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12月28日(月)世の中斜めに切ってそれが?

 

 人の心を動かすためには、どうすればいいのか。
 なんて、そんなビジネス書みたいなことを考えてしまう。
 それもそのはずで、今日は御用納めでした。
 役所は明日から冬休みです。
 で、うちのボスから訓辞なるものがでるのです。
 この訓辞、私はわりと真剣になって聞いてきた人間なのですが、最近はうちのボスに限らず、ぐっとくるような「はなし」をする上司が減ったのかなと思います。
まあ、話というのは極端な話、何を語るかというテーマや内容よりも、どう語るかだったり、誰が語るかだったりします。

 はっきり言って「はなし」なんてものは、エンターティナーに任せるべきことなじゃなですかね。
 今日の訓辞は、どう一生懸命聞く耳を持っても「伝わってこないな~」という気持ちになって、うつむいて、寝そうになって、またがんばって聞こうとするのですが、やっぱり違うこと考えちゃうというか。
 で、なんで自分にぴんとこないのかな、と思うと私はやっぱりボスにはこうあってほしい像があるんでしょうね。
 組織に属している限り、組織の方向性が自分のベクトルと合致していることもあれば、その逆も当然あるわけで、今は後者なだけなんだと思いますし、そう思うことにしましょう。

 

 それで、人身掌握の話。
 いちばんやっちゃいけないのが、人を議論で打ち負かすことです。
 議論で「納得」させられた人間はそのときは、仕方なく相手の理論を認めざるを得なくなるわけですが、時間が経過するごとに相手に憎しみを持つようになる。
 私はそれを学生のときに嫌というほど片思いの相手とやりあったので、肝に命じてます。笑。
 長じて、私はあまり議論は好きではないし得意でもないのです。
 議論はたいてい人を憎悪に向かわせます。

 なぜなら、そこにはわかりやすい「おまえ、そんなことも知らねーの、ばか」があるからです。

 言われたほうはたまんないですね。
 そりゃたまには、馬鹿。おまえ、ばか、と思うこともあります。

 人間ですから。

 でも、たいてい馬鹿と言った瞬間、事の正否はおいといて、人間関係は進まない。

 つまり、仕事が進まない。
 とはいえ、実際、私のような平職員のレベルでは議論を戦わせるシーンというのはないのです。
 議論はそもそも論点をはっきりさせて問題点を論証していくことで、議論はその対立論があるわけです。
 職務においても論が必要になる場面は私のレベルでは存在せず、基本的にはクレームに対しても説明とカウンセリングで済んでしまいます。
 しかし、これを論で対抗しようとして住民や組織内でいらぬ争いを引き起こしている人間はいます。
 論って大事なのですが、使い方を気をつけないと本当に相手を敵に回すばかりで解決どころか泥沼にもなりかねない。
 そう思ったところに、今日も眠くなりそうな「おはなし」でちっとも元気がでないところか、分析まではじめてしまいました。
 さて、人身掌握の話。

 

 最近、名コラムニスト小田嶋隆氏のエッセイをめくっています。
 直近から25年くらい前のものまで乱読してますが、おもしろいです!
 おもしろさの構成要素は、抱腹絶倒からセラピー並みの含蓄まで多種多様なものです。
 とくに25年前の全集「我が心はICにあらず」は、もう抱腹絶倒で畳をたたくどころかかきむしる勢いです。
 これを執筆したとき、小田嶋氏は30代なのですが、完璧に笑える文章を構築しており、すばらしいです。
 どんなおもしろさかというと、読んだときだけ面白いあれです。
 読み終わったと同時に忘れるおもしろさであり、その文章アクロバティックのせいで内容のおもしろさではなく、言い方のおもしろさであり、誰とも会話の上で共有できないというまさに読書のおもしろさ。
 まだ30代なので、含蓄のおもしろさではなく、言葉のセレクトのおもしろさです。
 ほんと久しぶりに本を読んで大笑いしたというか。
 しかし、本当のおもしろさは本を閉じてからにあると思いましたです。


 というのも、本を閉じて時間がすぎると、ふと大いなる疑問が浮かんでくるのです。

 めっちゃ面白すぎて天才的だけど、なんかコラムっていったいなんなの?
 ってことです。


コラム:新聞・雑誌などで。線で囲んだちょっとした記事。囲み覧。
グーグル辞書。

 

 うん、そのままやね。
 どうやら小田嶋氏も言っているとおり、新聞社、雑誌社なりが文責をとわれないために囲みをつけている技巧的文章のことらしい。
 あー、なるほどなと思う。
 なんというか、コラムって一気に一冊よむとすごくおなかいっぱいになるんですよね。
短い文章のなかにいっぱいエッセンスがつまっているし、そのせいでどこを読んでも真実味があるというか。
 ただやっぱりコラムというのはどこかうさんくさい。
 ひとことで言うと、わかりやすい乱暴な議論ということです。
 おもしろけりゃそれでいいし、コラムの役割ってもしかするとそういうことなのかもしれないですが、なんだかすっごい詐欺師にあって笑いのエキスを引き出されたって感じなんですよね。
 いや、おもしろい「おはなし」だったから笑ったのであって、つまらない訓辞とそれは対極にあるわけです。
 人が人に話をする以上、おもしろくないといけないと思いますよ。
 ただ、そのおもしろさというのがなんなのか、考えたときに言葉のアクロバティックは武器であって目的ではないな、ということです。
 実のところ、小田嶋氏の本でやはり私と同じ年代のころの「IC」はコラムについての否定的な側面を多く、笑いをとられた分だけ感じてしまいましたが、昨年の「友達リクエストの返事がこない午後」は、はっきり言ってセラピーでした。
 癒しです。
 自分が長らく感じており、人は人、自分は自分だと必死に言い聞かせてきた生き方が自分だけではなくて小田嶋さんもか!と仲間を見つけたうれしさ(やばさ)というか、同じ人間が25年生きてきた軌跡をなぞるうちに、コラムでしか言えない、語れない言葉があるのかな、と思った瞬間でした。
 うん、まあ、小説はそのコラムの言葉さえもせりふに取り込んでしまうなと思いましたが。

 そんなわけで、私はボスに小田嶋さんはほしくないけど、ボスの訓辞のシナリオライターに小田嶋さんを採用してほしいと思ったのです。
 そうすれば、10分のあの退屈な訓辞が抱腹絶倒の笑い死にの会になるんじゃないかと思ったのです。

 それでハッピーなんじゃないですかね。(笑)


 そんなことを考えていたら、やっぱりボスの訓辞の後半はすっかり聞き流してしまっていたのです。

 ああ、だめな子。
 そんなこんなでお仕事がおわりました。
おつ!おつ!