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12月18日(金)壊れやすい身体の意義(映画感想:アンブレイカブル)

 

 学生時代の頃は、試験中に居眠りすることは数学の時間ぐらいしかなかったのですが、社会人になってからは、試験中は常に眠いです。
 勉強もろくにしていないので、文章を読んでも意味がわからないし、読むだけ無駄だからです。
 でも、120分の試験は、長いのです。
 学生時代の経験から言って、3回ねても目が覚めます笑

 そういうわけで、することがなくなってしまい、ずっと今週みた映画のことを考えてました。


 アンブレイカブル(2000年)

 主演:ブルース・ウイルス、サミュエル・L・ジャクソン
 一昔前の映画で監督はN・シャマラン。


 ご存じシックス・センスで一世を風靡した台どんでん返しの監督です。
 シックス・センスは私、好きですね。どっちかというと大好きですね。
 とにかく霊感ものがすきなので、ドンピシャですね。
 さらに、ヒューマンドラマでもあり、ミステリ要素もあり、これでもかっていうくらい私のドンピシャです。
 あとホラーで恐い良い(コワイイ)話は「ギフト」ぐらいですかね。
ま、そんなわけでアンブレイカブル

 有名ですよね。
 なのに、私いままで見ていませんでした。
 なんでしょうね、映画のパッケージの青地に主演の二人の顔がアップの例の写真が地味だったのからかもしれません。
 見はじめるときも、なんとなくおもしろそうじゃないな~、と前情報いっさいなしで見始めたら、やっぱり地味だった。
 前半はものすごく平坦な日常の積み上げ方で、いけどもいけどもつらい日常なんですが、中盤から後半の中間あたり(つまり三分の二すぎたあたり)から急展開します。


 ええ、話としてはおもしろかったです。
 ああ、なるほどな~!!そうきたかー!と、。
 と、ともになんとも言えない嫌な舌触りのラストです。
 10年以上も前のお話なので、ネタバレをするとですね。
 ブルース扮するデヴィッド・ダンは実は怪我も病気もしない並外れた健康優良おやじです。
 理学療法士の妻オードリーとの間にはジョセフという12歳?くらいの一人息子がいます。
 ただ、夫婦の関係は冷え切っており、デヴィッドは転職を考えてNYに移住することを考えています。
 そのNYからの帰り道に列車の大事故がおきて乗客が全員死亡するという悲劇に巻き込まれます。
 ただし、彼だけが助かる。
 しかしそのことを不思議にも思わずに生きてきたが、事故の追悼ミサの帰り道に自分の車のバンパーに「あなたは病気になったことがあるか?」という謎のメッセージが残されています。
 奥付にリミテッド・エディションの署名。
 この奥付こそ、サミュエル扮する画商イライジャの画廊の名前です。
 デヴィッドは明確な理由もないまま冷え切った家庭内別居をしている妻になにげなく、「自分が最後に病気になったのはいつか?」と聞きますが、妻は覚えてないという。
 彼自身もよく思い出せないが、彼は病気になった記憶がなかった。
 そして彼自身忘れようとして忘れられず、ずっとかかえてきたある重要な事実が無意識から呼び起こされる。
 この事実こそ、彼と妻の冷え切った関係の要因だったのですが、彼自身はこのことを忘れようとしてきた。
 彼は実は生まれてこの方、病気も怪我もしたことのない特異体質だったのですが、これを見抜き自分と対極の才能と運命を持って生まれてきた人間だと思いこみ、彼をヒーローだと信じる人間がいました。
 それの人こそイライジャでした。
 彼は先天性の病気により骨密度が通常の人間より低く、ちょっとしたことですぐに骨折をしてしまう体です。
 ミスター・ガラスと自嘲気味に語る彼は画廊でヒーローコミックの原画展を開くなどして成功をしています。
 勧善懲悪のヒーローコミックは彼の母親が彼が幼いときに病気がもとで引きこもりになっていたのを助けるために、外に出れば一冊ずつ与えてくれたものでした。
 イライジャは幼い時からこのヒーローコミックを読むことで、自分の壊れやすい体(ブレイカブル)の存在意義を考え続けて、一つの結論に達しました。
 自分がこうした極端な不具者である以上、極端に壊れにくい(アンブレイカブル)の肉体を持った人間もいるはずだ、と。
 そして、イライジャはこのアンブレイカブルな肉体をもつ人間こそがデヴィッドだと見いだし、執拗に彼にアプローチをするようになります。
 デヴィッドははじめはイライジャを異常者だと決めつけます。
 しかし彼の仕事場でフットボールのスタジアムにまでイライジャが訪れ、そこでデヴィッドが直感で犯罪をおかしそうな人間や武器を隠し持っている人間を見抜く能力があることを指摘します。
 半信半疑でもあり、目を背けようとしていた彼でしたが、さまざまな事情が重なり、自分がイライジャの言う不死身の肉体を持つ男であることを自覚するに至ります。
 実はデヴィッドは高校の時にフットボールの花形スターでしたが、つきあっていた当時の彼女オードリーのために交通事故を装い、怪我をしてフットボールを引退していたのです。
 それは彼女がフットボールを暴力的なスポーツと思い嫌っていたからでした。
 しかし、彼が彼女のためについた嘘のせいで、彼は日々自分が為すべきことをしていない人間だと思いこむようになり、ふさぎ込むようになっていきました。
 彼自身そうなっていた理由さえ長い年月の中で忘れていましたが、イライジャとの出会いによって、自分の肉体が不死身に近いことを自覚し、このことも思い出します。
 そして、彼はイライジャの助言に従って人知れず悪人を罰し、市民を助ける行動をとりはじめます。
 そして、晴れ晴れとした気持ちで毎日を過ごすようになり、妻との息子との和解がなりました。
 そんなとき、デヴィッドがイライジャの店を訪れ、衝撃の事実が判明すします。
 なんと、イライジャは不死身の肉体を持つ人間を見つけだすために、大量殺人を引き起こすような事故をいくつも計画的に起こしていたのです。 その真実をデヴィッドはイライジャと和解の握手をした瞬間に気がつきます。
 なぜ、こんなことを問うデヴィッドにイライジャは語ります。
「最大の恐怖はなんだと思う? それは存在理由がわからないことだ。希望を捨てかけたこともあったが、すべてはおまえを見つけるためにしたことだ」
 デヴィッドはよろめくように彼の部屋を見渡す。
 壁にはアメリカで起きた大量死亡事故の新聞記事や、建物の図面が張り付けられています。
 それはかつてイライジャが引き起こした事件だった。
 いまや大量殺人者という身分をあかしたイライジャに背を向けたデヴィッドに向かって彼は続ける。
「コミックではどんな者が悪と呼ばれるか? それは元々はヒーローと友達だった。私はミスターガラスだ」
 その後、デヴィッドはイライジャを警察に告発する。
 というストーリー。

 

ね、後味悪いですよね。

 

 でもですね、なんかこうおもしろいですよね。
 この映画は脱構築なんて言われてますけど、たしかにヒーローは作られる。
それも悪によって。
いや、完全な悪がなければ、正義も存在しえない。ということで非常に斬新という感覚がある。

 つまり映画の台どんでん返し自体はおもしろいんですよね。
 でもなんでかな、ひっかかるというか、ものすごく既視感のある映画なんですね。
 どこかで見たことのある風景じゃないですか?
 正義は悪によって作られるって。
 まあ、ぱっと思いつくのはアメリカの対テロ戦争なのかなって思います。
 あれは悪を「指定」して、自分たちが正義に回るという立ち位置でこの映画とは逆なんですが、正義と悪が分かちがたいというか表裏一体という意味で似てませんか。

 あとですね、イライジャという人物の極端さですよね。
 やってることがまさに勧善懲悪のコミックの悪人そのままというか、気持ち悪いんですよね。
 サミュエル・ L・ジャクソンは複雑で暗い情熱を持つ人物をやらせたらピカイチですが、このイライジャは複雑とみせかけて単純なんですよね。
 悪に対する正義という完全な二元論の背後には例によってキリスト教があるんでしょうけど、現実世界ってそんな白黒つけられないわけですよね。
 でもここでもやっぱり白黒の世界にしたがるというか。
 アメリカの気持ち悪さっていうんですかね。
 このストーリーって始めに言ったように中盤までものすごく現実にあふれた地味な世界で、そこで日々のうつうつとした暗い気持ちを抱えた主人公の描写が続くんです。
 それがリアリティであり、息苦しく、中盤に彼がヒーローに覚醒するあたり、涙がでるくらい、カタルシスに包まれるんですよ。
 そんなことあるわけないよ、っていうヒーロー物語に対する揶揄も出てきそうになるんですが、それを前半の鬱屈した日常描写にはもう戻ってほしくないという観客根性が帳消しにするというか。
 だからこの展開悪い訳じゃないんですが、どうしてもいらいらする。

 その理由は、イライジャの悪者根性にあるんですね。
 彼は自分のブレイカブルの肉体の存在意義を考えた。
 そのときに、自分と正反対のヒーローが存在すると思った。
 この極端から極端への思考そのものが、二元論という単純な思考なのですね。
 なんか、発想が貧困じゃないですかね。
 壊れやすい肉体を持った理由を考えたときにもっと、穏健な考えもあると思うんですよね。
 まあ、それを言ったら映画にならないんですけど。
 おそらく、それも含めて深読みすればアメリカのコミックを読み過ぎたオタクの末路を批判した物語とも読めないこともないんですが、なんというか後味の悪い物語なのでした。