12月31日(木)笑っちゃうくらい瞑想(迷走)の2015年

 

 タイトルどおり。(自己反省・読み飛ばし推奨)
 今年は迷走しまくってしまいました。
 根本からやりなおそうとして、結局は元ににもどった感じ。
 これから読もうとしているのは、小説4冊と伊藤計劃関連の書籍、進化論系の本、哲学系(自由とか権利とか)と、映画理論の本。

 

 あんがい、自分が好きなものに忠実でいられないほど、年を重ねてしまったのか、それともわりと幅広く好きなのかと自問してみる。
 でも、やっぱり自分の好きなものはラノベでもアニメでもないと思うに至った今年はじめ、いっそその手のキャラクター立ちしているものから離れようと思ったとたん、じゃあキャラクターってなんだろうに至る。


 キャラクターというのは、背景があってバックストーリーがあるだけじゃない。
 キャラクターがキャラクター足り得るのは、ある社会においてその人物だけがとりうる反応をするということだ。つまり、アクション。
 そういうことが考えたときに、じゃあ人物が反応してしまう、世界ってなんだろうということになる。
 まちがってはいけないのは、人物が反応するのは、あくまでも状況ではなくて、もっと根っこにある世界ということだ。
 だから、たとえばヴィンチェンソ・ナタリ監督の「CUBE」のように、箱に入れられてでられなくなったら的な、哲学的かつ極限の状況を象徴的に描きたいわけではない。


 むしろ、そんなCUBEを作ってしまった社会そのものに対する人物の反応こそがキャラクターだと思うわけだ。


 というわけで、年初は世界。
 むしろ、人物を切り離した世界についてずっと考えていた。
 世界と人物の比重は同じ大きさか、むしろ人物がやや大きいぐらいが私が理想とする物語だと思っていた。
 それなのに、何を血迷ったかのか、マンガを読むという選択をしてしまった。
 結果からいうと、もとの黙阿弥だ。
 私のなかで、「そうは言っても人物がおもしくなきゃはじまらない」と思ったゆえの選択に違いない。

 遠い目。

 

 世界だけを描いて、感情移入するどころではない思弁的なSF小説を読んでいた揺り戻しがこのあたりで来ていたのだろう。


 しかしながら50作ほど読んでおもしろいと思えたのは5作品ぐらいで、それはまさに世界設定が括弧たるものだった。
 たとえば、「銃夢無印」「僕だけがいない街


 これが私のオールタイムベストな作品だが、あまりに完成されていて、好き以上の参考にはならない。
 ほかにも名作にあたったが、これまた独自すぎて、逆にこれ以上ふれあわず愛さない方がが自分の為、とういうほかなかった。
 東村あきこが「かくかくしかじか」で言及しているとおり、いくら好きでも「好きすぎる岩井俊二にはなれない」である。
 そこで再び、マンガは自分のなかで広げたパイの割に消化できない部分が多いという、費用対効果いまいちという結論に至る。

 

 で、また迷走の始まりだ。


 もう一度、ジャパンSFとラノベに舞い戻る。
 何度も読み返すはめになった「サイコパス」と「コップクラフト」そしてどう考えてもコップクラフトとにているアシモフの「裸の太陽」


 でもどれを読んでも物足りない。
 サイコパスはしゃべる銃と刑法39条を拡大解釈した世界観はおもしろいけれど、なにかが足りない。
 たぶんリアリティが足りない。

 ラストはファイトクラブだし、テーマずれまくりだ。
 世界観の何かが抜け落ちている。


 それで刑法39条を研究しだす。
 すると、サイコパス的なことをすでに明治で言っている学者にあたる。
 これがぞくぞくするほどおもしろかった。


 学者だ。


 学者が狂気じみたことをいいだして、社会は自走する。


 いや、ちがう、社会が言い出そうとしていることを学者が言語化しただけだ。
 学者はそれに手を化しただけだ。


 ということは、学術書が熱いぞ!


 と、夏あたりからまた軌道修正がはじまる。
 えらいことだ。
 あまりにも目移りしすぎている。
 同時並行して刑事ものやらプロファインリングなどなつい本もめくってみたり、あまりに暗いので底流でファンタジー熱にうかされ、守人シリーズから、ダビンチデーモンなる中世英国ドラマを見るにいたり、納得できずに、塩野七生古代ローマ関連書籍に上乗せして、酔っぱらいのようにルネサンス本を読みあさると9月半ばになっていた。


 もう秋か。
 私自身中世の終わりである。

 冬がきて、これからは、春だ!(自分にいいきかせる)

 そんなこんなでルネサンス熱が学術関連に傾いていき、ここから社会システムの変遷、銃夢に舞い戻る。
 もう、自分で何をしているのかわからない。
 だが、自分の中では筋は通っている。
 社会システムだ。
 でもこうした俯瞰的な見方は人物を忘れる。
 ここでまた、ポルノ小説の登場だ。
 エロ小説を書いていたこともあり、BLからエロ小説から、恋愛小説をとおりこしたホルモン体液流れまくりのポルノを読みまくっていると10月が終わった。
 毎日エロ本、毎日恋愛、毎日キャラクターがくっついて、離れて、くっつく話の繰り返しで11月。


 風向きがそこはかとなく冷たいかんじでもはや、冬。


 冬。

 サイエンスアゴラに行き、やはりSFが一番しっくりくると胸をなで下ろす。


 そして幼なじみとの15年ぶりの再会。
 彼が映画ファンだったことで、「ハーモニー」をとりあえずなんとなく見にいったら、数年前によんだ伊藤計劃を読みなおす気になる。
 ごくごく偶然が重なった感じだ。
 伊藤氏の本を読むと彼の手法や彼の発想が広げたパイごと全部消化しやすいことに気がついた。
 あれ、自分はプロジェクト伊藤にこんな親和性があったのか?
 驚いた。
 以前読んだときは、ちょっとおもしろいけれど、何を言っているのかわからないことが多かったからだ。
 だが、今は自分で言ったようによくわかる気がする。


 そういうわけで、自分は今、彼の見ていた世界を追っている。
 いや、追ってはいない。
 自分なりに、目から落ちたうろこの形を確認しているというか。 


 成果と言えば、これが成果かもしれない。
 

 言い換えると、成果とは一回転して少しずれた立ち位置を見つけることかもしれない。


 変わった認識といえば、世界と人物の比重だ。 
 世界と人物は不可分だが、どちらかと言えば世界が重い。
 人物が死んでも世界は続いていくからだ。
 そして社会を描くことを人物よりも重視したジャンルがSFだ。

 人間は世界より人間が好きなものだが、私はもう迷わない。
 嫌われても、世界を重視していこう。
 そういうわけでこいこい来年。
 今年の迷走がいつか、宇宙にたどりついて、やっぱ地球がいいよねになる日まで。
 あと12時間で今年も終わり。

 思い返すと長かったんじゃないの。

 2015。