ」をくれることが、ありがたい反面どうでもよかった。
何度も言うが私はセルフがめんどくさいから、そこで給油をしていたにすぎないからだ。おみやげなしでもいくのだ。
「高くね」
は行きがけの駄賃のストレス発散にすぎない。
だが、おっちゃんのスタンドに給油にくる若者はほとんどおらず、私が無邪気に「ありがとう!おいしそう」とはしゃぐのを見て、おっちゃんの気持ちはあがっていたらしい。
最初は、フルーツ一個だったものが、フルーツジュースになり、生チョコになり、値段的におまけというかおっちゃんの完全なる持ち出しな感じになってきたからだ。
実際、誰にもこのおみやげをあげているのではなく、うちの80歳になる祖母が私があまりにおみやげを持ってくるので
「オレ(祖母の一人称)にはないのか。孫が給油にくる前からずっとここで入れているだろう」
と、おっちゃんに文句を言ったことがある。
すると、おっちゃんは悪びれもせず、
「そりゃ、孫ちゃんは若くてかわいいからなあ」
と言ったという。
まあ、70歳おっちゃんからみれば、30歳のおなごが若く見えるのは仕方ない。
大人女子ということばもあるとおり、まあうちの80歳の大人女子よりは、若いのだからしかたない。
そういうわけで、客をあからさまに差別するおっちゃんの明確すぎる哲学を耳にして、なんか客商売としては最低だな、と思いつつ別に私はおっちゃんがしたいのなら、そうすればいい。という感じで気にもしていなかった。
しかし、時々セルフスタンドを利用して、しばらく行かないことがあると、おっちゃんは必ず、
「来るの待ってたんだよ」
と言って、一房1000円ぐらいしそうな巨峰や生チョコの箱をくれるのだった。
例によって私もこうして、かわいがってくれる人がいる以上、「もうちょっと人生をがんばって延命しよう」
と思い、「いいことあった」にささやかながらおっちゃんの行為(好意)をカウントしていた。

で、話をもどす。
妹とのバトルのことだ。
つい先週のこと。
例によって洗車をしたついでにセルフで給油をしてしまい、おっちゃんのところに行く日があいてしまい、ひさしぶりに行ったところ、おっちゃんは
「くるの待ってたよ」
と、スペイン製のチョコレートと闘牛のぬいぐるみのセットをくれたのだ。
人生つらいことが続いていた私は、その闘牛のぬいぐるみ(中国製ですが、なにか?)にテンションがあがった。
「超絶かわゆい。ありがと~!」
例によって、他意がなくあかるい感謝をした一方、今妹が名古屋から2歳の姪とともに帰省しているので、姪っ子がチョコ喜ぶな~、と軽い気持ちで帰宅した。

自宅ではすでに夕食が始まろうとしていた。
妹(31歳)は3月末に二人目を出産予定であり、大きなおなかでこたつに座っていた。
私は妹に差し出して、
「もらってきたから、チョコあげる」
と箱を差し出した。
妹はワインレッドの袋から取り出したチョコを見て、眉間にしわをよせた。
「もらったって誰から?」
私が答えようとすると妹となりに座っている祖母が割り込んだ。
「きまってるべ。ガソリンスタンドのおやじだろう」
私は無言のままうなづいた。
「ぬいぐるみもくれたわ」
そう言ったとたん、妹の目つきが険悪なものになった。
以前からおっちゃんが私にいろいろギフトをくれることは我が家で話題になっており、妹は知っていたが、実際それを目の当たりにするのはその日がはじめてだった。
妹は唇の端をまげた。
「なな(私の本名)ってさ、おっさんにはもてるよね」
私は内心かちんときたが、妹を無視した。
はっきり言って、妹は29歳で結婚をし、私のようにいつまでも煮えない婚活をしたことなど一度もない。
一方で私はおっさんにもてるという意識はなく、ただ相手の好意に対して必要以上に関心も持っていなかった。
妹は私が反応しないことが気にくわなかったらしい。
言葉を続けた。
「そういうおっさんって超気持ち悪い。私にだったら、絶対くれないよ。第一若い女にものをあげる時点で下心絶対あるもん。あー、気持ちわる。
よく平気だね」
私は「なんだこいつ」
と思ったが口に出さなかった。
私がセルフがきらいでおっさんのところで給油する。おっさんが喜ぶ。おっさんがおみやげをかってにくれる。私は家族に戦利品を持ち帰る。
この素朴なウィンウィンのいったい、なにが悪い?
というか、スルーしろよ。こんな地味なウィンウィン
私はまだ黙っていた。
だが、妹は止まらなかった。
「ななって、ほんとどうでもいい人にはもてるよね。私はもてないけど、愛する人たった1人に恵まれたから幸せだけど」
妹は鼻を膨らませながら言った。
彼女が虚勢を張るときのジェスチャーだ。
これには、さすがの私もかっちーんときた。
「あのね、私がおっさんにかわいがられるのは、おっさんも若い人もつーか、老若男女、貴賤を問わず人に対して平等に接してるからなんだけど」
実際、私は人に対してある意味でこうした礼節といえば聞こえがいいが、誰に対してもわけへ立てなく接するのが常だった。
それは裏を返せば誰もが私にとって平等であり、特別な人がいなかったという悲しくて孤独な人生の裏返してもである。
誰も私の本音を引き出すことができず、誰も私を客観性から主観的な本能にまみれさせることができなかっただけなのだ。
私にとって世界は平坦で、誰もが同じ他人だった。
他人であるかぎり、興味関心は冷静さになり、平等になる。ならざるを得ない。
それもわかりもしないで、もてるなんてくくりやがって。
私は少しだけ本音を吐露することにした。
私は声をできるだけ低め、ぼそっと聞こえるように言った。
「愛する人にだけ、愛されるね。へえ、そう」
私はここでわざとらしくゆっくりとため息をついた。
「でもそれって、つまんなそう」
私は自分の発言が妹に効果を与えるのをゆっくり待った。
居間の空気が凍りついた。
一呼吸のあと、妹が言った。
「つまんない? なな、今、つまんないって言ったの? 私の人生がつまんないって?」
私はうなずいた。
「うん、つまんないと思うね。私は」
「ねえ、つまんないわけないでしょ。私めっちゃ幸せなんですけど」
妹が激高した。
私は「あー、まじめんどくさい。なんでこんなことになったんだよ。けんかを売ってきたのは、てめえだろうが。こっちは、あんたが幸せなのは、よくわかってるよ。でもそれは、私の人生とも価値観とも関係ないし、おまえの価値観で私の人生くくるなよ。まあ、気にしてないけど」
と、もちろん心のなかでけだるく悪態をついた。
だが、頭上では妹の切れた感情の導線がダイナマイトに引火していた。
「ななってさ、昔からそうだよね。あんたは大学のときも近所の酒屋のおやじにかわいがられて、いりびたってたし、旅行いったら、ローマの男といちゃついて、あした遊びに行こうとか誘われて。そいつらさ、いっつも私のこと見なかった!いつもあんたのことしか見なかったし、あんたにしかしゃべりかけなかった。私はななのそばにいるといつもみえない存在だった!
 でも、私いま幸せだもん!
つまんなくなんかないよ!
だいたい、私があのとき止めなかったら、あのローマのぐだぐだ男とそのままだったかもしれないよね!昼間からワインのんでべろべろで私にしだれかかってさ」
ここで、私はああ、そうかローマでもフランスでも私は妹と二人で行った旅行で昼間から現地のギャルソンとワインで盛りあがってしまっていたっけな。でもさ、それがなによ。あんたはいい人と結婚できて、私はいまだに1人で婚活をして、結果もさっぱりだよ。そりゃ、あんたはどう考えても幸せだ。
だけどさ、いろんな価値感のある男たちとちょこっと会話して、社会勉強した私は自分の人生を憎んでもいるけど、愛してもいるよ。だから、私と自分を比べんな!
おまえは幸せだよ。よかったな!
私は不幸かもね。でも、そういう自分を恥じてねえし!
と、心の中で思った。
すると父が情けない声で
「おまえらたった二人の姉妹なんだから」
とおきまりのフレーズを言った。
本気で姉妹の激突を止めようとはしない紋切り口調。
母は妹の激高に比例する様子で
「ななちゃんって、ほんとうにあぶなかしい。めぐちゃん(妹本名)がいなかったら、どうなってたか」
どうにもなってねーよ。
私は心の中で毒づいた。
あのローマの男は、10年ぶりに思い出すけど、私が興味をもって話しかけたら必要以上に乗ってきただけじゃん。
私はその程度の興味しかなかったんだけど。
つきあうとかないし。
だから、いま独身でいるだろうが。
しかし、妹は旅行先、近所で姉の私と一緒にいることでどれだけ「被害を被りみじめな思いをしたのか」を怒鳴り続けた。
私は、下げられているのに持ち上げられているという微妙な感情の中で妹に同情したり、自分の自尊心が微妙に回復したり、いやそれでもむなしかったり、めんどうになり、無言のまま食事の席を立つと自室に戻った。

自室に行くと、怒りがわき上がりあと少しで壁にまた先週同様の穴をあけるくらいものを投げつけそうになった。
しかし、冷静に考えるとあんな言い方であれ、妹が結局は姉である私に「勝てない」と認めていることを感じて、おかしな優越感がわき上がってくるのも事実だった。
あんなクソ発言をしても、妹はあんなクソなやり方で、私の自尊心を少し回復するのを手伝ってくれたのかもしれない。


妹が幸せであること。
姉よりもずっと堅実にスピーディーに恋愛をし、結婚をしたこと。
子供をもうけ、すでに二人目ももうけていること。
私はそのことに嫉妬をしたことはない。
誓って言える。
妹はいい子で、スケールが小さく姉をライバルしするちっびっこでしかないが、まともでそのスケールにあった人と結婚をして、子供もつくるという「結果」を出している。
そのことは、私にはできないし、すばらしいことだ。
でも、それ以上でも以下でもない。

たしかに立派かもしれないけど、それほど立派なこととも言えないのではないか?

私はもっと大きなものと戦う。
私は成功する。
自分の理想、自分の好きなことで食べていくという夢を持っている。
だから、妹をライバル視しているすきまがない。
私のスタンスは昔からこうだった。
たぶん、この妹を全く見ていない感じが彼女にとってはまた、カチンとくるゆえんなのだろう。

妹の気持ち。
実は私もよくわかるのだ。
私は妹があわれに思えて、これ以上傷つけたくなかった。
妹にとっての姉。
それは私にとっての母だ。

私の母は天才的な営業センスで、若い時は美人で、私が母といると必ず周囲の男性はまぶしいものでも見るように母に話しかけた。
母は朗らかで天然のかわいさで私を圧倒した。
母には勝てない。
そばにいるだけで劣等感を持ってしまう存在がもし身内なら。

うれしいことでもあり、同時に地獄だ。
そして、けんかをすると、母は必ず
「なんでお母さんのいうことなんて気にするのよ。
跳ね返しなさいよ」
と、言う。
でも私はキャンキャンほえることしかできない。
勝てないとわかっているから。
どんなに自分の世界、違う価値観で戦おうとしても、結局は
心の底で母を越えたい、認められたいと思っているから。
だから、妹の気持ちはわかる。

私にとっての母との関係であるように。
母は私を越えたもっと大きなものを見ており、私も妹よりも大きなものを見ている。
もともと勝負になるはずがない。

妹はその意味で、旦那さんという自己を肯定してくれる存在を見つけた。
だから、私という姉の呪縛から逃れたように見える。
だが、それは私を見るとぶりかえすたぐいのものであり、私にとっては妙な言いがかりであり、めんどくさいことこの上ない。

それでも、妹の言葉から私は妹から見れば、「持てる(もてる)者
であり」
どんなに、傷つくような字面であっても、結局は姉である私を逆説的に認めているということのほかならない。

母にしても妹にしても、私を傷つける一方で私を心配して、負けん気を引き出してくれる家族なのだ。
家族でなければ、
本気で傷つけることで、本気でやる気を引き出すことはできない。
家族はいくら敵に見えても、本質的には敵にはなれない。
すくなくとも私の家族は愛すべきクソやろうたちだと思う。
それに、それでも妹だから、嫌いにはなれない。
妹には私よりずっと幸せになってほしい。

姉として、妹はめんどくさいがそれでも嫉妬される対象であることはある意味幸福なことなのかもしれない。