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1月1日(金)ヒトラー最期の12日

 

 すみません。
 お正月からナチで。
 年末に観たのですが、ぱっとレビューが浮かばずぼやぼやしてたら元旦に。
 さすがにまずいですね。ああ!

 ★ストーリー
 そのままヒトラー最期の12日間である。
 1945年4月。
 首都ベルリンにソビエト赤軍が迫っていた。
 ナチス総統アドルフ・ヒトラーはその年の1月から戦局の悪化をうけて総統地下壕に国防軍の幹部、親衛隊らとともに避難していた。
 迫り来る赤軍の砲弾がベルリン市街を蜂の巣のようにしていく。
 しかし、未だ戦局を挽回できると見かけ上の軍を地図上で動かし続けるヒトラーはすでにパラノイアと化し、いさめる将校たちを毎度どなりつける。
 しかしない袖は振れないのごとく、将校たちは(外ににげる)離反、(酒ににげる)酒宴におぼれるもの、(精神的ににげる)いっさいをあきらめて口をつぐむもの、(にげない)総統を説得にかかるものさまざまだった。
 しかし、町中に生き延びるヒトラーユーゲントの少年、少女たちは大人の言うこともきかず、総統のためにゲリラ最前線となり戦い続ける。
 しかしついに最期の時が訪れる。
 迫る赤軍を前に、ヒトラーの側近でありナチスの宣伝大臣であったゲッペルスの妻が7人の子供たちにシアン化合物を飲ませて薬殺し、ヒトラーもまた長年つれそった愛人のエヴァと結婚をし、その翌日自殺をはかった。
 すでに赤軍は500メートル先まで接近していた。
 ヒトラーの遺言を口述筆記をした秘書はユンゲは最期までヒトラーとともに地下壕にとどまるが、最期は女性であること、まだ若いことを理由にソ連軍の中央を突っ切って、逃げることを決意する。

 

 

 ★レビュー
 あのですね、非常に不謹慎な発言ですが、この映画の一番のインパクトはナチ将校のかっこよさですね(やっぱり、そうきたかと思ったみなさん、私はけして軍服オタではありません)
 ほんとうに、笑い事ではないくらい、敬礼をしたときの長靴がカチっというときとか右手を斜め前方にあげるスタイルはかっこいい!萌え!燃え!
 おでぶな将校がやってもかっこよかったです。
 なので、スタイルのよかドイツ兵がやるとなんだかそりゃあ、もう筆舌に尽くしがたい悶絶ですね。(ばか)

 

 まあ、それもそのはずなんですよ。
 そもそもナチス(国家社会労働党)の国策は一貫して反ユダヤ主義で、その裏返しとしてアーリア人種至上主義を標榜してます。
 まずこれが前提。
 そして世界中でナチスの軍服のかっこよさは世界中のミリオタの羨望の的なわけですが、あれはしかし、デザインの秀逸さにより「かっこいい」のではなく、一重にそれを着用しているモデルがいいのです!(自信のソースは不明)
 彼らSSこそ、ドイツ広しといえども、超難関選抜試験(見た目と血筋だけ、知能はいっさい問わず)をくぐり抜けてきた、超美麗青年たちなのであります!!

 金髪碧眼、身長170センチ下限、アーリア人種の粋ここにきわまれり、の青年たちよ! ナチの先兵よ!


 というわけでまさにモスーパーモデル君たちとは彼らSSのことですたい。


 ここで蛇足ですが、なんていうんですかね。
 アメリカでもびっくりするんですけど、イタリアとかフランスとか行くと、欧米人の中にはすっごい頭が小さくて等身がやたらある人たちがいるんですね。
 街のなかで、ふと前方をあるく彼らに目を引きつけられるのですが、なんかこう、同じ人類とは思えない骨格ですね。
 これがヒトラー総統いわくアーリアなんですかね。。
 まあ、ヨーロッパでそういう人たちを見るにつけほんとうに日本人であることの悲しさが頭をもたげる瞬間です。単純に。
 であるからしてドイツ兵がかっこいい基盤はしかたないんです、あるんです。
 ただ、その見た目のクールさの裏側にアウシュビッツが堂々と横たわっているのですね。
 キャーキャー萌えている場合じゃないっすよ。ほんと。

 

 肝心の映画ですが、ドイツ語かっこええーでした。またか。
 いや、映画「スターリングラード」とかも結局英語じゃなかったでしたっけ?
 ナチスの映画をドイツ語で観たのってはじめてで、このまえの「FURY」も対ドイツの米兵の話でしたし、ドイツ側から描かれた自国民の映画って観たことがなかったのです。
 タイトル通り、ヒトラーの身辺、ゲッペルスやその家族、愛人エヴァ、地下にこもる将校、兵士たちの緊迫しつつ、もう逃げられないという心境をつづっているわけで、自然とナチも私たちと同じ人間なのね、と思わざるを得ません。
 もちろん、それも映画のねらいなんでしょうが、今までホロコーストという深い闇とタブーに覆われていたナチの上層部の一人一人が人間として立ち現れてくるようなそんな気分です。
 悲劇といえば、ゲッペルス婦人が幼い7人の子供たちに「お薬よ」と言って眠り薬をのませ、さらに眠った子供たちの口に次々と毒薬を飲ませて殺害するシーンです。
 もうなんか、なんでそんな状況に陥ってしまったの、あなたは。
 という気持ちになります。
 何百万人も殺しておいて、畳の上でなんとやら、なのでしょうが、ほんとうになぜこんなことに、と思う瞬間です。
 ヒトラーヒトラーで、「市民まで巻き添えにしていいのですか、降伏しませう!」という将校に対し、「彼らが選んだ運命だ。彼らが我らを選んだ」とのこと。
 まさに、その通り。
 ああ、しっかりした人を選挙しなくちゃ。という気持ちに舞い戻るシーン。
 ゲッペルスも以下同じ発言です。
「市民が犠牲になります!」
と言われれば、彼は
「勝利への情熱で乗り切れ、彼らが選んだ運命だ。国民が我らにゆだねたのだ」
 くう、一枚岩め。。


 ゲッペルスと言えば、国民啓蒙・宣伝大臣。
 プロパガンダの天才と言われ、ナチのために新聞や機関誌は発行するわ、国民ラジオなる安価な商品を売り出すわ、映画はつくるわ、CMはつくるわ、ビラはくばるわ、ポスターは張りまくるわ、航空機で遊説旅行をしちゃうわで、まさに総統の権力保持、国民の脳内から思考を取り払い、総国民ハイルヒトラー化プロジェクトの総責任者。
 例によってヒトラー学校とか、高校なるものができて、それを補完する形で子供らを教育していくのですが、ほんとうにナチスを選んでしまった国民の愚かさをいくら悔いても悔い切れませんと、言ってはみたものの、 日本も対岸の火事ではありません。
 このナチスのやり方について、軍需大臣であったアルベルト・シュぺーアがニュルンベルク裁判の最終陳述で以下のようなことを言ってます。
ヒトラーの独裁は、歴史上の全ての独裁と一つの根本的な点で異なる。あの独裁は、国を統治するためのあらゆる手段を完璧に使用した最初の独裁だ。
 ラジオと拡声器のような技術的な装置を通して、8000万人の人々が独立した考えを奪われた。それだけ多くの人々を一人の男の意志に服従させることは、こうした装置によって可能になった」
 ナチスの中で唯一の理性的な人物と言われたシュペーアは死刑を免れ、20年間の禁固刑を受けるものの、1982年まで生存し、ナチスヒトラーゲッペルスヒムラーなどの側近との生々しいやりとりを手記として出版しています(古書でちょっと高いので、私はまだ未読です)
 彼はヒトラーの友人であり、ヒトラーがいたからこそ自分の栄光があり、恐怖があったと言っています。
 その彼が今回のホロコースト、戦争はメディアが大きく関与したと言っているのです。うん、まあそうでしょうね。
 人身掌握、情報操作など簡単な努力と血と汗を流せば簡単なことなのでしょう。

 さて、ホロコーストのようなものがあったことについて、自分は極力知らないようにしていたとシュペーアは言います。
 それは、この映画の語りであるヒトラーの秘書トラウデル・ユンゲ氏もまた言っています。
 自分とは関わりのない世界のことだと思っていた。
 しかし、「知らなかったではすまされない」
 二人は、同じことを言っています。

 彼らを批判するのはたやすいですが、実際のところ、あれよあれよと言う間に、何か頼もしい言葉を頼もしく言ってくれる、耳障りのよい言葉に私たちは引かれてしまうものなのかもしれません。
 しかし、自国民のすばらしさを訴え、他国民を容赦なく攻撃するような発言になったとき、相手を悪と言った自分を正義と言いはじめた瞬間に、人々は戦争と虐殺の道に走り始めるのでしょう。
 おそらく、やりかたは同じはずです。
 常に同じはずです。
 根本に耳障りのいいキャッチコピー。
 正義と悪の、わかりやすい線引き。


 
 メディアと大衆に流れる言葉をよく観察していれば、戦争に至る道が近いのか遠いのか、おそらくゲッペルスあたりにはよくわかることでしょう。
 それを利用するものは、国家であり、利用されるのは国民であり、しかし国家は国民でできています。