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2月7日(日)蔵書整理と【小説:①深い森の灯台レビュー】

 

 蔵書を整理中で、ジェノサイドを繰り返している。
 新刊、とくにマンガは読んだら速攻で売りに出しているけれど、やっぱりたまる。
 本が好きなのに、本、とくに古本の放つ独特の重いオーラが苦手で、自分のすみかから書庫は放しておきたい。
 そういうわけで、自宅三階と離れに本棚を作っている。
 そこに保管できて、さらに書庫を常に3割あけておくだけの量しか持たないと決めて、定期ジェノサイドもとい定期整理を行っている。
 ジェノサイドを免れるのは、買ったはいいけれど手をつけていない。もしくは途中下車したけれど、世間ではもてはやされているので、自分が受けいれられる瞬間を期待している風待ち本などだ。


 そこで昨日、購入した本を読んでしまったので、来週に読む本を探しに書庫に入ったが、ほんとうにカオス状態にあてられてしまった。
 今、心が弱っているのかもしれない。
なんというか、学生時代からの思考と趣味の断続的な変化がそれとわかる書棚にメランコリックな気持ちになってしまった。
 本棚のラインナップはホラー、ミステリー、歴史、時代、SF、ファンタジー、等々。
 見ていると、それなりに読んでいるわりにまだまだ自分の筆力が足りないなということにうんざりさせられて、落ち込んだり、それでも、置いてある本に対して、10年前に感じた「向こう1000年かかってもおよばない」とは思わない冷静さ(年をとったともいえる)も獲得していて、なんとも複雑な気持ちだ。


 まるで、そこは10年分の私自身の幽霊がいるようだ。

幽霊たちは口々に、「まだ思い通りのものが書けてないのかよ」やら
「昔は俺のことが好きだったのに、時代遅れとか言うなよばか」
やら「うちをこえられへんのやったら、作家なんて生まれ変わっても無理や。あきらめ」
やら、まあ好意的とは言い難い言葉をぶつけてくる(ような気がする)ので、本当におまえら、全部燃やすぞ!と少しだけ思う。


 で、何冊かの本を手にとって、「いまに見てろよ。全部むさぼり食べた消化物(成果物)をずらっとおまえらの横に並べてやる。

そうなったとき、おまえらがどれだけ生き残っていられるか楽しみよのお」とは、口に出さないでしょんぼりして書庫をあとにする。


そんなことがあった昨日。

 

 実際、ジェノサイドを免れた彼らは私の中ではいまでも大事な本たちであり、師匠格扱いだ。
 とはいえ、今では三年に一度もめくらなくなった師匠も大勢いる。
 おそらく、卒業してしまったのだろう。
時が流れ、自分の価値観が軌道修正されるなかで、いいものが変わっていく。
 逆に変わらないのならば、それがその人の感性である意味すごい。
 年をとっても好きを好きなままであることは、今ではすごいと思うようになった。普通は、変わって行くものだ。
 それを成長とかいうが、ただ単に年をとったともいえるんじゃないか。
 私はホラーというジャンルにそれほど魅力が感じられなくなった。


 とくにモダンホラー。
 スティーブン・キングは20代半ばの私にとっては、本当に大好きな作家であり、今でもそうだがお手本にする気はさらさらない。
 理由は、結局、私は日本人というのがもっともシンプルな回答になるかと思う。
 それでも、二十代半ばのころは本気でキングから学ぼうといろいろ考えていたが、この方向で私は行き詰まりを感じた。
 それで、キングから学ぶことは徹底的で神懸かり的な描写力だと思うことにして、ストーリーや幽霊が現実にたちあらわれてくる発想ではないと思うことにした。
 それでも、定期的にキング熱がぶりかえして、「シャイニング」だけは2年に一度くらい高速再読をして、「天才だ、キング!!」と遠い目になっている。
 そういうわけで、キングの初期の「キャリー」「ペットセメタリー」「ファイヤースターター」「デッドゾーン」等々は書庫の天井高く、めったに手をふれない閉架書庫予備のスペースにぎっちり保管されている。
 キングは読書青春時代のスターではあったけれど、いまは髭をはやした神々の位置におり、まちがっても参考にはできないスペシャルな作家だ。
 いや、いいわけはよそう。
 キングは私のなかで終わったのだ。
それが、ふいにキングを読んでいるようなそんな作家に出会った。
それも、完全にジャケ買いした文庫だ。
マイケル・コリータ「深い森の灯台」2011年。創元推理文庫
これこそ、私がここのところTwitterでミステリーだと思ったら、ホラーだったというあれな小説だ。

 

で、レビュー(いらない気がする)

 

 つくりが完全にキング。
 それは別にいいが、ミステリーだと思っていたのに、犯人が幽霊って、 あんたそれはさあ、といいたくなる落ち。
 ミステリーの醍醐味は謎が少しずつ解明されていくうきうき、ぞくぞく感、戦慄混じりの期待感であったり、犯人にも同情できる悲惨な真実であったり、探偵役の刑事がそれでも正義にむかってひた走る使命感に共感ではないだろうか。
 それが、犯人は幽霊です、となると、期待感を無理矢理ホラーにシフトしないと、こう、気持ちが空転して分解する。
 いや、ホラー的にはおもしろい。十分おもしろい。
 だが、457P読んできて、300まではミステリーだと思ってめちゃめちゃ期待をしていた私はどこに行けと_?というような感じだ。
 それでも、同時並行して読んでいた連続殺人ものに比べると、評価が上なのはなぜか。
 それはキングが編み出した、モダンホラーの技法が取り入れられているからだ。
 犯人を追うときに、新聞記事や手紙という手法を使い、過去の事件がリアルにたち現れてくる臨場感。
 そして、人々が恐怖を目前にして、自分は発狂しているのではないかと自身を疑う証言等々。
 キングを読んだら、ぜひまねしたいと正直、思うモダンホラーの技法をこの作家はあますところなく学習している。
 ラストも凶悪犯罪にありがちな主人公、そして相棒が犯人に拘束され、そこから仲間の応援がきてぬけだすという陳腐なものではなく、幽霊が犯人なのでラストに悪魔払い的なバトルシーンもある。
 これが、なかなかファンタジー予備軍的な楽しさがある。

 それでも、この本を読んで一番感じたのは、違うことだった。
 作者が1982年。
 つまり、私と作者は同じ年で、キングのファンということもかぶっている。
 ただ、彼は私よりずっとキングにふれた時期が早くて、おそらく私より100倍キングに心酔していたようだ。
 ゆえに、彼の作品はキング作品のの既視感があり、そこに大好きを追求しなかった私自身をみた気がしたのだ。
 物語の展開も、落ちどころもまさにキングの既視感といってしまうと、語弊があるが、私は、正直私がキングから学んだものはそこじゃないなと思ったというか。
 今、まだ形にできない右往左往する私と対照的に、キングを愛してやまなかった二十代の頃の私を彼の中にみたというか、複雑な気持ちになったてしまったのだ。
 もし、あのままキングが大好きであれば、あのまま突っ走っていたかもしれない。だが、私は違う道にきた。
 それしか道がなかった。
 あの道は行き詰まりで、私は道を曲がった。
 「灯台」の作者はその意味で、私の双子のような気がした。
 まあ、思い過ごしなのだが。