1月9日(土)ローン・サバイバー(13)

 

 お昼までふせっており、やっと今起きあがっています。
 少しよくなっては、ぶり返すヘビロテの3日間。
 物忘れがひどくて、薬をもらってきたのに、鎮痛剤を3倍飲んでいて、まったく「記憶にございません」で行方不明。
 探しています。
 4000円も毎月払っているのに、どこ行ったんでしょうか。。
 
 さて、ローン・サバイバー
 なんで今更なのかというと、先週観た「アメリカン・スナイパー」が消化不良というか、物足りなかったからです。
 このロンサバは実はだいぶ前に原作を読んでいたのですが、これを機会に再読しました。
 いやはや、内容忘れていました。
 アメスナ(略すな)に引き続き実話です。

 

 ★ストーリー
 レッド・ウィング作戦。
 それはアメリカ海軍ネイビーシールズ創設以来、最悪の悪夢となった出来事である。
 SEALs隊員11名、航空連隊8名の戦死者を出すことになった背景にはアフガニスタンという地勢的ハンデに加え、彼らの軍事行動を縛る法令遵守が存在した。
 
 9・11同時多発テロ以後、首謀者をオサマ・ビンラディンとその配下と見なしたアメリカは彼の指導するアルカイダ殲滅のため、組織を擁護するタリバンに標的を定めた。
 ヒンドゥー・クシ巨大山系の西端に位置するアフガニスタン北東部は、タリバンアルカイダメンバーを庇護し、熱狂的支持者が潜伏する場所だ。
 イスラム過激派の米軍への強烈な憎しみに満ちたこの地にSEAL部隊アルファ・プラトゥーンのスナイパーであり衛生兵あるマーカス・ラトレルはマイキー、ダニー、アクスとともに深夜ロープ降下した。
 標的はアフマド・シャー。
 クナル州の山岳地帯周辺を拠点に150名の武装集団を統率するリーダーだ。
 マーカス等4名の偵察チームの任務は、彼の潜伏先を発見し、可能ならば狙撃殺害し、不可能なら航空支援による空爆を要請することだった。
 険しい山岳地帯を上り下りし、指定された地点を通過することに無線の通信状態は悪化していく。
 ついに目的の村が見下ろせる地点にたどりつき、望遠レンズを通して標的を確認し、シャーを発見した。
 しかし、応援を要請しようにも無線がつながらず、さらに衛星電話もとぎれてしまう。
 そうこうしているうちに時間が経過し、彼らの潜伏する山肌で羊飼いの少年等2名と一人の老人と遭遇してしまう。
 少年二人はあきらかに米兵を憎しみの目でにらみつけている。
 マーカス等4名の目と鼻の先の村には明らかにタリバン勢力が潜伏しており、この少年達もおそくら仲間だろう。
 見た目は非武装であっても、限りなく黒に近い一般民だ。
 やるべきことは決まっている。
 排除だ。
 ここで彼らを見逃せば、おそらく高い確率でタリバン武装勢力が自分たちを取り囲むだろう。
 だがもし、万が一彼らがタリバン勢力となんの関係もない市民だったら?
 非武装の民間人を撃った場合、マーカス等は身内である海軍法務総監に無慈悲な判決を下されるだろう。
 そして、アメリカのメディアが軍と政治に対して、避難をあびせ、自分たちの任務は失敗に終わる。
 
 そうなのだ。
 戦場にあって彼らを恐怖させるのは敵の物理的な攻撃とは限らない。
 彼らを恐怖させ、同時にいらつかせるのは、アメリカのリベラル派が生み出した交戦規則(ROE)だ
 規則にはこうある。
 「相手が撃ってきた場合、もしくは敵の正体がはっきりしている場合しか発砲してはならない」
 つまり、アフガニスタンという敵地の中でももっとも敵地たるこの土地において、二回に一回は相手が敵か民間人かわからない状況のなかで、米軍は「先手必勝皆殺し」戦法を封じられてしまったのだ。
 これがいかに危険かつ現場の兵士にとって理不尽なことか、マーカスは毎度のことながら怒りに震える。
 テロリストとの戦いにおいて、一般市民と武装兵力を明確に区別できるものはない。
 わかったときにはすでに手遅れであるにも関わらず、もし民間人を殺害、撃った場合は軍法会議ものだというのだ。
 マーカスはこれに対して、怒りを隠さない。
 要するに常に米兵を残らず一掃すると公言する敵を前にして、現場のやり方を規則で縛るということは、次の二つのことを意味している。
 ① 政治家は大人げない。彼らは戦争において相手がジュネーブ条約を全く意にも介していないことを理解もせず、戦争を野球のようにルールがあるものを思っている
 ②現場の兵士の良識と判断を信用していない。
 
 これらのマーカスの怒りはもっともだ。
 なにも戦争にかぎらず、現場に投げかけられる「上層のレイヤーからの理想主義」に我々現場の人間は常に混乱とよけいな手間を強いられる。
 だが、通常のいかなる現場とも異なり、よけいな手間とストレスを越えて、これが即、死に至るのが戦場の恐ろしいところだ。
 この場合怒りは露わにする必要がある。
 
 マーカスはかくして彼らを見逃し、そして200名ものタリバン兵士らと死闘の末、タイトルのごとくローン・サバイバー(たったひとりの生還者)となり果てる。

 

 ★レビュー
 この物語は圧倒的に暗い。 
 しかし、同時にその暗さを払拭するほどの人間の暖かさにも焦点が当てられている。
 たとえば、マーカスが心の底から尊敬していたマイケル・マーフィは彼らのチーム・リーダーで不撓不屈の男として、銃弾をいくつも受けながらも最期まで戦う。
 そのほかの仲間もしかりだ。
 彼らのチームプレイは映画のなかでももちろんだが、原作ではより鮮明だ。
 アクス、ダニーも指をなくし、頭を半分打ち抜かれても戦い続けた。
 彼らの死闘、そして非業の死があの交戦規則への恐怖にあったと思うと戦争のルール、対テロ戦争において正しくあることが今更ながらいかに難しいことか思い知らされる。
 政治家の「いいわけ」のために使われると思われる交戦規則、それ以上におそろしいメディア戦争。
 事実が事実ではなくなる、情報操作を彼らはなによりおそれている。
 だからこそ、正しくあるために、そして自らの身内に弾劾されることをおそれて、彼らは先手必勝という当然の手が打てなかった。
 しかし、ぎりぎりまで戦った彼らの姿は英雄だ。
 そして、もう一つ光があるとすれば、瀕死のマーカスを助けたパシュトゥーン族である。
 彼らはタリバン勢力と親和性の高い民族でありながら、その戦いの歴史の中から一つの美徳をあみだした。
 それこそパシュトゥーン・ワライ。
 彼らの部族規範である。
 特にある部族が敵よりも弱いと予測される状況下では、その個人を保護するということがほのめかされているこの規範。
 その部族規範は数千年の間、彼ら部族を律しつづけたものだが、この場合マーカスにも適用された。
 彼らは命がけでタリバンと敵対し、たった一枚の地図を片手に部族の一人が彼の基地まで徒歩で救援を求めて旅立ったのだった。
 まったくあきれるほどの勇気と献身ではないだろうか。

 マーカスはこうして九死に一生を得るのだが、彼の生死にパシュトゥーン族の信じられない英雄的行為があり、その一方で死をも厭わないテロリストのタリバン兵士がいるということは矛盾しない。
 どちらも人間が生き延びるために自らに課した決めごとが根底にあるのだが、そのベクトルは正反対だ。
 排除するために、憎しみを原動力として他者の死を目的とするのか、共存するために、相手を許し、全力で守ろうとするのか。

 人間はどちらにもなれるのではないだろうか。
 もしかすると、人は選べるのかもしれない。
 みながみな、規則を守ろうとする。
 米軍兵士も、部族も、タリバンも。
 規則を守ろうとして、命を落とした仲間たち。
 規範を守って、マーカスを助けた部族。
 敵を一掃する目的のために、全てを捧げる規範をもったタリバン兵士たち。
 誰になるか、人は選べないのだろうか。