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2月11日(木)鬱の風呂につかってるよ的な

 

理屈っぽい。プライド高い。地が強い。
さんざん言われた評価。
申し訳ないけれど、痛いとかかゆいとか思えたらどんなにいいか。
いい子で穏やかでいて情緒が安定しているのなら、逆にこうやってバーでお酒なんか一緒に飲んでる?
そう思いながらも、こんなもんだよな。
結局はずれる価値観に終止符を打ちたくなる。
だから、会うなんてやめとけばよかったんだよ。
そう、自意識が語りかける。
小、中と同じクラスだった彼とは町でばったりと再会した。
「俺、君のこと知っているよ」
顔あげると20年ぶりに再会する彼の顔があった。
映画がすきで、二人で映画をみに行った。
ほんとうは、それだけの関係で人生の価値観も、生き方もリスク管理も別々のベクトルを向いていた。
それでも私が落ち込んでいるのを見かねて「会おう」と言ってくれて、私のわがままにしたがって私の行きたいお店に連れて行ってくれ、おいしい料理と時間と気持ちを提供してくれたことは感謝する。
でも、結局「変わらなくちゃだめだよ」
と当たり前のことを言われたとき、「またかよ」と思った。
「変わりたいと思っているなら、変わるよう努力をしなくちゃ」
ああ、そうですかと思う。
いつもなら、そもそもそういう一般論を言われるようなふるまいを私は他人の前でしない。
「変われるものならば、君といまこうしてるかな」
と、言いたいのをこらえる。
いや、こらえるというより、まったく違うことを考えていた。
ああ、この人も私とは違う人だ。
そんなことはわかりきっていたのに、心が弱っているせいでしばらくぶりにミスをしてしまった。
自分の欲望に忠実であること。
30代を越えても、自分のことしか考えられないこと。
でも、他人の意見に従ったところで自分の人生の責任をとるのは自分であること。
だったら、それまで走り続けて何が悪いの。
それで壁にぶつかっても、また顔をあげて走りだすんだよ。
私はそういう人間。
変わるエネルギーは、自分の弱さを乗り切ることにつかって、妥協や欲望を抑えることに使うなんてまっぴら。
私と君は全くちがう人間なんだから、押しつけないでよ。
そんな趣旨のことをコンマ1秒で感情を交えずに考える。
「みんなが楽しいと思っているレジャーをやってみたら」
来たよ、一般論。
レジャーをつくる側に周りたい人間、宗教におぼれたいのではなく、おぼれさせる側に回りたい人間。
そういう人間に、なんで支配されることをレコメンドするかな。
退屈。
私という人間を理解というか、俯瞰することもできない幼なじみ。
ああ、この程度。
相手が百戦錬磨のカウンセラーだったらよかったのに。
私がいらついているのは、やるべきこともわかっていて、ただそれを続けることが時にイヤになるけれど、けして逃げないし、逃げられないほど好きだから、こんな自分が鬼畜でいやでそれでも認めていて気持ちがぐちゃぐちゃになっているからなんだということ。
わかっていたけれど、落ち込んでいるときに一般論のあほなアドバイスほどむかつくことはない。
ただの映画の感想をいいあう仲間であるべきで、人生を語る相手にはほど遠い彼。
そして、私自身、その手の相手からはほぼ毎回同じことを言われる始末。
私の病は継続しているということだ。
成長もしてない。
より重篤になっている。


それでも、時間とお金と気持ちをくれた彼には感謝している。
感謝しているけれど、アドバイスは却下。
悪いけれど、彼の助言は20代の時にとっくに通過して定期ヘビロテしたうえに自己嫌悪の反省もついた。
映画の話だけをする相手であるのに、ほんとうの親友のようにボーダーを越えた私が悪い。
大人になると、友達は○○用の友達になり、○○からそれた瞬間めんどくさいものになりさがる。
それもわかっていたのに。

なんでも語れる友達はきっと自分自身がしかいないのだ。
そんなこと、ずっとわかっていたのに。
でも、もしかしているかもしれないとも思う。
そのために、言葉を紡ぎ続けているのに、幼なじみの残念発言にいちいち落ち込んでいるなんて本当はもったいない。